第28話 義翼のフィロソフィー/オモテ
少し冷えた地下道は、月明かりが差しても仄暗かった。
「それに君は知らないだろう。自分が何と戦っているのか」
立ち尽くすヒナタに、瓦礫の山の上から彼は言う。
「なにと……」
「ああ」
「わたしは、ただ……」
ただ、翼落とし事件の犯人を追っているだけだ。
はじめは単独犯による事件だと思っていた。
それが複数犯によるものかもしれないというところまでは分かった。
……でも、その先はわからない。
唯一、主犯の風貌は見られた。
しかし、その相手がどんな組織の人間で、あるいは組織なんてなくてこの場限りの同盟関係で──そういった細かな犯人像はいまだに一つも分かっていない。
「そんな状態で戦いの場に行って、誰が敵で誰が味方かも分からない戦場で、君に一体なにができるって言うのかな?」
「……できることは、絶対にあるはずです」
はっきりと言い切ったつもりだった。
しかし、その声音にはいつもよりも覇気がない。
「そもそも、君のその捜査は上の命令なの?」
「それは……」
「この間の夜も思ったけど、俺には君たちが勝手な捜査を行なっているようにしか見えない」
事実、その通りだ。
自分は別に、誰かに求められてこんな行動をしているわけじゃない。
「君のやっていることは、ただ状況を掻き回すだけ。リーブラの邪魔にもなっているんじゃない?」
むしろ──。
「誰にも求められてない。そんな状況に君が割って入る意味って、ある?」
がらがら、と瓦礫が崩れていく音がした。
──どこかで聞き覚えがあると思った。
♢♢♢♢♢
がらがら、と硬くも柔くもある音が響いた。
「んん……」
フライパンをおたまで叩くような喧しさに、少しの不快感と共にうめき、まぶたを上げる。
閃光に目を灼かれながら何度か瞬きすると、徐々に景色が視界に映るようになっていった。
──白だった。
夜明けの陽光を遮るように、眼前に白が立っていた。
「お。起きたかな?」
優しい声音が、幼いヒナタの頭上から降り落ちる。
その白が天使の身を包む隊服で、自分は彼女に優しく抱きしめられているのだとヒナタは気づいた。
守られて、いたのだろうか。
──鉄の匂い。
ヒナタはゆっくりと顔を上げる。
すると、その天翼の守護者は少し身体を離した。
「よしよし、よくがんばりましたね」
彼女は仮面をしていた。
目元は隠れていて見えないけど、口元はにこにことご満悦そうに緩んでいる。
──ぬるりと、握った手が空滑りする。
「うぁ……ぁ……」
自分の手や服を見下ろして、ヒナタはその赤に慄く。
それは天使の白い隊服を半分ほど染め上げている色と同じだった。
「あっははー……やっぱり、しまらないかぁ……」
怯えるヒナタを見て力無く笑いながら、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「ごめんねぇ、わたしの血で汚しちゃってさ」
そして白いマントで片手を拭うと、そっとヒナタの頭を撫でた。
「大丈夫。あなたは強い子だから、この程度の”悲惨な景色”には負けないよ」
自分に人差し指を向けて「悲惨な景色」と笑い飛ばす天使。
「それじゃ」
そう軽く言って踵を返そうとする彼女に対して、ヒナタは咄嗟に呼びかけていた。
「──だいじょうぶ?」
こんなに沢山の誰かの血なんて見たことない幼子だ。
まだ身体は恐怖に震えていた。
状況もよく分かっていない。
周囲には瓦礫の山だけがあって、自分が眠る前まであったはずの街並みは見る影もない。
──その全部がどうでもよかった。
いま自分の前で血だらけになりながら、それでも前に歩いて行こうとしているこの女性は、大丈夫なのだろうか?
それだけがヒナタの頭の中を占めていた。
どうしてかも分からず、それでも必死に尋ねていた。
「────、ははっ」
しかして、天使は微笑んだ。
「本当に、強い子だ」
ゆっくりと、しかし今度は先ほどよりも力強く。
改めて彼女はヒナタへ向き直る。
「──わたしは、大丈夫!」
ふんぬ、と胸を張って、そのあとすぐに「いたたっ」と脇腹を抑える。
そんな自分に苦笑いしながら、彼女はヒナタのことをじっと見た。
一度口を開いてから、やっぱり閉じて。
そんなことを二回ほど繰り返してから、彼女は頷く。
「うん」
そこからは、不思議な言葉だった。
しかしだからこそ、強く覚えている言葉でもあった。
「いつかあなたの進む道を、あなた自身が疑ってしまうことがあるかもしれない。でも、そんな時はわたしを思い出しなさい」
強く言い切って、それからテヘッと舌を出す。
「自分を思い出せなんて、図々しいでしょ! でもそれでいいの!」
その口元には一貫して微笑みが浮かんでいた。
「わたしを思い出して……まあ、真似しても真似しなくてもいいよ。どうするかは、あなたが決めることだから。でも、ま、こんな馬鹿もいるんだから、悩みすぎずに気楽にね」
その目元は仮面に覆われているけれど、きっといま優しげな眦をしているに違いない、と直感させられた。
「──自分の心のままに動け!」
優しく、それでいて力強い言葉だった。
「それじゃあね。わたしも自分の心のままに動くことにするよ」
今度こそ天使は踵を返した。
その足取りは大怪我を感じさせないほどに軽い。
ヒナタはただその光景に──彼女に魅入られていた。
瓦礫に覆われた、世界の終わりのような景色の中で、朝陽を浴びる天使の背中。
そこに、確かに白い翼を見た。
血に濡れても、なお白く輝く翼。
目を瞑れば、いつだって瞼の裏に鮮明に浮かぶ。
ヒナタの見据える先には今もあの翼が羽ばたいている。
あの日あの場所で、彼女から譲り受けた義翼。
義手や義足とも遜色ない、目には映らぬ白き魂。
はじめは貰い物で身体に馴染まなかったそれも、いつしか分かち難い自らの一部となっていた。
だから、ヒナタは──。
♢♢♢♢♢
ヒナタは静かに瞑目していた。
「…………す」
溢れるように。
自分に言い聞かせるように。
それは、静かに呟かれた。
「ん? なにかな?」
〈乖離〉が首を傾げた。
そんな彼をキッと見上げ、ヒナタは宣誓する。
「わたしは──それでも進みます!」
「……っ」
彼がフードの下で目を見開いた。
ちょっとだけ良い気味、などと思いながら、ヒナタは微笑む。
──だって、わたしはわたしを信じてる……!
「〈乖離〉さん──いえ、〈乖離〉!」
「……なにかな」
フードを引き下げながら、〈乖離〉が問う。
そんな敵の疑問すらも。
「どうでもいいです! 全部!」
吹き飛ばすように叫ぶ。
「誰が敵とか味方とか、邪魔とか邪魔じゃないとか。そういうの全部どうでもいい! わたしはわたしのやりたいようにやります!!」
──たとえ、あなたに信頼されていなくても。
どこからか響いたそんな言葉に、身体のどこかを鋭く抉られた気がした。
「…………そっか」
「そうです!」
鈍痛を無視して言い切るヒナタ。
「じゃあ俺も、上司のためにも頑張らなくちゃかな」
対峙する〈乖離〉はゆっくりと腰を落とす。
「…………っ」
──彼の上司なら、信頼されているのかな。
やっぱりどこかで声が聞こえる。
けれど、それも無視して、
「……っはああああ!!!」
全てを吹っ切るような気迫を叫び、ヒナタは石床を蹴った。
──月明かりはとうに翳り、地下道は暗く見通しは効かない。
けれど、ずっと互いだけを見続けている二人には関係のない話だった。




