第二十話 死の森へ
今何時何分なのかは知る由もない。
ただ、上を見れば空が紅に染まっているのが分かるだけだ。
耳をすませば鳥のさえずりが聞こえてくる。
時々、この世のものとは思えないような奇声までも聞こえてくるが……。
空気は少しジメジメとしている。
湿度が高いのだろうか。
公都クルドレーでは感じなかったということは、ここら一帯だけなのだろう。
そして、見渡す限りの広大な森。
ギルドの連中は死の森と呼んでいるらしい。
それがなぜなのかは分からないが、すぐに理解できるだろう。
これから、この死の森に入るのだから。
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俺たちは今、森の入り口の前にいる。
そこには、俺達の他にも二つのパーティーがいた。
それを見て最初は疑問に思った。
依頼を複数のパーティーで受けるのは禁止されているからだ。
しかし、カルス曰く、この依頼は国から出されている依頼のため、複数人のパーティーでも可なのだそうだ。
周りを見渡してみると、4つの小屋が建っていた。
一体何に使うのだろうか。
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しばらくすると、左胸にギボレー公国の国章らしきものを身に着けた二人の男がやってきた。
おそらく、今回の依頼の案内人だろう。
「よく来てくれた。早速だが、周りに小屋があるだろう。
あれは休憩所だ。好きに使ってくれて構わない。
ただし、ひとつのパーティーにつき、ひとつの小屋だ。
それと、今回の依頼の詳細について伝えたい。少し長くなるが、最低でも一人は残ってくれ」
最低でも一人……か。
依頼の詳細について話すんだったら、もちろんパーティー全員で聞いたほうがいいに決まってるな。
「じゃあアンドル、頼むぞ」
カルスはそう言って、小屋の一つに向かって歩き出した。
それにアリスも続く。
「……え!? アンドルひとりに任せる気!?」
一瞬、思考が停止した。
正直、俺も話を聞くのはめんどくさいけどさ。
それでも、依頼の詳細って大事な話の筈なのに……。
すると、突然アンドルが俺の肩に手を置いてきた。
「エト、僕なら大丈夫だから」
何を言い出すかと思えば……。
なんでアンドルもひとりで十分みたいな感じ出してんだよ。
「僕に任せてくれ」
アンドルは自信満々な笑顔をしている。
その自信がどこから来ているのかは検討もつかない。
「そこまで自信があるんだったら……、分かった。じゃあ、頼む」
そう言って、俺はカルスたちと同じ方向に向かった。
レイナも俺の後を追うようについてきた。
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小屋の中は薄暗く、簡易的な作りになっていた。
それもそのはず、この小屋は休憩所として建てられただけなのだから。
「見て見て!! こんなにたくさんご飯があるよ!」
アリスが缶詰のようなものを抱え込んで小屋の奥から現れた。
5人で食べても一晩は持つであろう量だ。
ご丁寧なことだな。
「ねえ、カルス。他にもパーティーがいると報酬が山分けになっちゃうんじゃない?」
そう聞いたのはレイナだった。
さすがお金に関しては抜け目ないな。
「ああ、そのことは多分、大丈夫だ」
カルスは理由までは言わなかった。
ただ、「そのうち分かる」と付け加えた。
「ふーん。そう……」
レイナも深く追求しようとはしなかった。
俺には分からないが、これが強者同士のやり取りというやつなのだろうか。
「エトー! なに考えてるの?」
「ん? ああ、大したことじゃないよ」
気づかないうちにアリスが俺の隣に座っていた。
そして、上目遣いで俺を見つめている。
まるで天使のようだ。
「カルスさん、戻りました」
ドアが開き、小屋にアンドルが入ってきた。
「それで、どうだった?」
カルスの言葉にアンドルは頷き、今回の依頼の詳細について話し始めた。
「どうやら、マカオンの奥地にあるテラーモンキーの生息地を一掃すればいいらしいです」
「やっぱりテラーモンキーか……。2年くらい前にここに住み着いたとは知っていたが……。面倒な相手だな」
「それでも、この依頼は公爵が直々にだしたものらしくて、手短に達成すれば報酬を上乗せしてくれるそうです」
おいおい、公爵って確か滅茶苦茶偉い人じゃないか?
そんな人からボーナスが出るなんて……。絶対に失敗できないじゃないか。
テラーモンキーってのがどんなヤツなのかは分からないが、やること自体は今まで受けた依頼と変わらないっぽいな。
魔物を退治するだけで、実に単純。
違う点と言えば、複数のパーティーがいることと報酬ボーナスがあることくらいだ。
「それにしても、テラーモンキーはもっと人里離れた山岳部に生息すると昔、本で読んだことがあるんですけれど……。もしかして誤った情報だったんですかね?」
「いや、正しい情報のはず。今回がイレギュラーなだけだ」
テラーモンキーとかいう魔物を知らない俺では、この二人の会話には入ることが出来ないな。
まあ、別にテラーモンキーの生態を知ったところで、やることは何も変わらないだろうからいいけどさ。
「その公爵とやらはさ、2年間も放置してたってこと?」
疑問の声を上げたのはレイナだった。
てっきり話を聞いていないものだと思っていたんだけど、ちゃんと聞いていたのか。
「レイナの言う通り、当時はマカオンにやってきたテラーモンキーを撃退しようとしなかったらしい。
多分この場所は公爵にとっては隣国との緩衝地帯としてしか価値がなかったから、むしろ魔物が住むことを良しと考えていたんだろうな」
レイナの疑問に、カルスは己の推測を交えながら答えた。
「それなら、どうして今になって?」
すかさず、レイナはさらなる疑問を投げかける。
すると、カルスはしばらく地面を見つめ始めた。
まるで、何かを思い出しているかのように。
やがて顔を上げ、口を開いた。
「少し前……、公都である話を聞いたことがある。
ここ、マカオンの遥か地中に高魔石が埋蔵されているんじゃないかってな。
当時はほんの噂程度に思っていたんだが……。今日、確信したぜ。
ここの地中には高魔石がある」
カルスは地面を指差しながら言った。
「ここ最近になって公爵もその事実を把握したんだろう。
だから、邪魔になったテラーモンキーを消すためにこの依頼を出した。そんなところだろ」
カルスの話を簡潔にまとめてみよう。
2年ほど前にマカオンにテラーモンキーという魔物が住み着いたが、大した問題ではなかったので放置した。
しかし、ここ最近になって、マカオンの地中には高魔石が埋蔵されていることが分かった。
そこで、掘り起こす際に邪魔になるテラーモンキーを一掃する依頼を出すことにした。
こんなところか。
「ん? 仮にそうだとしたら、なんでわざわざギルドに依頼を出したんだ?
公爵ほど偉い人なら、いくらでも兵を持っていそうだけど」
頭の中に浮かんだ疑問を、今度は俺がカルスに投げかけた。
すると、カルスは難しい顔をした。
「そこまでは分からん。何かしらの事情があるんじゃないか?」
さすがに、カルスといえどもそこまでは分からないらしい。
公爵は一体何を考えているのだろうか。
「うー……むにゃむにゃ……」
突然、可愛らしい声が聞こえた。
声の方向に目をやると、アリスが体を丸めて眠りこけていた。
その顔は、可愛いを具現化したようだ。
「マカオンには明日の早朝に入る。だから今日はこの小屋で休もう」
アンドルはアリスの頭を優しく撫でながらそう言った。
なぜ早朝なのかは分からないが、俺もアンドルの言葉には賛成だ。
けれど正直、近くには他のパーティーもいるため、ゆっくりと休める気がしない……。
報酬を独り占めしようと考えるパーティーに、寝込みを襲われる可能性だってあるしな。
「……お腹減った」
レイナがお腹を撫でながらそう呟いた。
彼女の言葉で俺は、自分が空腹になっているということに気がついた。
どうやら俺は、知らぬ間にそんな事を考える余裕がなくなっていたようだ。
「……とりあえず、食うか」
腹が減っては戦は出来ぬだ。
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「お~い! 起きて~!!」
「……うえ?」
頭の中に突然、聞いた覚えのある声が響いた。
最初は誰だか分からなかった。
しかし、時間が経つにつれて意識がハッキリとしてきた。
「ああ、どうしたのアリス?」
そう、声の主はアリスだった。
「朝ですよ~!!」
「え!? マジで!?」
俺は急いで小屋を飛び出し、空を見上げた。
そこには、澄んだ朝焼けの空が広がっていた。
俺は必死に昨日の記憶を遡った。
みんなでご飯を食べたところまでは覚えている。
その後は確か――――――――。
ダメだ。思い出せない。
「昨日、ご飯食べた後に直ぐ寝たじゃん」
今の俺の状況を察したのか、レイナが詳しく教えてくれた。
どうやら、相当疲労が溜まっていたらしい。
「あ! 持ち物とか大丈夫? 盗られてない?」
「大丈夫」
「はぁ、よかった」
昨日あれほど心配していたのに、真っ先に眠ってしまうなんて……。
俺はなんて情けない男なんだろうか……。
「よし、お前ら。朝食を摂ったら行くぞ」
カルスは、どうやら俺達よりも早く起きたらしく、既に準備完了なようだった。
「そういえば、他のパーティーはどうする? もしかして、一緒に行くのか?」
俺は缶詰をつまみながら聞いた。
俺達とは別に二つもパーティーがいるからな。
仮に協力することになったら、面倒なことになるのは目に見えているし。
「ん? ああ、もうどっちも行ったぞ。
ひとつは昨日の夜遅くに。もうひとつは少し前に」
「………………は?」
カルスはのほほんとした顔で言った。
まるで他人事のように。
「じゃあ、俺達出遅れてるじゃん! なにのんびりしてんだよ!!」
俺は滅茶苦茶焦った。
これで今頃、他のパーティーがテラーモンキーを一掃なんてしていたら報酬ゼロだ。
そしたら、ここまで来た意味がまるで無くなってしまう。
「テラーモンキーは夜行性だから、早朝に行くのが得策なんだ」
アンドルが眠そうな顔をしながら、説明してくれた。
どうやら、彼も今さっき起きたばっかりのようだ。
「きっと、夜遅くに行ったパーティーは今頃、死んでるだろうな」
「……」
カルスはサラッと残酷なことを言った。
死んでる……か。
そう言われると、なんだか複雑な気持ちだな。
話したことは無いが、昨日まではあんなに元気そうだったのに。
まあ、まだ確定した訳ではないが。
「じゃあ、少し前に行ったパーティーは?」
「それもまあ……駄目だろうな」
何を根拠に言っているのかは分からない。
もしかして直観だろうか。
「じゃあ昨日、報酬が山分けになることはないって言ったのは……」
「ああ。俺の直観だ」
……やっぱりか。
本当にこの男のことを信用していいのだろうか?
「早く行こう!!」
気がつけば、みんな準備万端だった。
レイナは言わずもがな。
アンドルとアリスもだ。
「そんじゃ、いくか」
カルスの言葉と同時に、全員が歩みを進めた。
死の森へと。




