7.赤い目の囚人
ダニエラが牢で働き始めてから半年ほど。
凍てつく風が肌を刺すようなある日、牢の空気がぴりついた。まるで、何かが忍び寄る前触れのように、重たく、静かに。
「あのノアらしいぞ」
「まじで?」
「本物か?」
ざわつく声の向こうから、鉄の扉が軋んで開き、数人の騎士に囲まれた一人の男が現れた。黒曜石のような髪が風に揺れ、どこか無造作な足取りには、計算された余裕があった。
彼が牢の中を見回したその瞬間、誰もが息を呑んだ。牢の空気が一瞬止まったようだった。
燃えるような紅の瞳。ただ目を合わせただけなのに、心の奥深くを射抜かれたような錯覚に陥る。視線ひとつで、人の思考を読んでしまうような…そんな異質な存在感があった。
「あれがノアだ。義賊ノアだよ。いやはや、実在していたとはな」
すっかり仲良くなったドーソンが、ダニエラに囁いた。
義賊ノア。ダニエラも生徒会室にあった新聞で読んで、彼の名前くらいは知っている。
悪徳貴族や強欲な商人から財産を盗み、貧しい人々に分け与えていた盗賊団のリーダー。貴族や悪徳商人からは「悪魔」と呼ばれて恨まれ、市井の人々からは「天使」「救世主」としてあがめられている存在。
その正体は長く謎に包まれていたが、ついに捕まったのだ。
「ドジった仲間を逃がすために身代わりになったらしい」
「そうなんですね」
「頭領がいなくなったんじゃ、盗賊団もじきに崩壊するだろうな。俺、けっこう好きだったんだがなぁ」
王都を騒がす盗賊を相手にのんきなドーソンに、ダニエラは苦笑いする。そしてもう一度ノアを見た。
「それにしても随分と若いですね」
「ああ、そうだな。驚きだよ。素性も謎だし」
会話の途中で「何番牢ですか?」と騎士団員に尋ねられ、ドーソンは慌てて書類に目を落とした。
「13番へお願いします」
「一番頑丈な牢でしょうね?」
「ええ、もちろんです」
「残党がリーダーを取り戻しにくるかもしれませんから、こちらの警備も厳重にします。昼夜問わず騎士団員が出入りしますよ」
「そうしていただけると、こちらも安心ですな」
ーーー
「ノアさん、食事の時間です」
ダニエラは13番牢にいるノアに声をかけ、食事の乗った盆をそっと差し出した。
暴れる心配のない囚人は食堂や庭で食事をとる。しかしノアは新入りで動向が読めないし、大物犯罪者でもあるので、しばらく独房で食事することになっている。
ノアはちらりとダニエラを見た。
「俺にさん付けする奴、初めてだわ」
「礼儀です。私は牢の食事係兼掃除係をしているダニエラ・オールデンです。お口に合うといいのですが」
ノアはダニエラがジャックと一緒に庭で育てたブロッコリーを指でつかみ、ポイっと口に放り込む。
「いい味付けだ」
「良かったです。その野菜は私たちが庭でつくったんですよ」
ノアはブロッコリーを喉につまらせそうになった。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
数日後。ノアは独房の窓から、興味深そうにダニエラの菜園を見つめていた。ダニエラと数人の囚人たちが、ああだこうだと言いながら、うっすら雪が積もった中庭で、白い息を吐きながら冬の野菜を収穫している。
ダニエラの横には、ジャックがまとわりついていた。
「野菜、ここで育ててんのか?」と、ノアは声を張り上げて、外にいるダニエラに声をかけた。
ダニエラが軽やかに振り向く。寒さのせいで少し頬が赤くなっている。自分に食事を運んできたときよりもずっと柔らかい表情に、ノアの胸が小さく跳ねた。
「ええ、食材の確保のために」
「元貴族なのに、ずいぶん変わったお嬢様だな」
オールデン男爵家のことは、ノアも知っていた。父親は怪しげな連中とつるんで事業を始め、金を巻き上げられて一文無しになったはずだ。
悪徳商人の屋敷から金塊と一緒に「詐欺グループと被害者のリスト」を盗んだとき、ダニエラの父であるフィリップ・オールデンの名前もリストにあった。
ダニエラは一瞬悲しそうな顔になり、ノアは「しまった」と思ったが、ダニエラはすぐ持ち直した。
「あなたこそ、悪魔と言われているのに、実際はとても静かで優しいですね。乱暴な言葉遣いをしていても、王族のような品を感じます」
(髪の色も瞳の色も王太子殿下と同じだから、そう感じるのかもしれないけれど)
その瞬間、ノアの目がわずかに揺れた。
(この女、まさか俺の秘密を…?)
「ダニエラ、今日のご飯はなに?」
ノアの思考は、ジャックの声で途切れた。
「冬野菜とチキンのスープです」
「わぁい」
「きのこも入っているの。残してはいけませんよ」
「うーん…」
いつもきのこを食べるのに苦労するジャックに、ダニエラが「きのこは身体にいい」と熱弁する。ノアはふっと笑った。
(そんなわけねぇか)




