第三十話:二枚目の盾、天才への手土産
絶望のパンデミックと、それを吹き飛ばす最高に幸せな生誕祭の饗宴から一夜明けた。
朝日が差し込むフォンテーヌ伯爵邸の領主執務室。そこに呼び出された俺とセラの目の前には、フォンテーヌ伯爵とフェリシアが、深い感謝と敬意を込めた顔で立っていた。
「アルフレッド殿。……昨晩は本当に、なんとお礼を言って良いか。我が領民数千の命と、愛娘サラの命を救い、さらにはフォンテーヌ家の誇りまでも守ってくれた。あなたは我ら一族にとって、永遠の恩人であり救世主だ」
伯爵が、大貴族としての威厳をかなぐり捨て、深々と頭を下げる。
隣に立つフェリシアも、美しい黄金色の瞳に涙を浮かべながら、優雅なカーテシー(お辞儀)をしてくれた。
「アルフレッド様、セラさん。あなた方お二人がいなければ、この領地は地獄の底へと沈んでいたでしょう。……本当に、本当にありがとうございました」
「顔を上げてください、お二人とも。俺はただ、料理人として、バーテンダーとして目の前のお客様のご要望にお応えしただけです」
俺が肩をすくめてそう言うと、伯爵は感極まったように何度も頷いた。
「アルフレッド殿のその無欲さには、恐れ入るばかりだ。だが、領主として、そして一人の父親として、このまま無償というわけにはいかないね」
伯爵は執務机の上に置かれていた、重厚な装飾が施された木箱をコトンと押し出した。
「まずは、あの『本山葵』の件。アルフレッド殿が発見し、調理法まで示してくれたあの香辛料は、我が領地の特産品として国中に売り出す手はずを整えた。その莫大な利益の『二割』を、発見者であるアルフレッド殿に永久に支払うことを約束しよう」
「ふむ……」
俺は木箱を一瞥した。中には、おそらく目も眩むような金貨や宝石が詰まっているのだろう。だが、俺はそれを手に取ることはしなかった。
「お気持ちは大変ありがたいのですが、お断りします」
「なっ……なぜかね! これほどの功績、金貨の山を積まれても全く不思議ではないのだよ!?」
伯爵が信じられないという顔で立ち上がる。
「俺はただの料理人で、バッカス亭の雇われバーテンダーです。莫大な不労所得や金貨なんて持たされても、使い道がないし、何より『バーカウンターに立つ動機』が薄れちまう。……俺は、自分の腕一本で稼いだ金で、美味い酒を飲んで飯を食う生活が好きなんですよ」
俺が口調を崩してそう言うと、フェリシア様が「アルフレッド様らしいですわ……」と呆れたように、しかしひどく優しげな顔で呟いた。
「だが……それでは我がフォンテーヌ家のメンツが立たない! 命を救われた上に、特産品まで一方的に搾取した強欲な領主だと思われてしまいかねない。」
伯爵が食い下がる。
「強欲だなんて誰も思いませんよ。……ですが、どうしてもとおっしゃるのであれば、今回は『フォンテーヌ伯爵家の貸し一つ』ということにさせてください」
俺はニヤリと笑い、伯爵の目を真っ直ぐに見据えた。
「今後、俺の店や俺の大切な人たちに、理不尽なちょっかいをかけてくる馬鹿な貴族が現れた時。……その時は、フォンテーヌ伯爵家の全力をもって、そいつを叩き潰す『最強の後ろ盾』になってください。俺が欲しいのは、金よりそっちです」
「……っ」
伯爵は絶句し、やがて腹の底から湧き上がるような、笑い声を上げた。
「はははっ! これは参ったね。 まったく、とんでもない男だ! ロズウェル家だけではなく、我がフォンテーヌ家の『絶対の庇護』を約束させるとは! 良いだろう、我が家の名誉にかけて誓おう。貴殿とその仲間たちに仇なす者は、このフォンテーヌが全軍をもって容赦なく叩き潰してやると!」
「助かります。……あ、それともう一つだけ。今回の薬作りに協力してくれた行商人のラモンさん。彼の商会に、この伯爵領での自由な商売と、特産品(山葵)の独占的な卸売り権を認めてやってくれませんか? あの人がいなきゃ、領民たちは救えなかった」
「承知した! ロズウェル領とフォンテーヌ領を繋ぐ、最強の御用商人として遇すると約束しよう!」
かくして、俺は莫大な金貨の代わりに、大貴族の「絶対の貸し」と「最強の後ろ盾」という、金では買えない最大の報酬を手に入れたのだった。
◇◇◇
翌日。
俺とセラ、そしてフェリシアの三人は、無事にロズウェル男爵領へと帰還し、懐かしきバッカス亭へと戻ってきた。
「帰ったか!」と豪快に迎えるバッカスの親父さんに軽く挨拶を済ませると、俺はすぐに店の隣——ラモン商会に併設された診療所へと足を運んだ。
診療所の扉を開けると、そこには相変わらず機嫌が悪そうに眉間に皺を寄せ、薬品の調合をしている天才医師・ガレンの姿があった。
「……なんだ。せっかく静かだったのに、騒々しい連中が帰ってきやがったな」
ガレンは俺たちの顔を見るなり、舌打ち混じりにそう吐き捨てた。
「ただいま帰りました、ガレン。……相変わらず素直じゃないですね」
俺が苦笑いしながら診療所に入ると、ガレンは手を止めて俺を睨みつけた。
「フン。で、どうだったんだ? 例の『白い粉』は。お前の料理の魔法とやらで、何か判ったのか??」
「……ああ。判ったなんてもんじゃありませんよ。ガレンのあの粉がなかったら、数千人の領民と、伯爵の愛娘が全滅してました。」
俺の言葉に、ガレンの目がわずかに見開かれた。
「あれは、『ペニシリン』っていう世界で初めての抗生物質です。顕微鏡もないこの世界で、ガレンがたった一人で細菌の分離と抽出に成功したんです。……ガレン、あなたは紛れもない天才だ」
俺が真顔でそう告げると、ガレンは少しの間ぽかんとした後、「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「……大げさな奴だ。私はただ、患者の膿から邪魔な虫を消す方法を探していただけだ」
「それでも、です。ガレンのおかげで、俺たちは最悪のパンデミックから多くの命を救えた。……これは、俺からの『報酬』と土産です。受け取ってください。」
俺は鞄から、あの源流で採取した『本山葵』を一本取り出し、ガレンの机の上に置いた。
「ほう……見たことのない根だな。強い薬効成分の匂いがする」
「これは、極上のスパイスでもあり、殺菌作用もあるものです。これをすり下ろしてアルコールと混ぜれば、強力な消毒液の代わりにもなるはず…研究に使ってください」
ガレンは興味深そうに山葵の根を観察し、コクリと頷いた。
「悪くないな。……だが、これだけか? お前なら、もっと面白い『魔法』を見せてくれると思ったんだがな」
「ご期待通り、とっておきがありますよ。……アイリス、例のサイクルを」
【……了解。ハンプソン・リンデ・サイクル、構築開始】
俺の胸元から実体化したアイリスのシステム音声と共に、俺は腰から愛用の銀のシェイカーを取り出した。
「!?…誰だこいつは!…」
「この子はアイリス、俺の魔法で作った相棒みたいなものです」
ガレンの驚愕もよそに俺の魔力とアイリスの演算が、シェイカーの中で超速のループを描く。空気を極限まで圧縮し、そこから熱を奪って一気に膨張させる。
数秒後、シェイカーの表面が真っ白な霜に覆われた。
「な、なんだ? 周りの空気が急激に冷えて……」
ガレンが驚いて立ち上がる。
俺はシェイカーのトップを外し、中に生成された無色透明の液体を、ガレンの机の上にあった空のガラスビーカーへと静かに注ぎ込んだ。
モクモクモクッ!!
その液体がビーカーの底に触れた瞬間、凄まじい白煙が机を覆い尽くし、液体がボコボコと激しく沸騰し始めた。
「なっ……!? 火も使っていないのに、水が沸騰しているだと!? いや、違う……これは、触れれば凍傷になるほどの強烈な冷気か!?」
「『液体窒素』と言います。空気を極限まで圧縮して冷やすことで、液体に変化させたもの。温度はマイナス一九六度。どんなものでも一瞬で凍らせる、究極の冷却材です」
俺の説明に、ガレンは震える手でビーカーに近づき、圧倒的な冷気に魅入られたように目を輝かせた。
「す、凄まじい……! これほどの超低温が維持できれば……今まで不可能だった、薬品の急激な冷却や、傷んだ細胞組織の保管が可能になる……!」
「気付きましたか。あなたは自力でペニシリンを発見した。そのうち、病気を未然に防ぐ『ワクチン(予防接種)』の概念にもたどり着くはずです。その時、絶対にその『超低温で長期間保管する技術』が必要になる」
俺がそう告げると、ガレンは俺をバッと振り返った。その目には、いつも不機嫌そうな偏屈医者の面影はなく、純粋な医学的探求心に燃える『天才』の光が宿っていた。
「アルフレッド……お前、私にこれをどうやって作るか、その魔法の原理を教える気はあるか?」
「もちろん。ガレン、あなたが望むなら、いつでもこのシェイカーで液体窒素を作って差し上げますし、原理も教えましょう。……俺の奢りです、遠慮なく医学の発展に使ってください」
「……ふっ、ははははっ!」
ガレンは机に両手をつき、珍しく声を上げて笑った。
「金や名誉ではなく、未知の探求(技術)を土産に持ってくるとはな。……お前という男は、どこまで私を驚かせれば気が済むのだ。いいだろう、その『液体窒素』とやら、徹底的に研究してやる。せいぜい協力しろよ、バーテンダー」
「ええ、望むです、天才医師さん」
俺たちは机越しに、初めて『対等の協力者』として、固い握手を交わした。
莫大な金貨や、貴族としての名誉。
そんなものよりも、俺の周りには、金では買えない最高の仲間と、探求心に溢れた天才たちがいる。
この異世界でのバーテンダー生活は、まだまだ面白くなりそうだった。
これにてパンデミック編完結です! ここまで怒涛の更新にお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
……と言いたいところですが、本日このあと【0時】に、ちょっと短い閑話を特別更新します! アルフレッドの規格外な活躍を、上から見ていた存在の???のリアクションです。ぜひ寝る前あるいは明日の朝にサクッと読んでみてください!
面白かった、ガレンおまえやるやんけ! と思っていただけたら、ぜひ下部の【☆☆☆☆☆】から評価やブックマークをポチッとお願いします。作者の執筆の原動力になります!




