輪廻編・序章(現代)
――世界が“彼女”を、最初から彼女として知っている日常――
休日の昼下がり。
人通りの多い駅前を、琴葉と敦は並んで歩いていた。
風に揺れるのは、琴葉の肩にかかるほどの髪。
落ち着いた色の服に包まれたその姿は、もうこの世界の中で何ひとつ違和感を持たれていない。
けれど胸の奥では、
かつて男型だった自分の感覚がある。
走ってきた日々。
選び続けてきた道。
すべてが形を変えて、ここにある。
「――あ」
聞き覚えのある声に、琴葉は足を止めた。
A「琴葉じゃん」
B「敦もいる。久しぶりだな」
琴葉「……久しぶり」
敦「久しぶり」
同級生の二人。
制服姿ではないのに、顔を見るだけで“あの頃”の距離が自然に戻る。
B「相変わらず一緒なんだな、お前ら」
敦「まぁな」
Aは二人を見て、少しだけ笑う。
A「でもさ、在学中は“内緒っぽい距離”だったよな」
B「見え見えだったけど」
Aの声が、少しだけ柔らかくなる。
A「今こうして普通に並んでるの見ると、なんか安心する」
B「だよな」
敦「なんで知ってんの!?」
A「そりゃ知るだろ」
B「毎日一緒に飯食ってたし」
琴葉は、小さく笑った。
琴葉「……ありがとう」
A「ん?」
琴葉「何も聞かずに、普通でいてくれて」
一瞬だけ、二人は顔を見合わせて肩をすくめる。
A「普通だろ」
B「友達じゃん」
その一言で、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
男型だった自分の時間も、
思い出も、選択も――
形を変えて、ちゃんとここに残っている。
B「じゃ、俺らこのあと用事あるから」
A「またな、二人とも」
敦「……ああ」
琴葉「またな」
軽い調子。
懐かしい距離。
この世界は、思っていたよりずっと優しかった。
【琴葉が“最初から女だった”世界】
それを、琴葉は少しずつ受け入れられる気がしていた。
歩き出してから、敦が隣を見る。
敦「……大丈夫か?」
琴葉は少し考えてから、正直に言う。
琴葉「平気……とは、まあ言えねぇけど」
敦「……」
琴葉「でも……ほら。敦いるし」
腕を絡めて、微笑む。
敦「無理するなよ」
琴葉「してない」
敦「……したいこと、したくないことがあったら言え」
琴葉「……うん」
少し間があってから、琴葉が小さな声で続ける。
琴葉「……したくないこと」
敦「なに?」
琴葉「……ピンクの服は、着れないかも」
敦は一瞬だけ驚いて、それからすぐに笑う。
敦「……構わねぇよ」
琴葉「……え?」
敦「今の服、似合ってる」
琴葉は少し息を吐いた。
琴葉「……あと」
一拍。
琴葉「……ヒール高い靴は、歩ける気しない」
敦「じゃあ履かなくていいだろ」
琴葉「……いいのか?」
敦「誰が困るんだよ」
琴葉「……敦」
敦「俺は困らねぇ」
ほんの少しだけ、空気が緩む。
琴葉「……したいことも、ある」
敦「なに?」
少しだけ間。
琴葉「……自分で選んだもんだけ、ちゃんと持ちたい」
ほんの少しだけ、目線を上げる。
琴葉「……おそろいのネックレス、付けたい」
敦の目が、少しだけ大きくなる。
敦「……」
琴葉「……ダメ、か?」
ほんの一瞬だけ、言葉が詰まる。
敦「……いいじゃん」
短く、でもはっきり。
敦「よし……行くか」
琴葉「……え?」
敦「今から。買いに」
ぶっきらぼうに言って、少しだけ視線を逸らす。
一歩、先に出る。
そのまま歩き出す――
……かと思った瞬間。
敦が振り返る。
一瞬だけ、迷うような間。
それから。
敦「……ほら」
差し出される手。
琴葉「……」
ほんの少しだけ目を見開いて。
琴葉「……うん」
その手を取る。
軽く、指が触れて。
そのまま、自然に繋がる。
少しだけ速足になる。
人混みを抜けるように。
引っ張るでもなく、
置いていくでもなく、
ただ並んだまま。
玄関。
今日は、両家で軽い食事の約束をしていた日だった。
扉を開けると、すぐに声が返る。
敦母「おかえりなさい」
琴葉母「あら……」
自然に揃った視線が、首元に落ちる。
敦母「……おそろい、ね」
琴葉は、小さく頷いた。
それ以上、誰も何も言わなかった。
琴葉は首元に触れる。
選んだこと。
並んで帰ったこと。
ここにいること。
すべてが、静かにつながっている。
隣を見ると、
敦は何も言わず、いつもの距離で立っていた。
それで、十分だった。
――二人の首元のネックレスは、
これからも選び続ける約束の形として、静かに揺れていた。
けれど。
その思いが、
何度も何度も繰り返されてきたものだということを――
二人は、まだ知らない。
ーーーそれでも、探し続けた二人の記録ーーー




