1.
虹色の薔薇、それは女神が乙女の願いを叶えるために咲かせた美しい花。
輝く薔薇の煌めきを貴女に――女神の白粉、お一ついかが?
***
セオドリック・ペンネローズ伯爵は困惑していた。
それというのも夜分遅くに妹が訪ねてきて、良縁を断ってくれと言ってきたからだ。
「どうしてだ。シェリル? カイル・ドナテロの何が不満なんだ?」
「不満なんかありません、お兄さま。単に私がカイル様には相応しくないだろうという話なのです」
「そんなことはない。おまえはこのペンネローズ家の長女なんだぞ」
「いいえ……わたくしでは駄目なのです。ドナテロ家との縁組がどうしても必要なのでしたら、どうかネリネの方を」
妹の言葉にセオドリックは顔をしかめた。
「ありえん。ネリネは父上の愛人の子だぞ。しかも連れ子でペンネローズ家の血は一切入っていない。財産の継承権もない他人の娘を他家に嫁がせられるか」
ペンネローズ家には娘が二人いた。一人はセオドリックの妹であるシェリルで、もう一人は先代伯爵である父の後妻ケイトの娘ネリネだ。
ケイトはもともと伯爵家の使用人の女だった。夫を亡くし娘を連れて住み込みで伯爵家で働き始めたのだが、その美貌を父が認め愛人となり、セオドリックの母が死ぬと後妻の座に収まった。連れ子のネリネも伯爵家の養女となったが、伯爵の実子ではないため相続権などは認められていない。
実子と養女では同じ伯爵家の娘と言ってもその扱いは天と地ほど違うのだ。
「ですがお兄さま、わたくしは他家に嫁ぐに相応しい淑女教育など受けておりません。お茶会の作法もよくわからないし……カイル様となにを話せば良いのかもわからないのです。たぶん、カイル様も内心ではネリネと結婚したがっているのではないでしょうか」
「まさかカイルがネリネと会っているのか!?」
「あっ……いえ。その、この間当家にこられたときに、ネリネも一緒で……」
「二人ばかり話しておまえをないがしろにしたというのだな? あの娘、温情で家に置いてやっているのを忘れたのか」
セオドリックは憤慨した。
寄宿学校に入学したのち留学先の大学を卒業して家に戻ってきてみれば屋敷では後妻のケイトが幅を利かせてやりたい放題だった。
父親がそれを咎めなかったせいで伯爵家の資産は大きく目減りしており、長年仕えてくれていた使用人たちもほとんどが屋敷から立ち去っていた。
セオドリックはガタガタの伯爵家を母親の遺産を元手に事業を起こすことでなんとか立ち直らせたのだが、それと引き換えに老いた父マーヴェリックと後妻のケイトは田舎に屋敷を与えて追い出した。
その時ネリネもいっしょに田舎に追いやる予定だったが、事業で知り合った爵位を持たない実業家がネリネを気に入り、婚約を申し込んできたのだ。
伯爵令嬢と言っても貴族の生まれではない娘だ。平民の金持ちに嫁がせるのはちょうどいいだろうと先代伯爵と後妻も承諾したので成年して結婚するまでの間家に置いてやろうというのに、それがまさかシェリルの婚約者に色目を使うとは。
「あの娘、家から引きずり出してやる!」
「や、やめてくださいお兄さま!」
立ち上がったセオドリックの腕にシェリルがしがみつく。
「そんなことはしなくて良いのです! わ、わたくしが不出来なのが駄目なのですわ……!」
「それも元はと言えばあの女が!」
「おやめください!」
涙目になって懇願するシェリルの姿にセオドリックは顔をしかめる。
どうして妹はこうもお人好しなのか。
セオドリックは痛む頭を押さえながら座り直した。
「わかった。ネリネは追い出さないから、腕を放せ」
「……本当ですか?」
「ああ」
大人しく座り直した妹を見て、セオドリックは息を吐き出す。
「シェリル、本当にカイルと婚約を破棄したいのか?」
セオドリックの問いかけにシェリルはおずおずとうなずいた。
「わたくし、伯爵夫人など務まるとは思えないのです」
「おまえはこのペンネローズ伯爵家の長女だ。ドナテロ伯爵夫人も立派に務まる」
「わたくしでは無理なのです。こんなに野暮ったくて、ろくにダンスも踊れないのですもの……お披露目のパーティーでお兄さまとカイル様に恥をかかせるに決まっています」
伏し目がちの妹の言葉に、セオドリックは唇を噛みしめる。
「おまえに教育が行き届かなかったのは俺の不出来でもある……何とかしよう」
「……お兄さま」
「さあ、今日はもう遅い。早く寝なさい」
「……はい」
セオドリックは立ち上がり、妹を部屋の外へと送り出す。
まったく、どうしたものやら……。
セオドリックとシェリルは年の離れた兄妹だ。
現在二十七歳のセオドリックに対し、シェリルはまだ十五歳と年若い。
先代伯爵夫婦の間には何人か子どもが出来たが、二人の母である伯爵夫人のアイリスは比較的身体が弱く、そのせいか流れてしまうことが多かった。シェリルが無事に生まれたのも奇跡と言われたくらいだ。
代償に母アイリスはシェリルを生んでから日に日に体調を悪くしていった。
日中起きていられる時間がほとんどなくなり、そんな母の世話をするために住み込みで雇われた女中が後妻のケイトだった。医師の家で勤めたことがあり、患者の面倒を見ていた彼女は病気の母の世話には適任だと思われていた。
まさか病の妻を差し置いて伯爵がケイトに手を付けるとはセオドリックは考えもしていなかった。
セオドリックが十七歳、シェリルが五歳の時、母アイリスはとうとう天へと召し上げられた。
当時セオドリックは全寮生の学校に在籍中で葬式が終わるとすぐに学校にとって返さねばならなかった。
妹のことは父がいるのだから大丈夫だろうと思い込んでいた。
父がケイトと再婚すると言ったときも、男親だけで娘を育てるのは難しいから、という言葉を信じ込んだ。ケイトにはシェリルと同じ年の娘ネリネがいて、娘の面倒を見ることに不足はないだろうと考えたのだ。
三年前、二十四歳で留学を終えて帰ってきたとき初めて何もかもが間違っていたと知ったのだ。




