第三十一話 女優の卵、変化した日常生活に困惑する
「一夜明けたらスターになっていた」という言い方は、ハリウッドで鮮烈なデビューを飾った女優などに対して良く使われる慣用句だ。
だが、ほんの小さなスケールの話とはいえ、それが自分の身近な人に対して現実で起こったりした日には、当人でなくても平然としてはいられないものだ、ということを実感する。
「桐坂君。私、どうなるの?」
「わからない……」
帰り際の電車の中で窓の外を見ながら呟いた栗原さんの言葉に、俺はまともな返事を返すことが出来なかった。一日を通して上機嫌だった小森監督の言葉をそのままに受け取るなら、栗原さんは小森監督に気に入られた、そして監督の次回作にヒロインとしての役柄をオファーされる可能性があるということになる。でも、一介の高校生に過ぎない俺たちにとってさえ、ビジネスの世界がそんなに簡単なもので無い事は容易に想像できる。
「とりあえず、何か決まるにしても当分先のことだろうし、気にせず過ごしてれば良いと思うよ」
「それで良いの?」
「良いんじゃないかな。何かあれば、田中さん経由になるだろうし、仕事の話が来れば、俺も間に入るから大丈夫だよ」
「そのときは、頼りにするからお願いね」
「ああ、任せておいて」
どうみても気休めにしか過ぎない会話を交わして、沈黙の時間を過ごさないように間を保たせながら、俺と栗原さんは家路を辿った。電車の窓から見える都会の風景は何故か俺たちには妙に煌びやかでそして余所余所しい物に感じられた。
栗原さん自身にとって明らかに予定外に違いなかった今日のハプニングに関して、俺を責めるような言葉は出てこなかった。栗原さんから感じ取れる感情の流れは困惑とか不安といったものが大半で、小森監督の言葉に対する彼女自身の意欲や希望というものは、伺い知ることが出来ない感じだった。
本当に、これからどういうことが起きるのだろう。
実際問題として、物事がどう転ぶかなど、所謂大人の事情という奴でいかようにも変化するはずで、俺たちに判断できるようなことは現時点では何もないはずだ。心細げな様子の栗原さんを、何とか男の見栄だけで彼女の家の前まで送り届けてから、足を引きずりながら自宅に戻って、なんとか俺は波乱の一日を終えたのだった。
さて、この栗原さんを巡る「コップの中の嵐」がどのような顛末になったのかだが、予想通りとも予想を超えていたとも言える程度の反響を引き起こした。
勿論、客観的に考えても、公開された有名監督の新作映画の舞台挨拶に、出演していた女子高校生の女の子も登場したということが、それほど大きな話題になるはずはない。
芸能ニュースの『ラストヒーロー』封切りを取り上げたWEBサイトの中で、舞台挨拶の内容まで紹介したサイトが幾つかあり、そこで栗原さんの名前と、監督や共演者と一緒にいる写真を挙げている所もあったという程度のものだ。
だが、世間のアイドルおたくの中には目ざとい人間も多いというべきなのだろうか。アクセス数の多い、芸能ニュースの個人まとめサイトに記事を転載している所があり、中には見出しで、なんだこれは?と思われる扱いをする者も時間を置かずに現れた。
「ラブリーマイエンジェル!!『ラストヒーロー』女子高校生役で銀幕デビューを果たした美少女。栗原遥ちゃん(16才:ワンダープロモーション)」
栗原さんが貴様のラブリーマイエンジェルのはずが無いだろうが、この馬鹿サイト管理人が……と思っても後の祭。公開されているワンダープロモーションの栗原さんの個人ページから、情報を書き写し、ご丁寧に俺が作ったプロモーションビデオへのリンクまで張って、「管理人はこれからの遥ちゃんの動向を余さずチェックして応援することを宣言します!」とのたまってくれたのだった。これ栗原さんの熱烈なファン一号ってことだよな。か、勘弁してくれ……
このアイドル応援サイト管理人の後援のおかげかどうかは知らないが、栗原さんのプロモーションビデオの閲覧数も、快調に鰻登り。週末だけで万のオーダーに突入して、その後も見る度に増え幅が大きくなっている印象だ。全国のごく一部の人々の関心を集めただけでもちょっとしたことになるというのは、結構、目から鱗が落ちる発見だった、
見知らぬ人たちからの反応も気になるが、更に堪えるのが身内からのリアクションだ。家に戻ったら、既に優美が舞台挨拶の出来事を知っていたのだから、情報化社会というのは恐ろしいものだと思う。
まあ、優美の場合は俺に『ラストヒーロー』の封切りに連れて行って貰えなかった不満が高じて、ニュースをチェックしていたのだろうから、人より早いのは納得できないこともない。「行くときには言わなかったけど、実は仕事だったんだ」と無理やり優美を言いくるめて、出掛けにやってしまったプチ喧嘩を無かったことに出来たのだけは、既に疲れ切っていた俺には有難かった。ちなみに映画を見てない優美は俺の『ラストヒーロー』出演を知らないが些細なことだ。
「里香ちゃんと唯ちゃんのお姉さんが、ヒロイン役で次の小森監督の映画に出るの?」
「わからない」
うん、ニュース記事を見てたら優美がそういう質問をするのも当然だよな。そして勿論、そんなこと俺にわかるわけがないことも理解してくれ。本当に、土曜日からから何回「わからない」という言葉を呟く羽目になっているんだろう。
連休明けの火曜日、俺たちのクラスはちょっとした喧騒に包まれていた。クラスメートの女の子が突然の華麗な銀幕デビューと来れば、興味をそそられるのも当然のことだろう。栗原さんの話題は、連休の間にネット上での学校掲示板や女の子同士のメールのやり取りで、凡そクラス中の人間に周知されていたらしい。
いつもより少し遅めに登校した栗原さんは、席に着くなり幾重にもクラスの女の子たちに囲まれて質問攻めに会っている。俺はと言えば、女の子たちの渦に席が飲み込まれてしまったので、教室の隅から様子を伺うばかりだ。
クラスの女子からの「映画館で見てきた」「とても綺麗だった」「素敵だった」みたいな言葉に、一つづつ丁寧に返事を返している栗原さん。横から見てると朝から既にお疲れ気味の印象だ。
傍観者的な気分で栗原さんの様子を伺う俺のわき腹を、いつの間にか突付いてくる者がいることに気付く。
「ねえねえ桐坂君」
嫌な予感を感じながら視線を動かすと、そこには眼鏡姿の一人の女子の姿があった。声を聞いた時点で解ったんだが、クラスの中で唯一の文芸部員の草薙さんという女の子だ。運動部所属ではないに違いないと予想される、細身で母性を感じさせない体型、あまり熱心に手入れをしていないだろうぼさぼさ髪に銀縁の眼鏡と強気な視線が特徴的な女の子だ。気配を隠してクラスに埋没することをポリシーとしている俺とは違って、常に空気を読まない言動でクラス内でも目立っている。
「今回の栗原さんの映画の件に関して、後で話聞かせて貰って良いかな? 勿論良いよね?」
「なんで、それを俺に?」
興味深々という様子で問いかけてくる彼女に、俺は渋々ながら応えを返した。そもそも彼女の所属クラブがいただけない。普通の感覚でいう文芸部員なら大人しく部室に篭って文学全集などを読んだり、人目につかない創作活動に勤しんでくれるはずなのだが、我が校の文芸部は一味違う。校内を揺るがすニュースがあれば、号外の瓦版を掲示板に張り出したり、当事者のゴーストライターとして見て来たような長大な文章を書き上げては全校に公開するなどという、変に創作意欲に溢れた新聞部的な役割を果たす部活だったりする。草薙さんは、その文芸部内において旺盛な執筆活動を通して期待の新人と目されている存在だったりするのだから始末に終えない。
「勿論、共演者として! 栗原さんを見にいったら桐坂君も一緒に出てるのに気付いてびっくりしたんだから。一体、どういう関係なの?」
くそ、新聞記者の例に漏れず妙に目ざといな。服装や眼鏡は勿論、髪型も変えてたから、シーンの添え物役の俺に気付くやつなんていないと思ってたんだが、そうもいかなかったか。
「インタビューに答えるとしたら、俺や栗原さんの話を書いた記事を公表する前に、こちらに事前に了承を得ることが最低条件になるけど、わかってるよね?」
今回の件に関しても、栗原さんへのインタビューを面白おかしく編集してばら撒かれた日には、どこまで被害が拡大するかわかったもんじゃない。
「桐坂君がどうして栗原さんのインタビューの閲覧を言い出すの?」
「そりゃ、事務所の方針ってやつだよ。上の了解が得られない限り、一文字も文章は出させないから宜しく」
予想外の返事だったのか目を瞬かせる彼女の眼前に向けて、『ワンダープロモーション』の名刺を突きつける。
「桐坂君、これって?」
「栗原さんへの要望は、マネージャーである俺を通して貰わないと困りますってことだよ」
芸能事務所の肩書きを見せれば少しは大人しくなるかと思ったら、草薙さんは逆に興味一杯で目をきらきらさせているようだ。なんだか、これから面倒なことになりそうな予感がしてくるな。
普段の朝のHRの時間から5分ほど遅れて、ばたばたと慌てた感じで担任の沙織ちゃんこと石島先生が登場した。なにやら栗原さんと同じく沙織ちゃんも朝からお疲れ気味の雰囲気だ。手早くクラス内に連絡事項を伝えると、僅かに逡巡を感じさせる様子で俺たちの方、実際には栗原さんに向き直った。
「ちょっと栗原さんには聞きたいことがあるので、昼休みに進路指導室の方まで来て頂戴」
「はい、わかりました」
沙織ちゃんと栗原さんのやり取りに、やっぱりかといった感じの囁きがそこここから挙がる。うちの高校は公立の進学校ということで、規則は原則的に全然厳しくなくてバイトや、所謂芸能活動も禁止されているわけではない。まあ、それでもこれだけ突然話題になれば、どういうつもりとか今後の予定とか聞かれるよな。
「どう言っておくの?」
沙織ちゃんがいなくなった後、俺は栗原さんに後ろから触れてどうするつもりなのか尋ねてみる。
「ありのままを言うしかないと思うわ」
「ありのままって?」
「エキストラに一日いっただけで、特に芸能活動みたいなことは今まで全然してません」
「これからの予定を聞かれたら?」
「予定も何も、今のところ全くわかりません……じゃない?」
「そうだよなあ……」
対応を練ろうにも、確かに栗原さんの言葉通り現状では何もわからないので、言いようがないというのが現状だ。沙織ちゃんから先走って色々と釘を刺されたりするのかも?などと二人で少し悩んでみたが、所詮、どうにもならない感じだ。
「さて、今日の桐坂のおかずは何かなあ~」
栗原さんのいない昼休み。だからと言って何が変わるということも無く、佐々木さんは俺の席に直行してきて弁当箱を広げ始めた。
「もしかして俺の弁当を狙ってる?」
「そりゃ、そうだよ」
佐々木さんは当然といった顔で頷いて、俺の弁当箱をまじまじと見つめると、狙い済ましたかのようにミートボールを強奪した。
「映画のエキストラやってみたって話を聞いてふーんと思ってたら、いざ封切られてみたら、いきなり遥の話題で持ちきりなんだから、私にしてみたら『聞いてないよー』って感じだって」
「あー」
「また私を除け者にして、知らない所で皆で楽しくやってたなんて、これはおかずの一つや二つで済まされるもんじゃないよね」
言いながら、さらにもう一つミートボールを弁当箱から強奪していく。むむ、なんてことだ。
「で、どうなの?」
「どうなのって?」
「WEBに書いてあったじゃん。同じ監督の次の作品では遥がヒロイン候補だって? 本当なの?」
「全くわからない……というか、俺の方が聞きたい。小森監督、実際どう考えてるんだろうなあ。ああいう偉い人の話だと単なる思い付きということもあるから、真面目に受け取るのは、具体的な話が出てからで良いんじゃないかな?」
「なんだー。まだ全然決まってないのか。詰まらないの」
俺の煮え切らない返事に、佐々木さんは今一歩の表情だ。こんな調子で二人で盛り上がりにかける会話をしていたところ、あと10分ほどの昼休憩の時間を残して栗原さんが帰ってきた。予想外にも沙織ちゃんも一緒だ。何故か俺の席の方に近づいてきた沙織ちゃんは、やれやれといった表情をしながら俺に向かってこう言ったのだった。
「桐坂君、授業が終わったら栗原さんと一緒に進路指導室に来てくれる?」
えっと思いながら栗原さんの方を見ると、申し訳無さそうな顔をしてこちらを見ている。どうやら今度は俺も含めてもう一ラウンドあるようだ。なんてことだ。
「昼休みに学年主任の後藤先生と一緒に栗原さんに話を聞いたんだけど、なんだか話が噛みあわなくって……」
放課後、進路指導室で長机を二つ並べた向こう側に石島先生、こちら側に俺と栗原さんが座って、お説教になるのかはわからないが話が始まった。栗原さんが言うには、昼休みは学年主任の先生が主体みたいな感じで幾つか質問されたことを思ったとおりに答えたら、怪訝な顔をされたまま大した話もなしに終わりになったということだったんだけど……
自分用らしいノートを開いてひじをついて何だか頭を抱えるような感じで沙織ちゃんが切り出した。学年主任の先生がいないとはいえ、なんだか気怠げな雰囲気が漂ってるけど、どうしたんだ?
「お昼休みに栗原さんに聞いたんだけど、栗原さんの芸能界入りは桐坂君がプロデュースしたって本当?」
「はい、何ですかそれは?」
なんか変な言葉が、沙織ちゃんの口から飛び出してきたぞ。
「栗原さんが言うには、今度の映画の出演はアイドルの田伏里香さんに誘われたからだって。どうして田伏さんが栗原さんに?って聞いたら、桐坂君が芸能事務所に所属して田伏里香さんの付き人してる関係でとても親しくしてて、その縁で知り合うことになったって聞いたんだけど、これであってる?」
「まあ、間違ってないですね……」
うん、ここまでの部分は確かに間違ってないぞ。
「そして、映画では単なるエキストラ出演のはずだったのが、小森監督の映像プロダクションに出向した桐坂君が映画の編集作業に携わって、栗原さんの出演箇所を長時間の物に変えさせたって。おまけに栗原さんのプロモーションビデオも桐坂君が自分の手で作って、芸能事務所経由で公開してる……って聞いたんだけど、本当にそんなこと出来るものなの?」
なんか微妙に誤解があるような気がするんですけど、なんだか横で栗原さんはうんうん頷いてるし、段々変な状況になってきたぞ。
「確かにに小森プロに出向して、『ラストヒーロー』の編集に関わったり、栗原さんのプロモーションビデオ作ったりはしましたけど……」
そういった途端、沙織ちゃんは何故か額を机に打ち付けた。
「先生、桐坂君の指導簿のところに『内向的で大人しい性格。部活動などには所属しておらず、クラス内に親しい友人もいない模様で、授業時以外の教室内への滞在時間もごく短い。クラス内で孤立しないよう、同じ中学出身のクラス委員の栗原さんが積極的に話しかけ、クラスに溶け込ませようと努力している』って書いてあったのよ」
思いもよらぬ沙織ちゃんの告白。俺ってクラス担任の先生にそういう風に思われてたのか。
「栗原さんが桐坂君に芸能界に誘われたって話を聞いて、私、後藤先生から『生徒の一体何を見てるんですか?』って白い眼で見られちゃったわよ」
恨めしそうな沙織ちゃんの言葉。いや、俺は別に先生を騙して大人しそうな生徒を演じていたとかじゃ決してありませんから……
結局、かなりの時間を費やして、栗原さんの芸能活動暦はエキストラ出演と舞台挨拶の2日間だけで、今後の活動予定は全くわからない……ということを沙織ちゃんに無理やり説明した俺たちだった。沙織ちゃんが学年主任の先生から示唆されていた栗原さんの親を呼んでの面談も、したところで無駄なのは決まってるので当然中止ということに。
再度の面談の結果の学年主任への報告はまあクラス担任である沙織ちゃんの領分ということで、頭を抱える沙織ちゃんを残して栗原さんと俺がそそくさと部屋から退避したところで特に問題はなかったはずだ。
「遥ちゃんのこれからの予定ってどうなるんだ?」
もはや何度目になるかもわからない栗原さんの予定を尋ねる質問が、こともあろうに、二、三日も経たないうちに今度は田中さんから俺に降ってきた。
「俺にわかるわけないじゃないですか、田中さん。そんなもん小森監督次第ですって!」
「社長から聞かれてるから困ってるんだよ!」
状況を知ってるはずの田中さんから、なんで今更この話題が……と思ったら、芸能ニュースを見かけた『ワンダープロモーション』の社長が栗原さんのことを知って興味を持ったらしく、担当の田中さんに活動予定を聞いてきたらしい。
「頼むからちょっと週末にでも、小森プロに行って監督に感触を聞いてきてくれないか?」
「俺がですか?」
「お前以外に誰が出来るんだよ。恩に着るから……」
約束もないのに様子伺いなんて、飛び込みの営業みたいなもので邪険にされそうな予感で気がすすまない。散々渋ってみたが、社長直々の問いかけで切羽詰まってるようで、結局、押し切られてしまった。
週末の土曜日、田中さんからのお願いを受けて、目出度く夏休み以来ご無沙汰の『小森プロ』に偵察行だ。
鈴木さんがいてくれれば何とか潜り込めそうだけど、いない時にはどうしようか悩むよな。とりあえず『目の前に行ってからメールで都合を問い合わせ』攻撃で、鈴木さんに渋谷まで来ているので、寄っても良いかお伺いを立てる。ちゃんと優美に焼かせた貢物のクッキーも持参してあるので一応準備は万全だ。
『すぐに来ると良いよ。今日はちょうど監督もいるし』
理系らしい簡潔な返事だけど、とりあえず用件はOKだ。監督もいるなら世間話がてら、舞台挨拶のときの言葉がどのくらい本気か聞けるし、一応、願ったり適ったりだ。良し行くぞ。
メールの返事を受けて、ぴったり五分後には小森プロの受付けを通過して鈴木さんに指定された会議室へと到着する。ノックをして部屋に入るとそこには驚いたことに鈴木さんだけでなく小森監督の姿もあった。
「遅えぞ『たくみもん』。今頃のこのこ出てくるとは、気合いの乗りが足りてねえな」
あれ、監督から出てくる最初の一言がそれですか。こっちはまだ挨拶も優美から持たされたクッキーも渡してないというのに。
「監督、状況を説明しないと。巧君が目を白黒させてますよ」
鈴木さんが流石に苦笑しながら、俺と小森監督の間に割って入る。良かった。俺が変なわけではないようだ。監督、ちゃんとした説明をお願いします。
「そんなもん、こいつにやらせることって言ったら、里香ちゃんと遥ちゃんが出る次の映画の話に決まってるだろうが。スポンサーが付くって話が来てるから、これで纏まるようなら、すぐさまプロジェクトの立ち上げだ!」
と思った次の瞬間には、もう本題だった。げげ、今日の俺の任務はもう終了だぞ。
「あ、そうなんですか。小森監督、それはおめでとうございます」
おお、世界の小森監督。作品を撮りたいと一言呟いただけでスポンサーが付くだなんて、流石、話のスケールが違う。感嘆しながら、お祝いの言葉を述べたら、あれ、不機嫌そうな視線が返ってきたぞ。
「何がおめでとうございますだ。纏まるようならって言ってるだろうが。本当にどうにかなるか頑張って考えるのが、お前の次の仕事だって言ってるんだ」
「え?」
なんですか、それは?
「週末の舞台挨拶で里香ちゃんと遥ちゃんで次を撮ってみたいって言っただろ。そしたら、週明けに『ヤングスターズ』から連絡があったんだよ。次回作、『帝通』の全面バックアップでやりませんか。但し、主役を事務所所属の者から出させて貰うのが条件ですけど……ってな」
混乱する俺を他所に、監督からは次なる爆弾発言が飛び出した。うわ、少し考えるとこれって実はなかなか微妙な話じゃないか。『ヤングスターズ』は日本最大の男性アイドル事務所で、『帝通』もこれまた日本最大の広告代理店だ。確かに資金面や興行を行うという意味では組むにはこれほどの者はない相手だ。でも、『ヤングスターズ』の所属俳優を主役にって、下手すると箸にも棒にも掛からない、B級アイドル映画になってしまうぞ。
「はあ、そういうことですか」
「とりあえず、能天気におめでとうございますと言える話じゃない、ってことは解ったようだな」
渋い顔をした監督の言葉に俺は頷く。やっぱり世界の巨匠とは言え、そうそう美味い話は転がってないんだな。
「奴らの言いなりでやれば、あっという間に糞映画が一本出来上がりになるのは目に見えてる。そこで条件を出すことにした」
「どのようなですか?」
「とっくの昔に手足が伸びきった、とうが立って手垢が付いた連中はゴメンだってな。あっちは渋ってたが『SLASH』や『テンペスト』はメンバーが二十代だから最初から外させて貰う。真っ当に高校生がやれる15~18までので、俺が興味を持った奴が居ればそいつ主役でやる。いなけりゃ話はそれまでだって宣言しておいた」
誰でも知っている『ヤングスターズ』のトップアイドルグループの名前を挙げて、監督は頭から除外だと宣言する。確かに、それなら最初から色つきということにはならないし、何とかなりそうな気がするな。流石、年の功って奴かもしれない。
「もう誰か候補がいるんですか?」
何気無く聞いた言葉は大失敗だった。
「俺が『ヤングスターズ』の若いのなんて知ってるわけないだろうが!」
はい、ごもっともです。監督は憤懣やる方ないという様子で、鈴木さんに顔を向けた。監督に振られた鈴木さんは、はいはいと言う感じで部屋の隅から、ものすごく大きな段ボール箱を引きずって、俺たちの前に出してきて開ける。中に入っていたのは緩衝材に包まれたディスクや記録媒体の山だった。
「『ヤングスターズ』から送られてきた、若手アイドルが出演したステージや番組の収録映像だよ」
鈴木さんの言葉に俺は頷いてみたけれど、段々嫌な予感がしてきたぞ。
「プロダクションの連中には分担して時間があれば見るように言ってあるが、それぞれ受け持ち仕事があるから、こんなことに注力させるわけにはいかない。俺自身もシナリオの方があるしな」
「僕も少し見たんだけど、学芸会レベルのに当たって一時間で嫌になっちゃったよ」
監督の言葉に、今度はホワイトボードを引きずって来た鈴木さんが笑いながら合いの手を入れる。
「とりあえず、お前も担当にするから責任を持って来月半ばまで位を目処に一通りチェックしろ。何か自分の琴線に触れる部分があれば、切り出して保存しておけ。俺が後から確認する」
「え?」
「え、じゃねえよ。お前の大事な里香ちゃんと遥ちゃんの相手役が見つかるかどうかの瀬戸際なんだぞ。あれだけの大所帯だ。何人か面白いのがいても良いはずだろう。来月末には絞り込んだ連中を直接呼びつけて面接するぞ。『俺が必ず責任を持って見つけてみせます』くらいの気概を見せないでどうするんだ」
ホワイトボードに張り出されていた、小森プロ各員の名前でメディアの貸し出しとチェック済の項目がある作業欄に、俺の名前が追加され、担当部分として端から端まで線が引かれていくのを、俺は呆然としながら見届けるしかなかったのだった。
ご機嫌伺いに小森プロに行ったと思ったら、帰るときには期限付きで無体なノルマを課せられていた。監督の言葉から見ても、最初から有無を言わさず作業要員としてカウントされてたとしか思えない展開だった。なんてことだ。『ヤングスターズ』の若手情報が載った記録媒体と今日のノルマの貸し出しディスクの入った袋がずっしり重いぞ。
「来年の夏に撮って、次の春に公開。やることはいくらでもあるんだから、やれることからちゃっちゃと行くぞ。お前も週に二回くらいは、学校はあるにせよこっちに顔出せよな」
テンションの高い小森監督の言葉を思い出すとため息が出てくる。
ご主人様と栗原さんの相手役って要は映画の中の恋人役だぞ。よりにもよって、俺が候補選びに加わって誰か監督に推薦しないといけないとは、いきなり難易度高過ぎじゃないか……
ご主人様はともかく、栗原さんに一体何と言って今日の出来事を伝えるべきか、頭を抱えるしかない俺だった。
悩んでいるうちに日は進んでもう9月も半ば。見事に「この小説は未完結のまま……更新されていません」という不名誉な記載が出る事態に。
結局、すべての展開を考えるという野望は中途で費えて、見事に見切り発車になってしまいました(優美周りの物語の流れが決まらないのが主原因な気が……)。このような体たらくですが、とりあえず、また第二部の方もどうぞよろしくお願いいたします。




