第1話 転生幼女は「甘やかされ」と「命の危機」の天秤の上にいる
雲のような触り心地に顔を埋めて、私はふぅと幸せのため息を吐いた。
「想像だにしなかった天国……」
そう呟きながら、暖を取るようにひしめくお友達――綿毛スライムたちに身を委ねる。
モフモフからは、花畑のようなとてもいい香りがしていた。
私の安眠は間違いなく、この子たちによって守られている。
例えば私の今の状況を見た人がいたとして、ここが人間と絶賛戦争中の恐ろしい『魔王国』で、私が実の親から捨て駒の『人質』として送られてきたなんて、一体誰が信じるだろう。
……グゥ。
お腹が鳴った。
理由は明白だ。
先程から、綿毛スライムの香りの他に、焼き立てパンのいい匂いがしてきているからである。
「ほらニンゲン。グータラしていないでとっとと起きなさい。城外視察時にお前が『いい匂いだ』と言ったから、せっかく魔王様が店ごと持ってきたのですよ?」
神経質そうなその声にチラリと目だけ向けると、灰色の翼持ちの男・魔王の一の側近レイルが、そこにはいた。
声から受けた印象通り、間違いなく「早くしなさい。ニンゲン風情が」と思っているだろう顔をしている。
たしかにこの前、私は魔王ザクゼディアと一緒に行った視察先で、焼き立てパンが並ぶ店を見て『美味しそうだ』と言った。
けど、店ごと買う……だけでも非常識なのに、それをお城にまで持ってくるとか!
そんなの一度も望んでないし、想像だにしなかったよ!
もしこれが一癖も二癖もある面倒な性格のサボり魔社長の秘書だった一度目の人生だったなら、問答無用ではっ倒して凄んでいたところよ!!
そう思っていると。
「パンが焼けた。そんなところで謎のポーズをしていないで、座れ」
ふいに体がふわりと浮いた。
そう言い私を持ち上げたのは、黒い髪に金色の切れ長の目が印象的な、目の前の男。
彼がザック――こと、魔王ザクゼディアだ。
今日も相変わらず顔に表情がまるで出ない、何を考えているのか非常に分かりにくい顔をしている。
それどころか、私を見て眉間に深い皺を寄せれば、威嚇にも似た強い威圧感をブワーッと周りに振りまいた。
その姿は、まるで『手負いのオオカミ』だ。
でも、これで実は見た目に似合わず、穏健派だったり、他魔族思いだったり、地味に心配性だったりする――ちょこん。
彼が私の脇の下に手を差し入れて持ち上げていた事には、気が付いていた。
でも、その着地地点がザックの膝の上になるなんて、一体誰が想像しただろう。
「わたし、一人で座って食べれるよ」
「お前はきちんと見ておかないと、すぐにウロチョロとして死にかけるからな」
「死なないよ!」
「死ぬ。ニンゲンは脆弱だからな」
困って彼を見上げて言うも、全然取り付く島もない。
ついでに、まるでシートベルトみたいに、ザックの手が腹回りに回されている。
逃げられない。
本当にウロチョロしないのに!
そう思いふくれっ面になっている私の目の前で、レイルからザックに出来立てのパンが手渡された。
その数、二つ。
ザックがそのうちの一つを手にし、私の目の前で一口大にちぎり――。
「食え」
「むぐっ?!」
有無を言わさずに食べさせられた。
驚いたけど、体が勝手にそれを咀嚼して。
「うまっ!」
思わず声が出る。
「美味いか」
「うんっ!」
上から落ちてきた声に、素直に答えた。
思わず笑顔になったのは、何を隠そうパンの力だ。
魔王国の食べ物って、何故かクオリティが高いんだよね。
まるで一度目の、令和の日本のご飯みたいな美味しさ。
二度目では、どれだけいい食事でもここまで美味しくはなかった。
三度目の、私が転生を自覚する前までの人生では、そもそもまともな料理は与えられなかった――ん? アレは……。
「あっ!」
「どうした」
思わず声を上げた私に、ザックが聞いてきた。
私は首を横に振って、即座に「何でもない!」と答える。
が、何でもない筈がない。
ブワッと冷や汗が噴き出してくる。
それでも悟られないように、視界の端をもう一度チラリと確認してみた。
部屋の隅。
つい今しがたまで枯れかけていた切り花が、瑞々しく咲いている。
他の誰もその事実には気づいていないようだけど。
――よかった。
辺りを盗み見て、安堵する。
今日こそはバレちゃったかと思ったよ。
私が、脆弱と言われるニンゲンの中で、唯一魔王を殺せるだけの力を持つ存在――聖女だっていう事が。
生命を補う魔法は、聖女にしか使えないとされている力の一つだもの。
その事は、彼らも――いや、むしろ彼らの方が多分よく知っているから。
あー、本当に心臓に悪い。
何で暴発しちゃうんだろう。
こんなのバレたら、殺されちゃうよ。
そうじゃなくても、もし庇護者であるザックが国を纏めるのに失敗して権力を失ったら、ニンゲンの私は後ろ盾を失って『反ニンゲン派』と『主戦派』から血祭りに上げられちゃうのに。
そうならないように今、頑張ってザックの国営に手を貸して、人望集めをしているところだ。
でも、それもまだ発展途上。
特に今は、怪しまれるような事さえ命取りだろう。
幾ら一度目の人生から引き継いでいる『ヤンキーメンタル』と秘書力を持っていても、二度目の人生で『淑女の鑑』的な立ち居振る舞いを身に着けていても、私には武力と呼べるものがない。
肉体の耐久も、魔族それぞれに備わるスキルのような力も、私は持っていない。
一応聖女の力はあるけど、全然制御できないし、練習だって場所と時間が限られる。
――三度目こそ死なない。
それが三度目の転生を果たした私の今世での目標だ。
なのに、私はこの魔王国で毎日、【聖女】という名の不定期に勝手に爆発する時限爆弾を抱えたまま、どこに地雷原を歩くような綱渡りの日々を送っている。
……いやまぁ半分くらいは、私が自分から首を突っ込みに行っているからではあるんだけどさ。
でも、だから私には『命の危険』に晒されていない時間なんて存在しない、筈なのに。
「まったく。口の端にパンの欠片を付けたまま喋るなど、はしたない事この上ない」
モグモグと咀嚼している私の頬を、横から伸びてきたレイルの手がグイグイと拭いてきた。
「そのままでは風邪を引くじゃないですか。せっかく綿毛スライムがいるのですから、膝の上に一匹載せて暖を取りなさい」
「あ、うん」
「そのままパンを食べていたら、貴女の事です。絶対にパンくずを落とすでしょうから、このハンカチをスライムの上に置いておきなさい」
「わかった」
「あぁほら魔王様も――」
仕方がないなと呆れた顔で、今度はテキパキとザック相手に世話を焼き始める。
一方ザックは、私の次の一口を、既に千切って用意していて、何なら無言で口元に当ててきた。
それをモグモグと咀嚼しながら、思う。
膝の上には、モフプニな神心地の綿毛スライムの感触だ。
ご飯は美味しいし、レイルは世話焼きで過保護。
ザックはサラッと甘やかしてくる。
『命の危険』の中にありながら、『甘やかし』の洪水を受けているこの現状……。
こんなの私、温度差で風邪引いちゃうよっ!
何でこんな事になっているのかというと……紆余曲折あったんだけど、最初のきっかけは間違いなくアレ。
精神的な加虐趣味を持った継母によって、魔王城に送り出された事である。
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