23.公爵夫妻
「癒しの力をもつ奴隷剣闘士」の話は、即座に王宮に伝えられた。
ノアは王宮に迎えられ、父である国王から聞き取りをされた結果、国王の庶子でありアーサーの異母兄だと認められた。
ノアはプレンティス公爵アレクサンダー・ノア・ウィローとなり、ダニエラは彼の妻となった。
ノアは自由を捨て、王族の席に加わり、国のために癒しの力を振るう条件として、「ダニエラを妻に」と望んだのだ。
王室は、平民であり公爵フィリクスの愛人でもあるダニエラがノアの妻になることに難色を示しながらも、癒しの力欲しさにノアの条件を呑むしかなかった。
フィリクスも国王の命なら引き下がるしかない。ダニエラを奪われた挙句、ノアと問題を起こさないよう、外交官として友好国トリエに駐在することを命じられた。
ノアの客人として王宮内の離れに留め置かれていたダニエラは、ノアに何度も聞いた。
「ノアさん、本当に私でいいのですか」
「結婚は好きな女とするもんだろ」
ノアはぎゅっとダニエラを抱きしめる。ノアからは懐かしい、安っぽい薔薇の香りがした。
ダニエラは泣いていた。嬉しいのではなくて、悲しくて。
「私のせいで…捕まって…命を懸けて闘って…戻りたくなかった王室に戻って…ごめんなさい。私と出会わなかったら、あなたは今でも仲間たちと一緒にいられたのに」
(ノアさんと一緒に剣闘士になった盗賊団の仲間たちは、半数が死んでしまった。私は彼の家族を殺した…)
ノアはぽんとダニエラの頭に手を乗せた。
「お前のためなら、俺は悪魔にでも魂を売る。王族になるくらいどうってことないさ」
「どうして…」
「どうしてだろうなぁ。もうきっかけもなにもわからないくらい、好きなんだよ」
「私も好き…です…」
「それだけでいいんだ。難しく考えるな。お前は何も悪くない」
アーサーとシャルロットの婚礼準備の合間を縫うようにして、プレンティス公爵夫妻の結婚準備が進められて、二人は晴れて夫婦になった。
ーーー
王都の中心に完成したばかりの王立劇場で、こけら落とし公演が行われる日。
王族代表として出席するのは、ノアとダニエラだった。ノアは貴族社会の礼儀作法に馴染む気がなく、今回も「黙って座っていられるかどうか」と周囲に笑われながらも、悠然とボックス席に着いていた。
立ち居振る舞いは王族のそれではなくても、やはりノアには王族しか持ちえない風格があった。
(この人はやっぱり、王家の血を引く人なんだわ。それにひきかえ私は…この人にふさわしいのかしら。結婚相手が私じゃなかったら、この人はもっと…)
休憩時間、ノアが一時的に席を外した隙だった。
「ごめんあそばせ」とひとりの貴婦人がボックス席にすべりこんできた。顔立ちが、見知っている顔に似ている。
「ローモンド伯爵夫人ベアトリスでございます」
(ユージェニー様のお姉様…)
ダニエラはさっと立ち上がって頭を下げた。
「ユージェニー様のこと…本当に申し訳ございません」
「謝るということは、ご自身に責任があったとお認めになりますのね?」
「ええ、私には責任があります」
(フィリクス様に立ち向かうのが怖くて、ユージェニー様を守れなかった…)
「それなのにのうのうと公爵夫人の座におさまり、王族の末席に座って、何不自由なく暮らしていると?」
「お怒りはごもっと…」
ダニエラが答えるより早く、ローモンド伯爵夫人はテーブルに会ったワイングラスでダニエラを殴った。
ワイングラスの砕ける音が響き、おしゃべりでざわついていた劇場が静まり返る。
ダニエラの顔はガラス片で傷つき、上品なクリーム色のドレスには、ワインの染みが広がる。
「どうした!?」
ノアが慌てて戻ってくる。
ノアはダニエラの顔に触れて傷を治し、ベアトリスを睨みつける。
ベアトリスは、思わず手が出てしまったことと、間近で見るノアの赤い瞳の迫力に動揺しているのだろう、だじろいで後ずさった。
「ノア様…大丈夫です。私が悪いのです」
「この女は…」
「私のせいでひどいけがを負ってしまった方のお姉様です。彼女を責めないでください」
「いや、でもお前を殴ったんだよな?」
ダニエラは「寒いです。もう帰りたい」とノアにすがった。
ノアは舌打ちをしてベアトリスをひと睨みしてから、ダニエラを抱えたまま劇場の衣装部へ向かい、着替えを借りる。そして何事もなかったかのように、劇場をあとにした。
馬車に乗り込んだダニエラは目を落とす。
(フィリクス様なら、私が何と言ってもベアトリス様を劇場から放り出したわ。そのあとでワインの樽につけて溺死させていたでしょう。でもノアさんは…)
ノアも怒ってはいた。外の景色を見ている横顔から、怒りが伝わってくる。でもノアは、フィリクスのように残虐でも狂信的でもなかった。
「ローモンド伯爵家に抗議の連絡をするからな」
「…はい」
一般的な対応だ。きっとそうあるべきなのだろう。けれどダニエラはどこか「物足りない」と感じた。そして「物足りない」と感じている自分に慄いた。
(だめよ、そんなことを考えては)




