エピローグ
年が明けてしばらく、王都の雪がようやく溶け始めたころアーシュリア・シルクティアは勤め先の伯爵家に短い休みを申し出た。
実家であるシルクティア侯爵家に顔を出し、ついでに領地近くの別荘に家族で滞在している友人に会うためである。
友人はアーシュリアが持ってきたお土産を手にして顔をきらめかせた。
「まあ、素敵! これが噂のイリスローズ商会の白粉なのね……わたしが普段使っている片栗粉とは全然違うわ!」
「あんまり大きい声で言わないでよ。王室御用達はいろいろ絡むんだから」
鏡を見つめたはしゃいだ声を上げる友人にアーシュリアは少しだけ眉をしかめた。
エリザベス・アンガー・セレナード王太子妃は平然とした笑みを浮かべる。
「ならもっと品質の良いものを持ってきて貰わないと……わたしに鉛の白粉を渡そうとしたこと忘れてないわあの業者!」
「鉛中毒が学術的に証明されたのは最近の話ですもの。売れてる方を渡すでしょ、ふつう」
「でもわたしは鉛中毒の危険を既に指摘していたのよ。だったら避けるでしょ、ふつう」
「……それはそうね」
エリザベスの言い分にアーシュリアは素直にうなずいた。
鉛の白粉は法律で禁止されるまでセレナ王国の上流階級でごく当たり前のように使われていた。
アーシュリアはまだ若く化粧をする必要がほとんどなかったので白粉を叩く機会の方が少なかったけれど、妙齢のご婦人の間で使用が一般的になってくると徐々に健康被害が聞かれるようになってきたのだ。
エリザベスは帝国から最新の論文を取り寄せいち早く鉛中毒の危険を社交界に喧伝し、最終的には法規制まで持っていった。
論文を調べて渡したのはアーシュリアなのだけれども。
(もしばれたら、私の家にも鉛の白粉が届くかしら)
アーシュリアは漠然とそんなことを考える。
もっともシルクティア家はイリスローズ商会と原材料の取引契約を交わした関係で真珠とシルクの白粉が格安で手に入るようになったから、そんなもの今さら貰っても使わないだろうけど。
「このチャームも気に入ったわ。付け替えが出来るから気分によってチャームの種類や数を減らせるし、ブレスレットにもアンクレットにもなるのはいいわね。ベルト飾りにつけてみてもいいかもしれない」
「それは面白いアイディアね」
鏡の前に立ってあれこれとチャームアクセサリーを弄ったエリザベスは満足したのか振り返って笑みを浮かべた。
「今回のお土産はとっても気に入ったわ。ありがとう、シェリア」
「どういたしまして」
「この出産のお守りは毎日付けるわ。白粉も、つわりで顔色が悪くなるとき役立ちそうよ。香りもすっきりしているし」
「ならよかったわ」
アーシュリアは微笑みを浮かべた。
公にはなっていないがエリザベスは現在フェルナンド王太子の三人目の子を妊娠中だ。
手紙でこっそり教えて貰っていたアーシュリアは、久々に彼女の本を尋ねるのにセオドリックに頼んで白粉とチャームアクセサリーを用意してきた。
彼女のお気に召したようで喜ばしい限りだ。
国民に絶大な人気を持つエリザベス王太子妃が使うとあれば、イリスローズ商会の商品はますます売れるだろう。
「わたしの宣伝でイリスローズ商会を大もうけさせるのはいいアイディアだわ。この先お金はいくらあってもいいですからね」
「ばれた?」
「ばれないわけないでしょう。どう、順調かしら?」
「まだ順調もなにも始まったばっかりよ。実家は丸め込んだし、セオも協力してくれるけどそれだけじゃね。そもそも法律の整備が全然じゃない」
「先代ペンネローズ伯爵は政界に顔見知りが多いでしょう。その縁も使いなさいよ」
「マーヴェリックさまは別荘地でご婦人と悠々と過ごされているのよ。手伝って貰うにしても手順を踏まなければ」
「そんなの、あなたが伯爵と結婚すればいいだけじゃない」
エリザベスのいいようにアーシュリアは危うく紅茶を吹き出すところだった。
「ちょっと、リズ!」
「なによ、別に変でもないでしょ? 独身で年齢も釣り合っているし、もともと顔見知りなんでしょ?」
「そうだけど……それだけで結婚ってちょっと突拍子もないというか……」
「貴族の結婚なんてそんなものじゃないのよ」
エリザベスの指摘にアーシュリアは口ごもった。
それは確かにその通りなのだが。
「彼はなんというか……そんなんじゃないというか……」
「うそだぁ! 白状しなさいよ」
「ちょっと止めてよ!」
がばりと立ち上がって身体をくすぐってきたエリザベスにアーシュリアは悲鳴を上げた。
ぎゃあぎゃあと二人は騒ぎあい、やがて疲れてくすくすと笑みを零す。
それ子どもの頃二人の少女が、まだ互いの身分など認識せずに修道院の中庭で遊んでいたときと同じ笑い声だった。
「とにかく、伯爵は逃がさないようにしなさいよ。学校のためにはたくさんお金が必要なんだから……成長事業の事業主をパトロンにするのは大事」
「わかってるわよ」
「ほんとかしらねー?」
「まだ私がすぐに気づかなかったこと根に持ってるの?」
「一生根に持つわよ」
「やだやだ。心の狭い女だわ。こんなののどこかよかったのかしら、フェルナンドさまは」
「心が凍り付いた女よりマシだったのかしらね」
「私の心は凍り付いてるんじゃなくて燃え尽きたのよ。レディ・アッシュですからね」
「あらあら……なら、灰から綺麗な花を咲かせて貰わなければ、ね」
エリザベスは立ち上がった。
「わたしも協力するけど、なるべく早くにね、アーシュリア。わたしの夢はあなたが作った学校にわたしの娘を通わせることなんですから!」
「王女様が通う学校、ね……いいけど。あなた、男の子しかいないじゃないの」
「このお腹の子は娘かもしれないでしょうが!」
そういってエリザベスはまだ一切膨らみのない腹を撫でる。
彼女は小さく笑った。
「どっちでも、元気に生まれてきてくれればそれで十分」
「……そうね」
アーシュリアも微笑みを浮かべる。
「約束するわ。もしそのお腹の子が女の子だったら、その子が年頃になる前に私の学校を必ずこの国に作るって」
「期待して待ってるわよ」
「ええ」
二人の女性は微笑みあった。
いがみ合い、諍い合ったこともあるが、いまはお互いが一番の理解者だ。
世のすべての女性が自由に学び、自由に生きて、幸福になる。そんな未来を二人は夢見ている。
***
数日後、アーシュリアは休暇を終えて王都郊外の伯爵邸に戻るところだった。
ついでだからと王都の伯爵の店に顔を出す。
「いらっしゃいませ! まあ、先生!」
「ごきげんよう、ネリネ。お店は大繁盛みたいね」
「はい! 最近急に増えたんですのよ」
「あなたが店先に立ち始めた効果かしら?」
ドアマンが扉を開いてすぐに声を掛けてきたのは教え子の一人、ネリネだった。
年が明けてすぐに彼女は店先に立って従業員から接客について学び始めたのだ。着ているドレスは華美ではないが洗練され、店の雰囲気を損なわずに華やかにしていた。
店内には以前訪れたときよりも多くの客が滞在している。中流の裕福層も見られるが、若い貴族の令嬢もいるようだ。
ネリネと話しながら店内を眺めている遠くからセオドリックが姿を現わした。
「アーシュリア! 今日まで休みじゃなかったか?」
「ええ。でも今晩には伯爵家に戻ると言っていたでしょう? お店の様子がどうか気になったのよ」
「おかげさまで……ちょっと」
セオドリックはアーシュリアの手を引っ張った。
騒ぎにならない程度にアーシュリアをせかして店の奥に連れて行く。
「うちの商品を王太子妃殿下が使ってるっていう噂があるみたいなんだが……」
「あら? そうなの?」
「……きみ、休暇は実家に帰るって言ってなかったか?」
「ええもちろん。実家に帰って両親とお兄さまたちに会ったわ……ついでにちょっと友人にも会ったけれども」
「王太子夫婦は確かこの間までシルクティア領近くの別荘で休暇中だったとか」
アーシュリアは肩をすくめてにこりと笑った。
「王族は王室御用達の品を使うのが決まりよ」
「公はそうだけど、友人の贈り物だったらどうだろう?」
「そうねえ、贈り物をちょっと使うくらいはあるでしょう。個人的に」
「……そうか」
ふう、とセオドリックは大きなため息を吐き出し、椅子に腰掛けた。
「迷惑だったかしら」
「いやありがたいよ。ただちょっと予想外に忙しくなって疲れてるだけさ」
「あら……ごめんなさいね」
アーシュリアは思わず椅子に座る彼の金髪をそっと撫でた。
セオドリックが驚いてアーシュリアを見上げる。アーシュリアもやったあと、ちょっと恥ずかしくなった。
「あなた、とっても頑張ってると思うわ」
ごまかすようにそう継げる。
セオドリックは数度瞬きをして、笑った。
「きみがいるから頑張れるんだよ」
そのてらいのない言葉には、さしものアーシュリア・シルクティアも顔を赤らめざるを得なかった。
アーシュリアが夫とともにセレナ王国史上初の女学校を設立し、女子教育の開拓者と呼ばれるのはもう少し先の話だ。
(おしまい)
ここまでお読みいただきありがとうございました。
挫折から学び、夢と希望に向かっていく女性の爽やかなお話になっていたらいいなと思っております。
もしもこのお話が気に入っていただけましたらブクマ、評価などよろしくお願いいたします。
今後の励みにいたします。




