お花摘みの前に
沢山のことを教えてもらって、俄然、僕はこの戦いに身を投じなければならないのだと思うようになった。
たとえ、その道が血まみれの道であったのだとしても。
この国を守るために。
今宵も、ハティと共にお花摘みに出かける。
その前に、僕はいつもやることがあるのだった。
──
────
────────
すっかり夜も暮れて、月明かりが窓から差し込んでくる。
頼りになるのは空に燦爛と輝く青い月ばかりだ。
それでも僕ことマーニの手元にある毛先が仄かに藤色がかった銀髪は、月光を受けて神秘的に光っていた。
まるで太陽の光を浴びてその身を輝かす月のように。
その髪に指を通して滑らかな冷たさを感じる度に心地いい。
絹でできた服は肌触りが良くて涼しいと聞くけれど、やっぱり絹糸かなんかなんじゃないのかなあコレ。
さて、なぜハティの髪を手櫛で梳かせてもらっているのかというと。
髪を編ませてもらっているのだ。
僕はベッドに腰掛けて、もう一方のハティは椅子に座って凛と背筋を伸ばして僕に髪を好きにさせている。
ハティはいつも髪を編み込んで三つ編みにしているのだけど。
幼い頃からその髪は僕が結っている。
僕がハティにしてあげられることの数少ないうちの一つだ。
「君の髪は本当に綺麗だよね、男の人なのに」
ハティより髪質がいい人なんていないんじゃないかなあ。
今度はちゃんとした櫛で髪を漉きながら飽きもせず感動する。
この髪、櫛が一切引っかからない。
僕の髪なんてブロンドで巻毛だ。
一応、貴族の中では巻毛は悪印象を持たれることはない。
むしろ何かしらの象徴として良く思われてたりもする。
けれど、ハティの滑らかでコシのある髪の方が絶対にいい。
「マーニ様の従者ですので、きちんとしませんといけませんから」
ハティが謙遜するけれど、一つだけ訂正がいる。
「もう従者じゃないよ」
「そうでしたね」
フフッとハティは小さく笑いを漏らした。
ハティと対等になりたいと告げた時から大体こんな反応が返ってくるようになった。
子供扱いされているような気がする。
一応、成人はしているんだけどな……。
したばかりではあるのだけれど。
とは言え、ずっと従者のハティに負んぶに抱っこ。
それで今更対等になりたいなんて言ったところで子供っぽく見えてしまうのもしょうがないか。
だから、気にせず話題をハティの髪に戻す。
「淡い紫と銀の毛もサラサラで綺麗だし、いつもいい匂いもするし」
ハティの梳いた髪を持ち上げると手から毛束がまるで砂時計の砂のようにサラサラと流れるように落ちる。その度に何かしらの甘い香りがふわりと香って鼻をくすぐるのだった。
この銀狼は見た目だけでなく、香りまでもが人を魅惑するのか。
「ああ、それは私が人殺しだからですよ」
「え」
思いがけない返答に、櫛を取り落としそうになってしまう。
そう。ハティは人殺しだ。
その実態は騎士として僕を狙う刺客を人知れず撃退してくれていたのだった。
だから、僕がハティを人殺しにさせてしまったようなものだ。
「血の匂いをさせたままマーニ様の近くになんていられませんから、いい香油を少し、ね」
「そっか……」
ハティを無邪気に褒めたのだけど、ハティが香油でいい香りを纏っているのもそれすらも僕のためで。
知らなかったとは言え、無神経にも程がある。
やはり無知というのは罪なのだ。
気まずさから黙りこくってしまう僕の代わりに、ハティが口を開いた。
「ああでも、私がこの香りを選んでいるのは、マーニ様がいい匂いだって言ってくれるからですよ。それに私はこうしてマーニ様に髪を編んでもらうのが好きなのです。ですから、髪の手入れをするのは趣味でもありますね」
「……僕が君にしてあげられることなんてこのくらいだから」
ハティに気を遣わせてしまった。
いつもそうだ。
僕に罪悪感を抱かせないように、ハティは立ち回る。
僕のために人を殺していたのに、ハティは自分が勝手に僕を愛していたのだと嘯く。
それに比べたら僕がしてあげられることは、なんてちっぽけなのだろう。
「その気持ちだけでよかったんですよ」
ハティの言葉に、僕は顔をあげる。
続けて、ハティは言葉を重ねた。
「私を必要としてくれて、私の身を案じてくれて、そんな存在がいてくれる。それより幸福なことなんてないでしょう?」
確かに、僕はハティのこと必要としていた。
幼い頃からの庇護者として。
憧れの騎士として。
そして、恋焦がれる思慕の対象として。
どれも、身勝手な自分の欲望ばかりだった。
ハティが言ってくれるような清い感情ばかりではない。
「違う。僕は君にいて欲しいばっかりだったんだ。ただ、君に……」
君のことが好きで、君に愛されたいばかりで。
ハティが僕に与えてくれるものに相応しいものを、僕は与えられていない。
「呆れるほど素直ですねぇ。人間そんなものですよ」
「そう、かな」
ハティにそんなところがあるようには、思えない。
「貴方は私もそう思ってるというのに、察してはくれないのですねぇ」
ハティは一度大きく「はぁ……」と、ため息を吐いた。
それはハティにしてはわざとらしい、トゲの入った態度で。
いつまでもウジウジしている僕に業を煮やしてしまったのだろう。
「意地悪の一つ、嫌味の一つも言いたくなるものです」
再度わかりやすく、ハティは「はぁ……」と芝居がかったため息を吐いてみせる。
そして、僕は気づく。
気を遣われておいて、その気遣いを無駄にするのだってきっと褒められたことではない。
「ごめん」
謝ると、ハティは「ふっ」とさっきよりは柔らかく息を吐いた。
「どうしたら元気を出してくださりますか?」
それは打って変わって、優しい声音で。
やっぱりさっきまでのは芝居だったのだ。
安心すると共に、僕は困ってしまう。
「どうって……」
そう言われても、気にしてしまう性分なのは正直どうしようもない。
言葉を詰まらせていると、ハティは振り返った。
「キスでもすればいいんでしょうかねえ」
そして、ハティは自分のマズルの先をトントンと人差し指で叩いてみせる。
「き、キス!?」
唐突にとんでもないワードがハティの口から飛び出すものだから、僕は面食らってしまう。
けれど、ハティは止まらない。
「マーニ様は私とそういうことしたいんじゃありませんか?」
「えと、ハティ……?」
ハティがいきなり身を乗り出して、トンと僕の胸を押す。
僕はハティに押されるまま腰掛けていたベッドに倒される。
え? と思った時には、ハティが僕に覆い被さっていて。
僕は焦るけれど、ベッドの上で逃げようにも頭の両脇に腕を突かれてしまって逃げられそうもなかった。そもそも心臓がバクバク早鐘を打つように弾んでしまって、喉がカラカラで、体が固まってしまって動けそうにない。
そうこうしていると、ハティの長い髪が垂れて僕の頬を撫でては甘い香りが香った。
僕はついゴクリと息を呑んでしまう。
ハティはそんな僕を見下ろしながら、目を細めて薄く微笑んだ。
「ね、マーニ様はどうなんです……?」
「は、ハティ! 僕まだ心の準備が……っ」
慌てる僕の言葉に聞く耳持たないとでも言うように、ハティが顔を寄せてくる。
ハティの端正な顔がそのままどんどん迫って、──キスされる!
僕は思いっきり目を瞑った。
そして、
「くふふふふ」
耳を小さな笑い声がくすぐった。それから、離れていく。
キスは、されなかった。
恐る恐る目を開くと、ハティは僕に覆い被さった時の体勢にまで戻って、口元を抑えて悪戯が上手く行った時の顔をしていた。
「ふふ、冗談ですよ」
そして、ハティはニコリと笑って、僕の体を抱き起こしてくれる。
「あ……」
冗談だったのか……。
ホッとしながらも、僕には残念な気持ちもあった。
ハティとキスしたいと思う気持ちも、僕には確かにあるから。
胸を撫で付け、大きく脈撃ち続ける心臓を落ち着かせる。
……落ち着かせていた、のに。
「今は、ですが」
「え!?」
ハティの追撃に僕の手の下でやっと落ち着こうとしていた心臓がまたも大きく跳ね上がってしまう。
今は!? それはつまり、いつかは……。
匂わされた未来の展望に、もう僕の心臓は抑えられる気はしなかった。
「マーニ様ならば、私も満更でもないってことですよ」
そして、ハティはトンと人差し指──さっき自分の唇をトントンと叩いた方の指──で僕の鼻を軽く突いて、また薄く微笑んでみせた。
僕の騎士は何をしても色っぽい。
そしてそれをきっと自覚しているから本当に狡い。
「少しは元気出してくれましたか?」
「う、うん……」
元気は……、出たと思う。
特に心臓は留まることを忘れたように暴れ回っている。
僕の心の黒い所は全てどこかに吹っ飛んでしまっていた。
僕の様子を眺めて、ハティは満足するように目を細めて頷いた。
「少しずつ自嘲癖は治していきましょうね」
「うん」
僕は、早急にその癖を治さないといけない。
その度にこんな荒療治をされてしまっては、身が持たない。
さて。
話を終えて、いい加減ハティの髪を編み終えないと。
お互い元の位置に戻って、本来の目的に立ち直る。
三つ編みを編む間、僕はずっとハティの無事を祈り続けていた。
髪を編み込むのと一緒に、僕の祈りも編み込まれるように。
これが僕のハティにしてあげられる精一杯。
ならば、せめてこれだけは全うしようと真剣に。
そして、ハティの三つ編みが編み上がった。
まるで組紐のように、美しい糸を撚り合わせたそれは、きっとどんな飾り紐よりも美しい。これで布を織ったならどんなに美しい布が織り上がるだろうか。
編みあげた一房を撫でて、最後の祈りを込める。
「ご武運を」
「ええ」
ハティは頷いて、立ち上がる。僕の手を取って立ち上がらせてくれる。
そして、僕も立ち上がったハティと共に並び立つ。
月明かりの下で影が二つ寄り添いあった。
今宵もお花摘みが始まるのだ。
────────
────
──
ハティと共にお花摘みに出向くようになって、僕はハティの考えてることを少しずつ理解できるようになった。
ハティは意外と人を揶揄うことが好き。
僕のことを本当に大事に思ってくれている。
だからって僕を甘やかさずに、諫言を欠かすことはない。
やっぱり、ハティは最高の騎士で。
僕には勿体無いと思ってしまうけれど。
でも、そんな最高の騎士が忠誠を誓ってくれているのならば、僕もそれに応えたいと思う。
…………今はそう思う。
ハティは絶対に僕に対して事実と違うことは言わない。
なら、ハティの今はと言った言葉に期待していいんだろうか。
いつかは、君と対等になれるんだろうか。
そんな夢を君と見てもいいんだろうか。
君と愛し合える日が来るんだろうか。




