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廃れ神  作者: 牧山孝
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暗い森「始」

家に帰った俺は、風呂掃除を済ませると晩飯の支度に取り掛かった。

今日のメニューは煮込みハンバーグとサラダ、豆腐の味噌汁に、頂き物のぬか漬けだ。献立を頭の中に描いたところで、エプロンの紐をキュっと結び、台所に立つ。

まずは挽き肉。こいつを解凍している間に米を研ぎ、サラダを作り、ぬか漬けを切る。

味噌汁は具が豆腐など、あまり火を通さなくても大丈夫なものはハンバーグを焼いている合間に作ってしまうので、今はまだ手を付けない。

ある程度挽き肉が柔らかくなったのを確認したら、ここで玉ねぎを切り始める……と、玉ねぎの入ったネットに手を伸ばしたところで、俺は大変な事を思い出した。


「ああっ!洗濯物!!」


朝に干しておいて、すっかり忘れていた。窓から茜色が差し込むような時間になっているというのに外に出しっぱなしでは、反って湿ってしまう。

慌てて庭に出た俺は、洗濯物へと駆け寄った。触って乾き具合を確認してみると、ひんやりと冷たくなってはいるが、湿ってはいないようだ。

安堵の息を吐いて、洗濯物を取り込み始めようとしたその時。庭と道路を隔てている垣根の向こうで何かが揺れた。

人の頭だ。そう認識した時には、俺の目はその頭に釘付けになっていた。正確には、その髪にだが。


(茶髪……いや、金髪……よりはもっと白っぽい感じか?)


夕暮れどきの赤い日差しの下ではっきりとは言えないが、そんな感じの色である。外国人か染めたものかは分からないが、都会ならまだしも、観光客も来ないこの小さな村ではまず見ない髪色だ。

物珍しさに暫く見詰めていると、突然その頭が視界から消えた。同時にどさりという音が聞こえて、まさかと思った俺は慌てて垣根の向こうへと回った。


「!!」


人が倒れている。言わずもがな、あの頭の持ち主だ。

ある程度予想していた事態ではあるが、実際その場を前にするとどうしていいのか分からず、頭が混乱する。

しかし、このままぼうっと突っ立っている訳にもいかない。俺はその人に駆け寄ると、少し大きな声で呼び掛けた。


「あ、あの!大丈夫ですか!?」


こういう時にとるべき救命行動を、以前学校の授業で習った事がある。一番最初に行うべき事は、確か意識の有無の確認だ。

未だ混乱から脱け出せていない頭で、俺は必死にその時の授業を思い出そうとしていた。意識の有無を確認した後、その後は……


「救急車!救急車呼びますから!ちょっと待っていて下さい!」


その後は、もう思い出せなかった。

こうなると、もう119番しかないだろう。とにかく一旦家に戻って救急車の手配をしよう。そう思って立ち上がった俺の足を、何かが引っ張った。

見ると、生白い手が左足を掴んでいる。驚いてそのままの態勢で固まっていると、足下から弱々しい声が聞こえてきた。


「ちょ……待ち。救急車は……あかん」


「意識が戻ったんですね!でも、念のため救急車は……」


「いや、ほんまに呼ばんでええから……意識も最初からあってん……ただ、答える気力が無かっただけ……や」


そう言ってのろのろと身体を起こしたその人は、それでも立つことは辛いのか、その場に胡座をかいて俺を見上げた。今までうつ伏せていて分からなかったが、中々のイケメンである。俺が女子なら黄色い悲鳴の一つや二つ上げたかも知れないが、生憎俺は男だ。野郎に興味はない。

しかし、それとはまた違う理由で気になる事はあった。


(この人、何でこんなに泥だらけなんだ?)


田植えでもして来たのかという程、彼は泥だらけだった。顔にべっとりと付着しているものは少し乾き始めていて、端の方からひび割れてきている。ズボンに至ってはかなり泥を吸ってしまっているようで、見ただけでも水分でじっとりと重くなっているのが分かった。


「まぁなんや、心配かけたな。もう大丈夫やから、君は行ってええよ」


「あの、救急車が嫌なら、せめてうちで休んで行きませんか?」


「え?」


何がどうしてそんな状態になったのかは分からないが、3月半ばの気温の下で濡れた服を纏っているのは流石に身体に悪い。それでなくともこの人は倒れているのだ。下手をすれば死んでしまうかも知れない。そう思ったら、勝手に口が動いていた。


「服、そのままだと余計体調悪くなると思います。俺ので良ければ着替えもあるし、上がって行って下さい」


「え、いや、流石にそれは……な」


遠慮からの躊躇いなのか、余計なお節介に引いているのかは判断しかねるが、これは恐らく断る方向で考えている。何となくそれが分かった俺は、少々手荒い方法でいく事にした。


「このままお兄さんの事放って置いて何かあったら俺の目覚めが悪いんで、それが駄目ならやっぱり救急車呼ばせて貰いますよ?」


暫しの沈黙の後、彼は溜め息を吐くと諦めたように言った。


「……ほんなら、少しだけ」




玄関でいいと言い張るお兄さんを何とか中へと引っ張り上げた俺は、箪笥の中から適当な服を取り出すと浴室へと向かった。


「着替えとタオル、此所に置いときますね」


「おおきに」


シャワーの水音に混じって聞こえてきた返事に安堵する。着替えるにもまずは身体に付いた泥を落とさないといけない。そう思い風呂を勧めたはいいが、また倒れたらどうしようという心配もあった。しかし、この声の調子なら大丈夫そうである。

取り敢えずは一安心と浴室を後にした俺は、今度こそ洗濯物を取り込み、途中になっていた晩飯の支度を再開した。



後はハンバーグを煮込めば完成という頃。居間の戸が開き、風呂上がりのお兄さんが入って来た。金髪よりも薄い色の髪が、今は濡れてまた違う色に見える。彼は台所に立つ俺に気付くと、軽く頭を下げた。


「お湯ありがとう。お陰でさっぱりしたわ」


「いえ。体調は大丈夫ですか?」


「温まったからかな、大分楽になったわ。……それより、ええ匂いやね。料理しとるん?」


「はい。晩飯作ってます」


そう言って、フライパンの蓋を開ける。途端ハンバーグの香ばしい匂いと、ソースの少し甘みのある匂いが一気に鼻腔を刺激した。まだ食べていないし、自分で作っておいて言うのも何だが、これは絶対美味い。

家の事をやるようになって始めの頃は料理なんて全く出来なかったのに、人間成長するもんだなぁと染々思っていると、突然ゴギューグルグルと物凄い音がした。


「今のは……」


「…………」


あまりにも大きく響いたその音に聞かなかった振りも出来ず、俺は思わずお兄さんを見た。目が合うと、お兄さんは気まずそうに視線を逸らした。


「もしかして、お腹空いてます?」


「……いや、空いてへん」


俺からもフライパンからも顔を背けて答えたお兄さんに、嘘を吐くなと言わんばかりに腹の音が鳴り響く。


「やっぱり空いてるんじゃ……」


「…………」


「えっと、良かったらご飯食べて行って下さい」


「!!あ、い、いや!ほんまにそこまでしてくれんでええから!ほな、そろそろお暇するわ」


「あーもう!いいからっ、食べて行って……下さい!」


玄関へ向かおうとしたお兄さんを無理矢理居間へと押し戻し、そのまま席へと座らせる。それでも尚抵抗するお兄さんの肩を押さえ付け説得を続けると、観念したのか漸く大人しくなった。

………何故だろう。ちょっとした悪者の気分である。

俺は一つ咳払いをすると、よそった料理を食卓に並べ始めた。一つ置く度にお兄さんの腹の音が鳴ったが、その本人は無言のまま食い入るように料理を見詰めている。

やがて全ての料理が食卓に上がり、俺はお兄さんの向かい側の席に腰を下ろした。


「じゃ、食べましょうか」


「う、うん」


いただきますの声が重なり、それぞれがそれぞれの料理を口に運ぶ。


「……うまい」


「良かったー!父親以外に食べて貰うの初めてだったからちょっと心配だったけ……ど……」


お兄さんに顔を向けて、唖然とした。

早い。箸を動かすのも掻き込むのも、めちゃくちゃ早い。鬼気迫る勢いで料理を口に運ぶその姿に、俺はもしかしてと思った。


「まさか、空腹が原因で倒れたとか……」


そう言うと、お兄さんは掻き込んでいた飯を見事に喉に詰まらせた。バンバンと胸を叩いて苦しんでる様子に慌ててお茶を差し出すと、お兄さんはそれを一気に飲み干してから大きく息をついた。


「な、何かすいません」


「いや、気にせんといて……」


俺は空になったグラスにもう一杯お茶を注ぎながら、微妙に流れる気まずい空気を変えるべく、話を別の方向へ逸らす事にした。


「そう言えば、まだ自己紹介してなかったですよね。俺、草薙 享って言います。お兄さんは?」


(えにし)や。名字はちょっと、家の事情で定まっとらんから、言えへんにゃけど」


「そうなんだ。じゃあ、縁さんって呼びますね」


ふと、此方をじっと見詰めている縁さんに気付き、俺は首を傾げた。


「どうかしました?」


「いや、聞かないんやなって。名字が定まっとらんなんて可笑しな話、普通突っ込みたなるやろ?」


「ああ。でも、家の事情って人それぞれだし。それに、こういうのって話す側も聞く側もお互い気を遣うかなって……」


そこまで言って、はっとする。


「あ!別に聞くのが嫌とかじゃなくて!あの、俺も父子家庭だからそういう事が多かったなって……」


伝えたいこと事が上手く言葉に出来ずに焦っていると、縁さんが笑い始めた。その理由が分からずポカンとする俺に、彼は楽しそうな声で言った。


「享君は優しいんやね」


「え、え?」


「君が言いたい事はちゃんと伝わってますよって話」


「そう、なんですか……?」


「そうそう」


全く理解出来ずにいる俺を余所に、縁さんは尚も楽しそうに笑っている。よく分からないが、段々俺も可笑しくなってきて、最後は一緒になって笑った。


「はぁ……よう笑った。こんなに笑ったん久しぶりや」


「俺……笑い過ぎてちょっと腹痛い」


脇腹を抱え込みながら告げると、縁さんが吹き出した。また笑い出すのかなと思ったが、彼が次に浮かべた表情は神妙なものだった。


「あんな、一個変なこと聞いてもええ?」


「?……えっと、俺で答えられる事なら」


ふっと変わった空気に、少し戸惑いながら頷く。


「此処等辺に寂れた神社とか、人があんまし信仰せんようになった祠とか道祖神ってない?」


「寂れた神社に祠に道祖神、ですか……」


確かに変な質問だ。しかし、肝試しでもするのかなと納得した俺は、そう言った場所がないか記憶を探った。


「信仰が途絶えてるかとか、そういうのはちょっと分からないけど、それっぽい場所ならいくつか」


何せこんな田舎だ。でかいものこそ最近出来た神社しかないが、小さな神社や祠、道祖神なんかはこの近辺だけでも結構ある。そう告げると、縁さんの顔付きが一瞬険しくなった。


「そっか……大体の場所でええから教えてくれへんかな?」


「それなら、明日で良ければ俺案内しますよ。ここら辺目印になるような物もそうそう無いから、口頭や地図だとちょっと説明しづらいし」


「ほんまに?それやったらめっちゃ助かるけど、明日って平日やろ?学校大丈夫なん?」


「ちょうど今日から春休みなんです。だからやる事なくて暇で……」


春休み初日から持て余していた暇を何とかしたいという俺の打算に、縁さんは「ほんなら頼むわ」と言って可笑しそうに笑った。





明日の待ち合わせの時間や場所を決めた後、そろそろ帰らないといけないという縁さんを見送って、俺は一人居間へと戻った。

ふと時計を見ると、時刻は21時を少し回っている。こんな遅くまで引き留めてしまって申し訳なかったと、今になって気が付く。


「……」


先程まであんなに賑やかだった部屋の中は、今はチクタクと秒針の音が聞こえる程に静かだ。

テレビを付ける。そこから聞こえる人の声にほっとしながら、俺は台所に立った。洗い物を済ませ、仕事から帰って来た父親がすぐに食べられるよう、フライパンの中のハンバーグを電子レンジにかけられる皿に移し変える。これが父親の口に入る頃には、時計の針はきっと0時を回っているだろう。


胸の中が静かに冷たくなっていくのを感じて、思わず溜め息をついた。今日はもう風呂に入って寝てしまおう。

何せ、明日は縁さんとの約束があるのだ。ダラダラ起きていて寝坊なんてしたら大変なんだ。


そう自分に言い聞かせて、俺は風呂場へと向かった。


「享君は優しいんやね」


その時、ふと縁さんに言われた事を思い出して、胸がチクリと痛んだ。

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