そしてペンギンはいなくなった
一
二月も終わりに近づき、私は手書きのポスターを村中に貼って回った。
雪解けの水がさらさら流れて、耳に心地良い。祖母がふきのとうを見つけてきて、天ぷらで食べた。
春はすぐ目の前だ。けど、雪が溶けても私がいなくなるわけじゃない。やるべきことをやっている。
月一で開催しているかるた大会のポスターを、この度作り直した。新沼が作りたいと、うるさかったのだ。そんなに言うならさぞかし立派なものができるのだろうなと待っていたら、ある日学校に段ボールが届いた。
嫌な予感はしていたが、新沼は業者に依頼してポスターを百部も作ってしまった。よかれと思ってやったんだろうけど、一番困ったのは先生だ。
「あのー、新沼君。予算はそんなにないんだよ。今回は僕が払っておくけど」
「あ、代金はもう払い済みなので。ご心配には及びません。良い大会にしましょう」
かるた部主催の大会は名前こそ大それたものだけど、村の公民館でかるたをして、お茶とお菓子を楽しむ牧歌的なものに過ぎない。
毎回十人弱が参加してくれる。年齢層は高いけど、私や雅でも楽に勝たせてくれない。村の人がほとんどで顔ぶれがだいたい決まっているから、競技自体はマンネリしていると言わざるを得ないが、楽しいことは楽しい。
「もっと人を呼び込めないかな」
以前私がうっかりそう漏らしたせいで、新沼が頑張ってしまったとしたらやりきれない。ランプの精みたいな奴だというのを忘れていた。
「あんたさ、私のためなら何でもできるの?」
意地悪をするつもりはなかった。軽い気持ちで新沼をからかおうとしたのだ。
「こんな小さな大会なんかにそんな必死になってないでさ、もっと楽しいことできないの?」
我ながら自分の浅はかさにあきれるばかりだ。楽しいことを知らない私は悪魔にそれを求めた。
「かるたより楽しいことってないよ。雪さん、どうしちゃったのさ」
新沼は私を初めて否定した。私が心から望んでいるわけではないと見透かしているみたいだった。図星だから何も言い返せない。
むかむかしていると、授業中に背後からノートの切れ端が飛んで来た。新沼だ。開けてみると、
「袴の用意とかも出来るけど」
え? なんですか? フォローのつもりですか。物に釣られる安い女だと思われてるってことね。
私は無言で、雅にそのメモを渡した。雅は獲物を捕らえたハイエナのようなキラキラした目をしていた。せいぜいたかられるといい。
私はその日の夜、悔しくて眠れなかった。
こうなったら、大会を絶対良いものにしなきゃ。
二
大会の前日、私たちかるた部は公民館の掃除をした。
村の寄り合いで頻繁に使われているので、掃除の必要はなかったけど、念には念を入れて畳を掃く。
雅は掃除に積極的でなく、私と新沼が丸一日かけて仕事を終わらせた。
息つく暇もないまま先生の家に大量の段ボールが届き、中には老舗和菓子店の羊羹と茶葉がぎっしり詰まっていることがわかった。
「こんなにいらないよ。何人来ると思ってんだよ!」
私と先生は泣きそうになりながら、新沼に詰め寄った。当の本人は涼しい顔で、「大会楽しみですね。僕、明日の準備があるから、失礼します」と言って自室にこもった。
もうどうにでもなれ。
覚悟を決めたつもりでも、夜はなかなか寝付けなかった。今までの大会とは決定的に違うことが起こりつつある。
楽しみっていうより怖い方が勝ってる。新沼が何考えてるか読めないから。
朝八時半、家の戸を遠慮がちに叩く音が、私を眠りから覚ました。雅にしては早いなと思って出てみたら、全然知らない人で驚いた。
大きめのリュックを背負ったバックパッカーの男性だ。年は二十代後半から三十代くらい。四角い輪郭にびっしり髭を生やしていた。目にひょうきんさがあって、それほど怖さは感じない。
「朝早く申し訳ない。公民館ってどこか教えてもらえますか」
興奮を押さえたけど、それでも勢いこんで聞き返す。
「公民館に何かご用ですか」
彼の目的は恐らく私が考えている通りなんだろうけど、念のため確かめた。
「かるた大会に参加したいんだ」
大柄な彼が恥ずかしそうに言ったので、私は笑いそうになった。もちろん失礼な意味ではなく、歓迎の意味を込めてだけど。色々話を聞いてみると、彼は群馬県からやってきたという。新沼がSNSで大会の情報を拡散しており、それを頼りに、交通の便も不便なこの場所に来たのだ。
「まだ開始時刻には早いですよ。お店もやってないし、お茶でも飲んで行きますか?」
「いや、お構いなく。外で時間を潰してるよ」
彼が私の服装に目を留め、慌ただしく出ていってから、パジャマとカーディガンでいることに気づいた。
……、とりあえず着替えよ。
朝、九時五十分、家を出た。祖母も参加予定だから後で合流する。
家の近所の駐車場に車がわんさといたので、もしやと思っていたら、畑を二つ越えた公民館前には人だかりができていた。少なくとも二、三十人はいる。
カラフルな防寒着が私の意識を覚まさせる。先生が一人で受付をしていたので、助けに入る。
それからは戦争だった。公民館だけでは人が入りきらないため、学校の体育館を解放するという方向に。校長に許可を取るのに手間取り、参加者を待たせてしまう。こういうのは前日にやっとくべき事だ。段取りが悪すぎる。
寒い中来てくれたのに、参加者が帰ってしまうのが一番怖かった。その時、近所のおばちゃんたちが、温かいお茶を配ってくれたので、場が和んだ。ありがたい。
体育館に畳をしいて、大会の開会を宣言できたのは十一時。開始予定時刻を一時間も過ぎている。
新沼が、参加者のトーナメント表を完成させており、試合の運びは問題なかった。
畳を焦がすような鋭い音が、体育館の天井まで響く。
ヒーターは出してあるけど、寒さは外と大して変わらない。それでも不平を言う人は誰もいなかった。
老いも若きも、目を皿のようにして一枚の札を追う姿を目に焼き付ける。
とはいえ私も選手だから、試合に手は抜かない。他県から来た強豪相手に血が騒いだ。
残念ながら、私は二回戦で負けてしまったけど、雅は準決勝まで進み、健闘した。雅は青森に来る前は、かるたの強豪校にいたと言っていたから実力は相当だろう。結果とは別に、あれほど熱望していた袴は用意できなかったみたいだ。雅は大会が終わっても、新沼の不備を愚痴り続けた。
私の関係者で雅が一番上位に来ると思ったら、番狂わせが起こった。
大会で優勝したのは、なんとうちの祖母だった。祖母は毎月の大会でも上位に食い込むけど、まさか! という感じだ。肉親がスターになって悪い気はしないけど、現実味がない。
閉会式では津軽三味線の演奏が行われた。耳馴染みのない人に受け入れられるか不安だったけど、皆真剣に聞き入ってくれた。心を鼓舞するような重厚な音の圧が、鼓膜を包んでくれる。
ねえ、聞いてる? あんたにも聞いて欲しかったんだよ。今、どこにいるの。
ペンギンの男の子は、かるた大会をすっぽかして逃げた。




