6.牢の飯炊き女
ダニエラは女性から手紙を受け取って牢へ向かい、「管理人のドーソン氏にお会いしたい」と告げた。
「ドーソンは俺だよ」
男はダニエラから手紙を受け取るとさっと目を通し、あっさり「やめときな」と言った。
「お願いします!他に働ける場所がないんです!」
「そうは言っても、あんたみたいなお嬢さんに務まるような仕事じゃねえよ」
「どうしてわかるのですか」
「あんた、落ちぶれた貴族だろう。今まで苦労知らずで育ってきたお嬢さんに、務まるもんじゃねえ。荒くれもんの巣窟だぞ。ベティ婆も何を血迷ったんだか、こんなか弱そうな女を寄越して」
(私が…苦労知らずですって?借金まみれで家計をやりくりして、お母様の看病をして、弟を守りたくても守れなかった私が…苦労してないですって?)
「私は苦労知らずだって、どうしてわかるのですか。私の何を知っているんですか!?」
溜めに溜めていた感情が、ふとしたきっかけで漏れだしてしまったのかもしれない。ダニエラの剣幕に、ドーソンは言葉を失う。
「料理はできます。体力に自信もあります。少しですが、弟の練習に付き合っていたので護身術の心得もあります。やってみないとわからないじゃありませんか」
「見かけによらず気の強いお嬢さんだな」
ドーソンは「降参降参」というように、首を振った。
「明日朝7時にここへ来い」
「え…」
「きつい仕事だがやる気があるなら来い」
「…あ、ありがとうございます!」
「持ち物は?服装は?」と質問攻めにするダニエラに、ドーソンは「ここの仕事にそんな熱意をもってやろうとするう奴は初めて見た」と頭をかいた。
「身一つでくればいい。エプロンと長靴くらいは用意があるから」
「ありがとうございます」
「仕事が見つかって良かった」と本当にほっとしたようなダニエラの笑顔を見て、ドーソンの胸にちくりと罪悪感のような気持ちがやどった。
(俺はどうなっても知らねぇぞ。怪我しないうちに辞めてくれたらいいんだが)
ーーー
翌日の朝7時、ダニエラが通ってきた鉄の扉が、鈍い音を立てて閉じた。
鼻を突く悪臭。8月の暑さがこもった、澱んだ空気。陰湿で下品な会話。
「今日からここで飯を作る女だ。掃除もする。手を出したら手首を落とすからな」
ドーソンが囚人たちに怒鳴り、ダニエラの背をぐっと押した。囚人たちの目が、一斉にこちらを向く。華奢でいかにも穢れていない若い女。暗い牢に白い百合の花が咲いたようだ。好奇の眼差しと、何かを試すような視線が混ざる。
でもダニエラは、一歩も引かなかった。
(あからさますぎて、むしろすがすがしいわ。ちらちらと、けれど舐めるように見てきた貴族学園の男子生徒たちに比べたら)
職場となるキッチンは油で汚れ放題で、ダニエラはまず掃除から始めた。手伝いとして幼い囚人がつけられる。
(こんなに小さい子が囚人?)
ダニエラの視線に含まれた疑問に気づいたのだろう、幼い囚人は「僕はジャック。8歳だよ」と名乗ったうえで、ここに来た理由を打ち明けた。
「妹がお腹が空いたって泣くもんだから、パンをひとつ盗んだんだ」
「それだけでここに?」
「うん」
(パンひとつでも盗みは盗み。でも…こんな小さな子が…)
幼い頃のローガンにどこか似ているジャックの茶色い髪を、ダニエラはそっと撫でた。脂でべっとりしている。
ダニエラの中に、小さな火がともった。
(罪人でも悪人とは限らないのね。こんな小さな子を…妹思いの男の子を劣悪な環境に置いておくわけにはいかないわ)
「囚人であっても、いつか外の世界に戻るときのために、食事はきちんとした栄養が必要です。病気を防ぐために掃除も大切です。みなさんが手伝ってくれるなら、時間も短縮できます」
最初は、誰も彼女に耳を貸さなかった。
しかしダニエラのおかげで食事は温かくなり、滋味に満ちた味がついた。日に日に、牢の中で体調を崩す者が減っていく。
すると軽微な罪を犯した囚人を筆頭に、ダニエラの調理や掃除を手伝う者が出てきて、牢の環境は段違いに良くなった。
「ダニエラ、お前さん元貴族だったんだろ?」
「そうですよ」
「それにしては、いやに手際がいい。飯づくりも掃除も。最近では囚人どもを手なずけちまって」
「だからやれるって言ったじゃありませんか」
ダニエラにそう言われて、ドーソンは頭をかいた。
そしてダニエラは「料理に使う野菜を増やしたい」と、牢の一角で野菜の栽培を始めた。中庭の一角を囚人と一緒に耕し、貴族学園時代に図書室で読んだ園芸の本を思い出しながら、小さな畑をつくったのだ。
ドーソンに頼みこんで、管理費の一部で「おつとめ品」の苗を買い、育てる。首尾よく栽培でき、少ない予算でも栄養価の高い食事を提供できるようになった。
さらにドーソンの伝手で形の悪い石鹸を安価で購入し、囚人たちに手洗いや身体を洗う習慣を促した。ジャックの髪も赤ちゃんのようにふわふわになった。
「あなたとってもハンサムだわ、ジャック」
(私が元貴族だからかしら。形の悪いものを買う発想はなかったから…ドーソンさんに助けられたわ)
牢が明るくなったのを見たドーソンは、ある日突然、鶏を買ってきた。ダニエラは目を丸くする。
「ドーソンさん、こ…これは?」
「卵くらい、自前で手に入れてみるかって思っただけだよ。料理に使えねぇ畑の野菜クズも、餌にできるだろ」
「え…ええ…おそらく…鶏を飼育したことはないので調べないといけませんけれど」
「頼むぜ」
「えっ、私に丸投げですか?」
二人は顔を見合わせて笑う。
よどんでいた牢の中にも、ダニエラの心にも、小さな変化が確かに生まれていた。