第十七話:理想を刻む場所
「バッカスさん、ただいま戻りました」
バッカス亭の扉を開けると、いつもの煤けた木の匂いと安酒の香りが俺を包み込んだ。カウンターの奥では、バッカスさんが熊のような身体を揺らしてグラスを拭いている。
「おお、アル坊! 無事だったか。男爵様の方も片付いたようだな」
俺はカウンターに腰を下ろし、フェリシア様の容態が劇的に改善していることを報告した。バッカスさんは「さすがは俺が見込んだ相棒だ」と、自分のことのように豪快に笑い、俺の肩を何度も叩いた。その重みに、ようやく日常に戻ってきた実感が湧く。
だが、報告はそれだけでは終わらない。
「バッカスさん、折り入って相談があります。実は……この店を改装しようと思っています。」
その言葉に、バッカスさんの手が止まった。
「……あ? 改装だぁ? おいおい、アル坊、この店に何か不満でもあるのか? 確かにボロいが、これでも俺が守ってきた城なんだぜ?」
「不満じゃありませんよ。むしろ、バッカスさんが守ってきたこの場所を、『癒やしと美食の拠点』にさらに進化させたいんです。男爵様から、私の提案する事業への先行投資として莫大な予算を頂くことが出来ました。バッカスさん、俺を信じてくれませんか?」
「男爵様が金を出す……!? ったく、勝手なことしやがって…まぁ、お前がそこまで言うなら、よっぽどの勝算があるんだろうな。ガハハ! 分かったぜ、アル坊! お前の描く夢、俺の店で形にしてみせろ!」
◇◇◇
バッカスさんの快諾を得て、数日後には改装計画の打ち合わせが始まった。
「まず、カウンターの素材ですが、上質な『オールド・オーク』の無垢材を使いましょう。数百年かけて育った木材が持つ、しっとりと手に馴染む重厚感が、客に極上の安心感を与えるはずです。そして床は清掃しやすいよう、魔法コーティングを施した石材に」
俺が図面を指し示すと、セラがいつもの冷静な口調で付け加えた。
「…厨房の動線も再設計が必要ですね。アル様のレシピをバッカスさんが再現するなら、今の配置では無駄が多すぎます」
「そうですね。バックヤードに繋がる壁も抜いてしまって効率、動線が良く、お客様も目で楽しむことも出来るオープンキッチンに作り替えましょうか」
「……ふん、勝手に盛り上がってろ。だが、私の診療所を併設するなら、防音と防臭の処置を忘れるなよ。酔っ払いの喧騒を聴きながら診察など御免だ」
ガレンさんは不機嫌そうに、だが熱心に自分の区画をチェックしている。
(ガレン……口では文句を言いながら、しっかり最新の薬草棚を注文してやがるな。しかしオープンキッチンとなると…)
俺は心の中で苦笑しながら、彼の要望も図面に組み込んだ。こうして、バッカスさんの「酒場魂」、セラの「機能美」、ガレンの「医学的合理性」、そして俺の「理想」が混ざり合った、店舗計画が完成した。
数日後、いよいよ着工の日を迎えた。
店からは古い什器が運び出され、芳醇な木の香りが漂う最高級の建材が次々と運び込まれる。アイリスの計算に基づき、魔力の循環まで計算し尽くされた工事は、魔法を併用することで驚異的なスピードで進んでいった。
改装も終盤に差し掛かったある日、店にラモンがひょっこりと顔を出した。
「ははっ、随分と景気のいい音がしてるじゃねえか、アルフレッド様」
工事の喧騒の中、俺はラモンをまだ未完成のカウンターへと招いた。
「ラモンさん、ちょうど良かった。あなたには話しておかなければならないことがあります。例の商会設立の件、男爵様に掛け合って承認をいただきましたよ」
その瞬間、ラモンが手に持っていた扇子が止まった。
「え?……男爵様の承認だと? あんた、本気で言ってるのか?」
「もちろん本気ですよ。ラモンさん、あなたが望んでいた『商会』の設立です。それから、これを受け取ってください」
俺は男爵から預かっていた重みのある革袋と、一つの小さなバッグを差し出した。
「それは……まさか、『空間拡張』と『時間停止』が付与された魔法袋か!?」
「ええ。馬車一台、背負子で歩き回る行商はもう終わりです。ラモンさん、あなたにはこの商会を率いて、海産物の輸入と男爵領の特産品の輸出を一手に引き受けてもらいたい。あなたが走り回って最高の素材を集め、私がそのレシピを出し、バッカス亭で提供する。物流で男爵領も潤い、店も潤い、あなたの商会も潤う。全員がウィンウィンの関係です」
アルフレッドはピースを曲げ伸ばしし、少しおどけて見せた
ラモンは魔法袋を震える手で受け取り、絶句した。それから、やわらかな笑みを浮かべた。
「ははっ…敵わねえなあんたには…」
彼は膝を叩き、愉快そうに笑った。
「本当にありがとう。その話 このラモン、全財産とこの命を賭けて乗らせてもらう! あんたが、いやアルフレッドさんが描く未来、最高にワクワクするじゃねえか!」
◇◇◇
ラモンとの合意を終え、改装は一気に完成へと向かった。バッカス亭の隣には、ラモン商会の一号店として「ガレンさんの診療所付」店舗が併設された。
「……おい!、なんで診療所はこちらに併設なのだ!?さらになんで俺が店番までやらなきゃならんのだ!」
「見たらわかるでしょう?酒場の方はオープンキッチン導入のため仕方なくです。ええ。仕方なくです。
それに人手が足りません。ラモンさん一人で物流と店番は出来ませんからね。それも見たらわかるでしょう?これも地域医療の一環だと思ってください」
「だからと言って店番なぞ…」
「わかったら街の皆さんのためしっかり働いてください。それでは他の確認作業があるので!」
「お、おい待て、話はまだ!…チッ…いいように使いおって…」
ガレンさんは毒づきながらも、新しい診療所の設備には満足しているようだった。
――そして、ついにその日が来た。
新生バッカス亭、再オープン初日。
扉を開けると、そこには以前の面影を残しつつも、凛とした気品と圧倒的な清潔感を纏った空間が広がっていた。深い飴色に輝くオールド・オークのカウンターは、魔法の光を反射して柔らかい温もりを放っている。
「お、おぉ…マジかよ…信じられねえ。これが本当に、俺の店か?」
バッカスさんが感極まったように店内を見渡している。
「バッカスさんの店ですよ。ただ、少しだけ誇らしく、胸を張って『最高の店』だと言えるようになっただけです」
開店の準備を整え、皆が緊張した面持ちで開店時間を待っていた、その時だった。
外から、複数の馬の蹄の音と、重厚な車輪の回る音が聞こえてきた。バッカス亭が面する細い路地には、明らかに不釣り合いな威厳に満ちた振動。
「おいおい、初日から随分と景気のいい音がするじゃねえか。誰だ?」
バッカスさんが窓から外を覗き見た。その瞬間、彼の身体が石像のように硬直した。
「……おい、アル坊。おい、見ろよ。……あそこにいるのは、天使か? それとも女神様か?」
扉が勢いよく開かれ、一人の女性が店内に足を踏み入れた。
輝くような金髪を揺らし、好奇心に満ちた瞳で店内を見渡す女性――フェリシア様だ。その後ろには、威厳に満ちた男爵本人が、満足げに頷きながら控えている。
「アルフレッド様! 一番乗りでお祝いに参りましたわ! まぁ、なんて素敵な場所でしょう!」
フェリシア様の鈴を転がすような声が、新生バッカス亭に響き渡る。
「……え、お嬢様? ……男爵様だと!?」
バッカスさんが慌てて姿勢を正し、セラの持っていた布巾が床に落ちる。ガレンさんも目を剥いて絶句していた。
「ごめんください。こちらが、アルフレッド殿が手掛けた店ですかな? 実に見事な仕上がりだ」
男爵が店内を見渡し、その設えの良さに感嘆の声を漏らす。
アルフレッドは「来るなら来ると言っておいてくれよ」と内心呟いたが持ち前のバーテンダースマイルをぶらさず歩み寄った。
「ご無沙汰しております、男爵様。お力添えを頂きましてバッカス亭は生まれ変わることが出来ました。こちらが店主のバッカスさんです」
「お、おう初めまして男爵様、店主のバッカスだ…」
「おぉ…あなたがバッカス殿か!アルフレッド殿のお陰でフェリシアは助かった。大切な従業員を送って頂けて本当に感謝に耐えない!!」
男爵は緊張するバッカスの手をむんずと握りが満面の笑みで握手した。
「では、男爵様、フェリシア様、お席にご案内致します。こちらへ。」
俺は最高の微笑みを持って、彼らを迎えた。
謎熱が出ました。
寝ました。
治りました。
なんだったんですかね?
ぜひ評価いただけると励みになります!




