20-2 守りたいは優しい強さ(エランド視点)
王都と隣接する林道に位置する砦、そこでヴォルフ率いる軍の者達を迎える手筈となっていた。
王都から引き連れてきた兵数百人を整列させ、砦を背に先頭で待つ。
少しして、道なりに軍隊がコチラに向かってきているのが遠目に見え、それは俺の目の前までやって来た。
俺が産まれる前の魔王との戦争からずっと戦い続けてきた辺境の勇敢な戦士達。体も心も披露困憊しているだろうに、誰一人俯かず、誇らしげに胸を張って行進している。
彼らが希望を失わず戦い続けられたのはきっと、いつも先頭で彼らの士気を高め、心に希望の光を灯し続けさせた男の存在のお陰なのだろう。
雪の様に真っ白な鬣を靡かせる白銀の狼の魔獣に跨がっている男、ポジェライト辺境伯当主、ヴォルフ・ジョセ・ポジェライト。
この国に住む者はその名を知らぬ者はいないと言われている程の天才魔導師。彼が今操っている魔獣も、本来ならば召喚者の魔力を源に作られた魔力の化身であるが故、召喚者は魔獣を召喚中はその場から動く事が出来ず魔力をひたすら消費するという高度な魔法だ。
だというのに、ヴォルフはいとも簡単に魔獣を召喚して、その背に乗るという桁外れな事を難なくこなしている。更には、魔力が枯渇するような素振りも見せず、魔獣召喚と他の魔法の連動も同時にこなすという化け物っぷりだ。このような事が出来る人物などこの国にはヴォルフしかいないだろう。
ポジェライト辺境伯の納めている土地は国境の境目と、魔の森が隣接している事もあり、極めて危険な土地になっている。ポジェライト家が永きに渡り、その土地を加護してくれているお陰で、この国の民達は魔物の脅威に晒される事なく暮らしている。この家紋は王家ではなく国に仕えていると言われている程、国とそれに準ずる民に寛容な者達だ。
遠い昔に、王家が民を虐殺し己の至福を肥やした者が現れた時、真っ先にその首を斬り捨てたのがポジェライト家だったらしい。破滅に向かう筈であった国を救った者であったが、次期国王に名乗りを上げる事もせず、王家を血で汚したと責め立てられても、彼らは志を貫き通したという。王家の血筋に準ずる幼き末王子を王位に就かせ、最後まで国を導いたと。
ポジェライト家に対する過去の伝説は多様にあるが、どれも勇敢に戦ったものばかりだ。
そして今現在、ポジェライト家の直系の血を引いているのは当主のヴォルフと娘のウィズ、最近産まれた嫡男の三人のみとなっている。
前当主を含む、ポジェライト家の者達は魔王討伐戦の時に最前線で戦い、皆その命を散らしてしまったと聞く……。
魔王が最初に現れた地がポジェライト家の土地に隣接する魔の森だった。各方面に増援を要請したが、魔物は留まる事なく溢れ出た。しかし、彼らは逃げる事をせず、民を守る為に最期まで勇敢に戦ったのだと。もし、あの局面で彼らが諦めて逃げていたとしたら、一体何千人という民と大地が犠牲になっていた事だろうか?
ヴォルフはその戦争でのポジェライト家の生き残りだ。あの日に何があったのか……詳しい事情は生きた伝説である彼しか知らない事だ。
そうこう学んでいたポジェライト家の歴史を思い浮かべているうちに、ヴォルフは砦へと到着した。
ヴォルフは白銀の狼の魔獣の背から飛び降り、魔法の杖の先を地面に突き刺すと魔獣は冷気を溢れ出させて霧散した。
そして、青い瞳で俺を見下ろしてくる、その瞳の色と内に秘める揺るぎない信念の強さが、どこかウィズを彷彿とさせた。
「お待ちしていましたポジェライト辺境伯」
「お前は……」
ヴォルフは周囲の状況を確認し、そうかと頷いた。
「ファンボスの息子か」
「ええ、そうです」
ヴォルフは俺をしばしジッと見つめてから、胸に手を当て頭を垂れた。
「ポジェライト辺境伯当主、ヴォルフ・ジョセ・ポジェライト、並びに我が兵達は今を持って王都へ帰還致しました。一同、礼!」
ヴォルフのかけ声を合図に、ポジェライト家の兵士達は一同頭を下げた。
「長きに渡る魔物討伐の任務大義であったと国王陛下からもお言葉を賜っています」
「ありがたく頂戴致します」
「頭を上げてください」
俺の言葉に皆が姿勢を正す。
「俺はエランド・エミリオ・ヴァンブル、この国の第一王子です、本日は国王陛下の名代として勇敢な兵士の皆様を迎えに来ました」
「王子自ら……」
王子自ら迎えにくるなんて、各国の王族同士位でしか行わない特例だろう。ポジェライト家の兵士達から驚きの声が漏れる。
「迎えは不要と伝えた筈だが……」
独り言のように呟いたヴォルフの言葉に笑いながら答えた。
「国王陛下は皆の安否を心より心配しておられた、そしてこの度の討伐の任務も褒美をとおっしゃっておられますよ」
ヴォルフの顔があからさまに歪んだ。なんというか、面倒くさそうというか、迷惑そうというか、その顔には「褒美なんていらない」と書かれているようだった。父上“からの”褒美だからだろうか? 二人の気安い関係が少し垣間見えた気がした。
「王太子殿下とお呼びしても?」
「いえ、俺はまだ王位継承が決まった訳ではないのです」
俺の後ろに並ぶ兵士達からピリついた空気が醸し出された。別に無礼とは思わない、ポジェライト辺境伯は今日まで戦場にいたのだ、この手の話に疎いのは仕方ないだろう。
「失礼致しました、ではエランド殿下と」
「ああ」
「我が兵の幾人かは既に領地へ帰しております、大怪我を負ったものや、家族が待つ者達など、その無礼をお許しください」
「許す、ではこの場所に集った者達を王都へ案内しましょう、凱旋パレードの準備もしていますので」
またヴォルフの顔が歪んだ、パレードはお気に召さないのだろうか。
にしても、無表情に見えてどうやら感情が顔に出やすい方のようだ。こういう所もなんだかウィズに似ている気がする。
「ウィズ嬢も、貴方の帰還を心から楽しみにしていましたよ」
似ていると思っていたからか、ふとウィズの名前を口にしてしまった。
途端、ポジェライト家の兵士達がざわめき立つ。
「俺達のお姫様は元気にしていたんだな」
「お生まれになってからまだ一度も会えていないからな! どれだけ会えるのを楽しみにしていた事か!」
「御令嬢は血なまぐさいのは嫌いだろう? 俺達の事怖がらないかな?」
「まずご挨拶をしていいのかだよなぁ」
「笑顔が見られたらいいな!」
「きっと可愛らしいんだろうな~」
ウィズの名前が出ただけでこの沸き立ち様。どうやらポジェライト家の皆にはウィズは愛されているようだ。
この者達が、今のウィズの境遇を知れば、無体を働いた奴等に対し剣を片手に乗り込みそうな気すらするのはきっと気のせいじゃないんだろう。
「ウィズは……元気ですか?」
ヴォルフはぽつりとそう零したが、視線は逸れている。
「元気ですよ、早く会って抱きしめてあげてください、きっと喜びますから」
だが、ヴォルフにはウィズの境遇について正しく伝えなくてはならないだろう。今の環境は決して良い環境にいるとは言えないのだから。
ヴォルフへ王都までの段取りを簡潔に説明し、共に王家の馬車に乗り込んだ。それを先頭に馬車はゆっくりと動き出し、他の兵士達は歩いて着いてくる事となっている。
そして、馬車の中で今のウィズの状況について全てヴォルフへ話した。俺が見た悪辣な屋敷の状態、ウィズが泣いていた事、使用人のずさんさについて全て。
ヴォルフは黙って話を聞いていたが、俺が一通り話し終えると額に手をあてて深い溜息を吐いた。細められた瞳は険しく、落胆と憤りを感じる。
「王都の屋敷にはあえてソフィア以外のポジェライト家の者を置いていなかった」
「それは何故」
「見知ったウェスト家で固めていた方が、俺を嫌うレベッカの心が安まるかと、思っていたが……」
思い違いだったようだと沸き上がる怒りを堪えながらヴォルフは自嘲気味に笑った。
「証拠と証言をまとめた書類もあります、凱旋パレードが終わったら全てお渡し致しますが、簡潔にまとめたものでよければ今手元にあります、ご覧になりますか?」
「ありがとうございます」
書類をヴォルフに手渡した。しばしの時間ヴォルフはそれに黙々と目を通し、見終えるとグシャッと書類を握り潰した。
「……感謝致しますエランド殿下、まさかここまで舐められていたとは」
「ウィズ嬢の傍には常にソロル子爵夫人が居ましたし、今では俺や第二王子のメティスも気に掛けている事もあり、昔程酷い扱いではなくなっています」
「王子二人が何故」
ウェスト家に向けられていた怒りが、何故か今度はこちらへと向けられた。狭い馬車の中でヴォルフからの鋭い視線が俺に突き刺さる。
「王城で知り合ってから懇意にさせてもらっている、ので」
「ほう……」
それ以上多くは語らなかったが、ヴォルフは先程までの大人しい臣下のフリは止めて、絶対的な力を持つ強者として俺を見下ろしてくる。
「あまりうちの娘に深入りはしないで頂けますか」
「何故、ですか」
「貴方がファンボス陛下の息子だからです」
それはどういう意味かと詰め寄ろうとしたが、ヴォルフは黙れというように俺を射貫く。
「しかし、ウィズが貴方達に守られていた事も事実、それに対しては深く感謝致します。ならば俺は貴方に対し、礼を示さねばならない」
ヴォルフは馬車の中の左右のカーテンを閉めて、外からの視覚を遮断した。馬車と平行して馬を操っていたルイとロッカスは驚いたようだったが、俺はヴォルフの行動に従う。
「どうせ、ファンボスは息子を傷付けたくないだとか、守りたいだとか、そんな思いで言わずにいるだろうから、俺から教えてやろう」
「何を、でしょうか」
「第一王子であり、全てにおいて優秀だと賞される貴方が、未だに王太子に任命されない根本的な理由について」
ドクンと心臓が跳ねる。
誰もが不思議に思い、けれど聞く事など許されなかった問題だ。この話題を振るという事は先程の俺を「王太子と呼んでも構わないか?」という問いは失言ではなく、俺の反応を見る為にわざと言ったという事だろう。
「貴方はそれを知っているのか……」
「知っている訳じゃない、知識として気づいているだけだが」
ヴォルフは頷き、話を続けた。
「第二王子のメティスが並びに優秀であるという点も確かにあるだろう。だが、一番の問題は昔から伝わるくだらない風習の名残だ」
「風習?」
ヴォルフは声を小さくして、俺の瞳を見つめる。
「知っているか? 倒しても倒しても甦る魔王の特徴を」
「特徴……」
「必ずと言っていい、魔王は銀の毛に赤い瞳の姿をしている」
「……」
「獣のような姿で現れた時も、人の形をした時も、化け物であった時ですらその特徴は変わらない。故に、人々は銀の髪と赤い瞳の容姿を持つ者は不吉の象徴であると恐れて差別していた」
ヴォルフは自分の一束で結んだ銀の髪を手に取った。
「銀の毛は珍しいが居ない訳ではない、銀の毛というだけで差別を受ける事はないが……赤い瞳は別だ」
あ……と、自分の見目を思い浮かべる。
俺の瞳の色は、真っ赤な赤であると。




