プロローグ
「あなたがなぜ駄目なのか、教えて差し上げましょうか?」
旅の荷物を取り纏めたアーシュリアは、背後から掛けられた女の声に振り返った。
そこに立っていたのはエリザベス・アンガー男爵令嬢――もうまもなく公爵家の養女となり、王太子妃となる娘だった。
アーシュリアから何もかもを奪った張本人がなぜこの館の園庭にいるのか問おうとしたが、次期王太子妃を邪険にするわけにも行かずに家に入れたのだろうと思案する。
どこかうだつの上がらない両親らしい。
「私になくてあなたにあるものがすべてを引っくり返した、それだけでしょう。教えていただく必要なんてないわ」
アーシュリアは荷物を持ってエリザベスを一瞥した。
彼女の横を通り抜けようとし、腕を捕まれる。
「お待ちなさい、アーシュリア。あなたはなにもわかってないわ」
「いいえ、わかっています」
アーシュリアは立ち止まった。
間近で見ても、エリザベスは美しい女だった。
ミルクのような白い肌に、蠱惑的なパイロープの瞳、艶やかな黒髪はふんわりとカールされ、肩に落ちている。着ているドレスの襟元は昼間なのできっちりと作られているが、透ける布地を使っているから彼女の美しい鎖骨の形を見ることが出来た。
そこから続く豊かな胸と引き締まった腰のラインが男性を魅了するのだと、エリザベスは知り尽くしている。
一方アーシュリアも美人と称されるだけのものは持っていた。
きめ細かな白い肌は雪花石膏のようで、アイスブルーの瞳は最上級のブルーダイヤを思わせる。長い睫に仏取られた顔立ちはビスクドールのようであった。すらりと伸びる腕は細く、すっと伸びた背筋は洗練されている。
唯一の欠点はプラチナブロンドの髪だったかもしれない。
決してみっともないわけではなく、絹糸のようにさらさらと流れ、彼女の初雪の美貌を引き立てている。
だが、遠目に見るとこの髪はどうしても灰色じみて見えてしまうのだ。
王太子との婚約破棄が正式に決まってから、この灰色の髪とアーシュリアの名前を掛けて<燃え尽きた女>などと陰口をたたかれていることをアーシュリアも把握していた。
つまりのところ二人の美貌はまったく方向性が違った。アーシュリアが硬く彫刻めいた美貌の持ち主だとすれば、エリザベスは生命力に満ちた絢爛な花のような女だった。
そちらの方が、王太子の好みだったのだろう。
エリザベスはアーシュリアから手を放し、腕組みをした。豊かな胸が主張される。
「やっぱり、あなたはなにもわかっていない。アーシュリア」
そう断言したエリザベスは、微かに顔をしかめて見せた。
彼女の身のうちから漏れ出た怒りにアーシュリアは首をかしげる。
いったい何に怒っているというのか。
エリザベスは勝ったというのに。
「あなたは自分が努力をしてきたとずっと思っているのでしょう? 王太子妃に相応しく、王妃に相応しく」
それはそうだ。
アーシュリアはずっと研鑽してきた。
幼少の頃に第一王子の婚約者に内定して以来、必要な妃教育を受け、政治と社交を学び、誰よりも美しく誇り高くあろうと努力してきた。
「でもその努力は、わたくしに追いつかれる程度のものだったのよ」
エリザベスの口ぶりにアーシュリアは内心腹を立てた。
何も知らない美貌の男爵令嬢が憎たらしかった。
アーシュリアを見つめ、何を思ったのか。
エリザベスは組んでいた腕をほどいた。
「まあいいわ」
息を吐き出し、それから唇をつり上げる。
「修道院に行くといいわ、アーシュリア。現実が見えるでしょう」
「……そうね」
アーシュリアは荷物を手に持った。大切なものを入れた鞄をひとつ。
言われるまでもなく、アーシュリアは現実を理解している。
王太子に婚約破棄され、醜聞から逃れるために修道院に入る――惨めな自分の現実を。
「……さようならエリザベス、貴女に女神の加護があらんことを」
そういってエリザベスはアーシュリアに小さな本を押しつけてきた。くたびれてぼろぼろの聖典、これこそがいまのあなたに相応しいとでも言うように。
「ええ、アーシュリア。どうか貴女が虹薔薇を手に入れることが出来ますよう」
皮肉めいた言葉にアーシュリアは唇を歪めた。
乙女の願いを叶えるという虹女神の薔薇、エリザベスはそれを手に入れたのだろう。
王太子という虹薔薇を。
聖典には色あせた薔薇の花びらがしおり代わりに挟んであった。