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 喫茶店を出ると、あたしとミキはまた歩き始める。


「意外と楽しかったですね」


 たいしたことはできなかったが、それでも、ミキは楽しんでくれたようだ。彼が楽しい時間を過ごせたなら何よりである。


「あら。意外、なのね」


 目を細めながら言ってやると、ミキは慌てて首を左右に振る。


「あっ、いえ! すみません! その、あ、そういう意味じゃなく……!」


 少し面白い。


「ふ。慌てているわね」

「えっ?」

「面白いわ、ミキ」

「え?」

「冗談に本気で返してくるところ、嫌いじゃないわ。面白くて見飽きない」


 すると、ミキは突然大声を出す。


「え! 冗談だったんですか!?」


 目を限界まで見開き、顎が外れそうなくらい口を開けている。どうやら彼は、あたしの発言を冗談だと理解できていなかったようだ。


 あたしからすると、あたしの発言が冗談と理解されていなかったことが、一番の驚きだ。

 顔つきや声色で察してくれるものと思っていたから。


 けれど、よく考えてみれば、真剣に受け取る人がいてもおかしくはない。人は皆、感覚が違うのだから。


「冗談なら冗談だって先に言って下さいよー!」

「あら。先に言ったら面白くないじゃない」

「びっくりしたじゃないですかー!」


 ミキは両の拳を握り締めながら必死に訴えてくる。

 懸命さが初々しい。


「ごめんごめん」

「驚かさないで下さいよ。心臓に悪いです」

「老人みたいなことを言うのね」

「心臓の強さと若さは話が別です」

「……そうね!」


 失ったものもあり、奪われたものもあり。けれども、今はこうして普通に話していられる。それは、様々なことを乗り越えてきたからこそ今ここにあるもの。


 すべては無駄ではなかったのだと、そう信じたい。


 過ちも、悲しみや苦しみも、なかったことにはできないけれど、それを越えたから今の平穏があるのだと、あたしは信じていたいと思う。


「若くても弱い人もいれば、年老いていても強い人もいるわよね」

「はい」

「ま、ミキは見るからに弱そうだけど」

「なっ! これでも武道経験はあるんですよ!?」


 あたしたちが話しているのは、世界を揺るがすような大きな話題ではなく、道行く人誰もが気にしないような小さな話題。


 だがそれでも、こうして話していると、案外楽しく感じるものだ。


 特に今日は、快適な気温だから、なおさら心地よい。


「あたしは、武道経験の有無について言っているわけじゃないわよ?」

「それはそうですけど、弱そうと言われると悔しいです」

「……意外と素直ね」

「僕は元々正直者です!」


 雲一つない澄んだ空は、あたしたちをそっと見下ろしている。

 まるで、子を温かく見守る母親のようだ。


「ふふっ。そうだったわね」

「特にルナさんには、嘘をついたりするわけにはいきません」

「あら。なぜかしら」


 そう問うと、ミキは微かに視線を下げた。


「そんなことをしたら……マモルさんに怒られてしまいます」


 ミキは相変わらず真面目だ。

 もっとも、今さら言うようなことではないのだけれど。


「マモルさんには、生前、とても良くしていただきました。それに、僕は今でも、彼を尊敬しているんです」

「そうだったの」


 すると、ミキの瞳に光が溢れる。


「はい。グラウンド八十周の時にいつも泣いていた僕に、マモルさんは『大丈夫。俺も二歳の頃は、卵を割るのを十九個連続で失敗したりした』と、慰めてくれて。その時から、いつかマモルさんの部下になりたいと思っていたんです。それで……」


 物凄い勢いでマモルの話を始めるミキ。その表情は、今までにないくらい輝いていた。その様は、まるで、将来の夢について語る子どものようだ。


「ついにマモルさんの部下になった日、会議の後に、『僕のこと覚えていますか?』と聞いてみたんです。そうしたら、『え? あ、あぁ、もちろん。三番街のパウンドケーキ店で前後に並んだことあったよな』って」

「覚えていなかったのね……」

「はい。あれは悲しかったです。今では笑い話ですけど」


 そう、過去は遠ざかる。

 悲しかったことも、いつかは薄れてゆく。


 記憶が消えてしまうことはなくとも、傷が完全に癒えることはなくとも、進んでゆくことはできる。



 あたしたちを待つ未来は、明るいだろうか。

 そこに、悲しみは存在しないのだろうか。



 ——それはまだ、誰も知らないけれど。



◆終わり◆

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