第十五話 妹、アイドルから内緒の相談話を聞く
「はじめまして。優美の兄の巧です。妹の優美がいつもお世話になっています」
「……」
動揺してはいけないぞ。こういうときこそ落ち着いて、紳士的な振る舞いをすることが必要だ。俺は爽やかで好青年な印象を目指してしっかりとした挨拶を……
「……もう駄目……」
「はい?」
あれ、田伏里香の様子がへんだぞ? なんかぷるぷる震えてないか?
「やーん、巧君最高。『妹の優美がいつもお世話になっています(キリッ)』って。本当に優美ちゃんの言ったとおりなんだもん!」
次の瞬間には、お腹を右手で抑えながら左手で机をバンバン叩いて笑い転げるアイドルの姿が俺の目の前に出現していた。どうやら俺の挨拶が見事にツボに嵌まったらしい。俺、泣いて良いかな?
「お兄ちゃんのことだから、絶対、里香ちゃんの前で格好つけようとするに決まってるんだもん。丸わかりだよ」
優美は優美で、エヘンという感じで薄い胸をそらせて血も涙も無いコメントをつけてるし。少しは兄を立てようかという気持ちにならないのか。あんまりだぞ、優美。
「巧君、笑っちゃってごめんね。もう一回挨拶。田伏里香だよ。宜しくね」
「はい、よろしくお願いします」
目元を拭きながら差し出された田伏里香の右手を俺は掴んだ。これが仮想空間でなくて本物だったら良かったのに。感触がその辺の柔らかい物を掴んだのとあまり変わらないのが残念すぎる。
「巧君は私のファンだって? 嬉しいなあ。でも、優美ちゃんから聞いたけど持ってる雑誌が水着特集の物ばっかりというのは頂けないぞ。私的には、この間出た写真集が自信作で、それを持っててくれたりするのが一番なんだからね」
指を立てながら里香が言う。
ああ、なんてことだ。アイドルからファンとしての本気度が足りないとの指摘を受けてしまったぞ。あと、ちょっと自分でも増長してる気もするけど、本人も目の前にいることだし、俺の心の中の呼び方は里香で良いよな。
「勿論、あの写真集は買うつもりだったんですけど、今月の小遣いは先に優美のかばんに化けちゃって……」
「えー、お兄ちゃんが出してくれたのって半分だけだよ」
そう、優美を自転車の後ろに乗せて通学するようになったら、優美のかばんを手に持ってる姿がちょっと危ないような気がして、背負えるタイプのかばんを新調させたのだ。優美を連れてかばんを見に行ったら、優美が気に入ったのが少し高めで、俺の漱石さんが3人ほど道連れになってしまったのは悲劇的な出来事だった。
「優美ちゃん、巧君も高校生なんだから、そんなにお小遣いがあるわけじゃないから仕方ないよ。じゃあ、来月のお小遣いで手に入れてね。里香との約束だよ!」
笑いながら、里香が言う。もうすぐ18歳のはずで俺より3つくらい上のはずだけど、結構、屈託がない様子でTVで見るよりも少し幼い感じに見えるな。
「それで、今日はどうしてここに? オフかなんかですか?」
「そうなの。優美ちゃんにもさっき話したんだけど、私、結構ピンチかもしれない」
単に、暇なせいで家に遊びに来たというわけではないのか? これはちょっと意外な展開だな。
「変な雑誌編集者とかいう人にストーカーされそうになっちゃってるの。家にいたらインターホンが鳴って、アポなしだけど取材させてくれって。今日だけじゃないんだよ。もうしつこくって」
「ああ、今まで聞いたこと無かったんですけど、そういうのはあり得ますね」
確かに、仮想空間内でアイドルの家が判明していたら、押し掛けてみようという奴はいるだろう。仕事の取材なんて名目があったら、なんでもやってしまいそうな人間もいるかもしれないな。
「週刊雑誌のスポットの編集部で伊藤って人なの。コンテンツの取材なら運営会社の記事チェックもいるし、そっちを通してくださいって言っても、一度頼んだら即座に断られたって全然聞いてくれないの」
週刊スポットね。ブラック企業に勤めちゃった兄ちゃんやバイトの兄ちゃんの面白体験談とかが一杯載ってる、格差社会を感じさせる記事が一杯のちょっと自虐的な雑誌だよな。話題のスポットに突撃取材というのが目玉商品で、確かにあそこの編集者の好きに書かせたら、どう見てもへんな記事が出来上がるのは目に見えてるし、俺が運営でもご丁重にお帰り願いたいぞ。
「どうしようか、本当に困っちゃって。とりあえず今日は、これから人に会う約束がありますからって言って、家のクルマに乗って優美ちゃんの『ホーム』に避難して来たの。突然、押し掛けちゃってごめんね」
両手を合わせて、里香がゴメンナサイのポーズをする。この『ペアで生活オンライン』のクルマは文字通り『全自動車』だから、乗り込んで行き先を指定しさえすれば、居住エリアの中を快適ドライブだ。仮想空間中では免許が必要なはずもない。付き纏ってくる相手を巻くには良い乗り物だな。
「勿論、それは良いんですけど、じゃあこれからも結構ことある度に出てきそうじゃないですか? その人」
「そうなのよね。嫌になっちゃう」
うーんという感じで悩みだした里香。可能なら今とても忙しい和治の手を煩わせないで解決したいらしい。これはもしかして俺が良いところを見せるチャンスじゃないか? 唇に指を当てて考えている里香の前で、多少行儀が悪いながら、俺は頭をがしがし擦って何か良いアイデアが出ないものか、脳細胞をフル回転させてみたのだった。
「じゃあ、こんなのはどうでしょうか?」
少し考えてちょっとした作戦を思いついた俺は、里香に週末に変装をしてミッドタウンで買い物をしてみるようにアドバイスしてみた。勿論、変な編集者が行きがけについてくるのが前提なので、里香が盛大に顔をしかめたのは言うまでもない。一応これも作戦ということで、俺の方針に従って演技してくれるみたいなので、後は本番のお楽しみだ。
とりあえずの対応が決まったということで、後は普通におしゃべりの時間だ。俺と優美が二人して興味のあることといえば、やはり、田伏和治と里香の兄妹の私生活ということで、優美は元気に根掘り葉掘り里香に対して質問してる。初対面の俺だって少しくらい質問しても大丈夫だよな?
『あの、お兄さんの和治さんって毎日どのくらい「ペアで生活オンライン」をやってるんですか?』
やっぱり最初の質問はこれだよな。
「あの、お兄さんの和治さんをやっつけたら里香さんと付き合えるって本当ですか?」
あれ? 何か微妙に別の質問をしてないか、俺。
「お、巧君はお兄ちゃんを倒して、私と付き合いたいの?」
いかん、優美が『何言ってるの。馬鹿なの、お兄ちゃん?』みたいな冷たい目で俺を見てるし、里香は里香でニヤリという感じで俺をしげしげと見てるぞ。いや、俺もこんなことを言い出すつもりじゃ無かったんだ。信じてくれ。
「私はどちらかというと、年上の頼れる雰囲気の男らしい人がタイプなんだけどな。でも、確かにお兄ちゃんを倒せる人なら付き合っていいかもって雑誌で言っちゃったし、責任は取らないといけないよね」
うんうんと頷きながら、里香は自分で納得の動作をしてる。
「良いでしょう。本当にお兄ちゃんを倒すことができたなら、巧君と付き合うことを考えちゃおう。勿論、みんなには内緒で良識のある範囲内だけどね」
俺に向かって指をびしっと突き出しながら、里香が断言する。おお、言い間違いが転じて、これは何て画期的な展開なんだ。優美は何か言おうとして口を開けたままの状態で呆然としてるぞ。
「お兄ちゃんにもちゃんと『巧君って子が里香と付き合いたいって言ってるんだ』って言っておくからね。巧君、お兄ちゃんの抹殺リストに載るのは確実だよ! 覚悟しておいてね!」
な、なんて画期的なんだ。俺は一躍、田伏和治の抹殺リスト入りかい。そういえば、この間どこかのちゃらいお笑い芸人が里香にちょっかいかけたら、田伏和治に二人きりで飲みに行こうと誘われて、次の日から品行方正の好青年になってしまった記事を見たような気がするぞ。大丈夫なのか? 俺。
沸き起こる内心の不安を押し殺しつつ、とりあえず当初の予定通り、田伏和治が一日何時間くらい「ペアで生活オンライン」をプレイしてるか聞いてみたところ、なんと現状で一日平均6時間らしい。おい、俺が学校から帰って一切勉強しないで「ペアで生活オンライン」をやってもそんなもんじゃないか? どうやってこれで、追いつくんだ?
田伏和治を倒すには、根本的に何か方策を考えなければいけないのでは? と思わずにいられない俺だった。
最後にもしかしたら里香と事務所が同じなので知ってるかもと思って、この間の『ワンダープロモーション』のスカウト男、俺がちらっと見た名刺によると確か名前は田中さん、のことも聞いてみた。
「田中さんかー。悪い人じゃないけど、押しが強いんだよね。この間、娘さんも生まれて仕事張り切ってる感じかな。奥さんが怖い人で頭が上がらないみたいだから、全然、心配しなくても大丈夫だよ。勿論、大抵のものは領収書で落ちるし、何でも奢ってもらっちゃったら良いと思う」
とのお言葉で、良く知ってるみたいな感じだ。結局、俺がしたことは大した意味はなかったな。まあ、栗原さんの妹の唯ちゃんは全然乗り気じゃなかったみたいだし、良しとしておこう。
そんなこんなで週末の土曜日。里香からもうすぐミッドタウンに出かけるとの連絡を受けた俺は、誰もが待ち合わせに使う、分かり易い目印である噴水広場に先回りして、二人がやってくるのを待ち構えた。
十分もすると、里香と週刊スポットの伊藤という編集者らしき男の二人のアバターが現れて、予想の通りの押し問答を始めたのだった。よし、そろそろ良い頃合いだな。
【アイドルが】ミッドタウンに悪質なストーカー男出現か?【大ピンチ?】
『状況はタイトルの通り。変質者の女性アイドルへのつきまとい事案が発生中。現場はショッピングモールの噴水広場の脇のところ。帽子とサングラスしてるけど、カーソル合わせたら、名前がばっちり田伏里香でポップ。付きまとってる男の名前は「SP編集部I」。二人で静かな所へ行って雑誌のアポなし取材させろとかフザケタことほざいてる。里香の方は、運営を通してくださいって、ずっと言ってて本当に困ってるみたい。お前らこれは全力で行くべきじゃないのか?』
俺がしたことは、男性プレイヤー用掲示板にスレを一つ立てただけ。
週末の午後だけあって、あっという間にスレを読んだ男たちが里香のいる場所に急行して、俺の代わりに編集者のおっさんをつるし上げだ。けしかけといて何だがこれはすごい。即座に男たちの壁が出来て里香は安全ゾーンへ、おっさんには非難の大合唱だ。ワロタ。俺が流すまでもなく、週刊スポットの伊藤って所属と名前があっという間に明らかにされとる。すごい検索力だなハートランド王国民。おお、二度と田伏里香には近づきませんって誓わされてるな。光の速度で一件落着だ。まさしく、この世に悪が栄えた試しはないという光景だった。
こうして俺は、『何かあったら頼れる優美ちゃんのお兄ちゃん』という里香の中での自分のイメージアップに成功したのだった。『ありがとう! 巧くん!』というタイトルのメールの本文に、里香自身が打ち込んだハートマークが2個も入っていたことは、俺的には大戦果と言えるだろう。
後は、田伏和治を倒す具体的な道筋を見つけ出すことだ。頑張れ、俺。
<<次回、『週刊スポット 6/27号 オンラインゲーム大特集』に続く>>




