一話
気づいたら、森の中にいた。
見覚えのない木々。湿った土の匂い。遠くで鳴く、聞いたことのない鳥の声。
「……マジかよ」
現実味がないくせに、やけに生々しい。
スマホは圏外。地図も出ない。ついでに帰り道も分からない。
異世界転移。
そんな言葉が頭をよぎって、思わずため息が出た。
「笑えねえな……」
とりあえず歩くしかない。立ち止まってても何も変わらないし。
そう思って足を進めた、その時だった。
――ガサッ。
「……?」
すぐ近くの茂みが揺れた。
反射的に身構える。野生動物か、それとも――
「……ぅ……」
小さな声。敵意は感じない。むしろ、弱々しい。
警戒しつつ、ゆっくりと近づく。枝をかき分けて覗き込んで――
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
そこにいたのは、一人の少女だった。
銀色の髪が、土に汚れている。白い肌。細い身体。服はボロボロで、あちこち裂けていた。
倒れている。呼吸は浅い。
「……おい、大丈夫か」
声をかけると、わずかに瞼が動いた。
ゆっくりと、開く。
赤い瞳。どこか、現実離れした色。
「……だれ……?」
か細い声だった。
それでも、ちゃんと俺を見ている。
「……通りすがり。いや、迷子か。どっちでもいいか」
自分でもよく分からない返答をして、軽く頭を掻く。
放っておく選択肢も、正直あった。
ここがどこかも分からないし、余裕なんてない。
でも。
「……とりあえず、死にそうなのは見捨てられねえな」
しゃがみ込んで、そいつの身体に触れる。
軽い。驚くくらいに。
「動けるか?」
「……むり……」
即答だった。そりゃそうか。
「じゃあ、運ぶぞ」
言ってから、少しだけ迷う。
見た目は完全に女の子だ。年下っぽいし、距離も近い。けどまあ、今はそれどころじゃない。
腕を回して、抱き上げる。
「……っ」
ほんの一瞬、そいつの身体が強張った。
けど、すぐに力が抜ける。
代わりにぎゅ、と。
服を掴まれた。
「……離さないで」
小さく、でもはっきりとした声。
さっきまでの弱々しさとは、少し違う響きだった。
「……ああ、分かってる」
適当に返す。
そのまま歩き出そうとして――
「……ねえ」
「ん?」
「……ここ、いていい?」
「は?」
意味が分からなくて、思わず聞き返す。けどそいつは、俺の胸に顔を埋めたまま、続けた。
「……そばに、いたい」
距離が近い。いや、近すぎる。
初対面だぞ。
「……とりあえず、場所移してからな」
そう言うしかなかった。
拒否する理由も、受け入れる理由も、まだ何も分からない。
ただ一つ言えるのはこの状況、普通じゃないってことだけだ。
森を抜けると、小さな街が見えた。
どうにか宿を取って、ベッドにそいつを寝かせる。
水を飲ませて、簡単な手当てをして。
ようやく一息ついたところで、
「……生きてるか?」
「……ん」
小さく頷く。少しだけ顔色も戻ってきていた。
「名前は?」
聞くと、少しだけ間があったてから。
「……ルシエル」
そう名乗った。
「俺は神代。まあ、適当に呼べ」
「……ん」
短い返事。それから、少しだけ視線が揺れて。
「……神代」
「なんだ」
「……ここ、いていい?」
またそれか。さっきからやたらとそれを気にしている。
「……行くとこないのか?」
「……ない」
即答。迷いがない。
……面倒なことになりそうだな。
そう思いつつ、ため息を一つ。
「……分かった。しばらくな」
「……ほんと?」
「ああ。ただし、無理なことは――」
言い終わる前に。ぐい、と腕を引かれた。
「――おい」
バランスを崩して、ベッドに手をつく。
そのまま――ルシエルに、抱きつかれた。
「……ちょ、お前」
「……あったかい」
頬を擦り寄せてくる。完全に密着してる。
距離感どうなってんだこいつ。
「離れろって」
「……やだ」
即答。しかも、さっきより声に力がある。
「……落ち着く」
「俺が落ち着かねえよ」
ため息をつきつつ、引き剥がそうとする。
――その時だった。ぴり、と空気が、揺れた気がした。
「……?」
一瞬だけ、違和感。何かが、触れたような。
でもすぐに消える。
「……どうしたの」
「いや……今なんか」
言いかけて、やめる。
気のせい、か?
「……ねえ」
ルシエルが、顔を上げた。
赤い瞳が、真っ直ぐにこっちを見る。
「……神代」
「なんだよ」
「……離れないでね」
さっきと同じ言葉。でも今度は、少しだけ違う。
どこか確信しているような、声音だった。
「……は?」
「……だって」
ふっと、笑う。
さっきまで弱っていたとは思えないくらい、静かで綺麗な笑み。
「……もう、逃げられないよ?」
「…………は?」
意味が分からない。
分からない、はずなのになぜか背筋が、少しだけ冷えた。
こいつ、今何を言った?
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