22.秘密の暴露
フィリクスはダニエラを闘技場へ誘った。
「収穫祭の特別イベントで魔獣が出るらしい。派手な闘いになるだろう」
ダニエラは血なまぐさいことは嫌いだったが、フィリクスの機嫌を損ねるわけにはいかない。「楽しみですわ」と返事をした。
「ああ、本当に楽しみだ」とフィリクスは笑う。フィリクスの意図を、ダニエラは知るよしもなかった。
ダニエラは「ノアたちは土木工事に従事している」と説明されていて、盗賊団のメンバーたちが剣闘士になって毎日命の危険にさらされていることなど知らなかったからだ。ダニエラは毎日、ありもしない工事の無事を祈っていた。
貴賓席に座ると、フィリクスが「ダニー、もっと近くに」と手招きした。ダニエラは慣れた様子でフィリクスの腕の下に潜り込み、フィリクスを見上げた。フィリクスが一番喜ぶと知っているからだ。
闘技場は観客で埋め尽くされている。今日のメインイベントは、魔獣と剣闘士との闘いだ。
「まず非力な奴隷を犠牲者として魔獣に捧げ、残虐に食いちぎられる様子を楽しんだあとに、剣闘士との死闘をご覧いただく」というアナウンスが流れ、ダニエラは身震いした。
「ダニー、怖いのかい?」
「ええ、少し」
「大丈夫、僕がいるから」
「ええ」
憐れな犠牲者が食いちぎられ、観客は目を覆いながらも指の隙間から残虐なショーを楽しむ。古代から変わることのない人間の残虐さがそこにはあった。
(ひどい…)
「さあ、次は我が闘技場が誇る人気剣闘士たちが登場します!」
ダニエラは貴賓席から、魔獣と戦うために現れた剣闘士たちを見下ろす。その中に、見間違えようのない姿があった。
(ノアさん…みんな…!)
息が止まりそうになり、全身の血がさっと引いていくのがわかる。思わずフィリクスを見ると、フィリクスがいかにも楽しそうな声で言った。
「あいつ、今日こそ死ぬかな」
「フィリクス様…!話が違います!彼らは土木工事に従事させると…殺さないとおっしゃったではないですか」
「違わないよ。僕は殺さないんだから」
フィリクスは顔を背けようとするダニエラのあごを掴んで、前を向かせる。
「ほら、ちゃんと見て。目に焼きつけて、さよならして」
「…っ」
「はじめ!」と号令がかかり、ノアをはじめとする剣闘士たちは魔獣を囲むように広がった。獅子のような魔獣は、火をふいた。焼かれた剣闘士がバタバタと倒れていく。
ダニエラは耐えきれずに貴賓席から身を乗り出し、叫んだ。
「ノアさんっ!ノア!」
ノアは声のしたほうを見た。目が驚きに見開かれる。その瞬間、魔獣がノアに襲い掛かった。
「だめっ…!」
ダニエラはフィリクスの腕を振り切って貴賓席を飛び出し、フィールドへ走る。「自分のどこにこんな身体能力があったのか」というほどの速さと身軽さで階段を駆け下り、柵を乗り越えて、ノアを抱き起した。
「ノア…ノア…ダメ、死なないで…!」
ノアは血を吐きながら、「ああ、好きな女から呼び捨てにされるっていいもんだな」とのんきなことを言った。
「こんなときに何言ってるんですか…」
「俺は大丈夫だ。自己治癒もできるから即死しなきゃ死なない。それより戦闘力ゼロのお前のほうがやばいぞ」
一番近いゲートまでは、50mほど。ゲートの向こうにフィリクスがいて、何か叫んでいる。
「あいつがいるところに連れてくのは癪に障るが、今は仕方ない。守ってやるから、ゲートから出ろ」
「本当はもう少し膝枕しててもらいたいけど」と言いながらノアは立ち上がり、ダニエラをかばうように前に出て、剣を握る。その刹那、魔獣が咆哮をあげて跳びかかってきた。
ノアは魔獣に剣を突き立てた。魔獣の喉元を、真っ直ぐに。血が噴き出し、獣が地に崩れる。
歓声が一瞬静まり返って、それから地響きのような歓声が起こる。「ノーア!ノーア!ノーア!」と観客が叫ぶ。
しかしフィリクスだけは青ざめた顔で「ダニー!」と叫んでいた。
ノアが振り返ると…
ノアの背後にいたダニエラの背中に、魔獣の爪が突き刺さっていた。背中から滝のように血が流れてくる。
痛みはない。ただダニエラの視界がゆっくりと霞む。
「ノア…私…目が見えな…」
「ダニエラ!」
ノアは魔獣とともに崩れ落ちたダニエラを抱えて、手をかざす。
「だめ…ここで力を使ったら…あなたの秘密が…」
「そんなこと言ってる場合か!」
「だめ…王侯貴族の世界に戻らなきゃならなくなる…お母様があなたを彼らから守ったのに…」といいながら、ダニエラは口から血を吐いた。
「しゃべんな!」
ノアがダニエラの背中に触れると、血が止まり、ダニエラは自分の脚ですっくりと立った。
観客がざわめく。
「確かに爪が刺さったはず…だよな!?」
「あんなに血が出ていたのに、一瞬で止まった!」
「治った…生き返った…のか?」
貴賓席にいた貴族たちもざわめく。
「あれは…癒しの力ではないのか?」
それはブロスを統べるウィロー家の血を引く者しか持たぬ力。
「あの奴隷が?まさか」
ノアの秘密が、白日の下に晒された瞬間だった。
(ああ、ノア…だめなのに…)




