プロローグ
黒煙たなびく街中を、少年はひたすらに走っていた。
避難勧告が出ているのは当然知っていたし、施設のシスターからは決して外へ出てはならないと何度も釘を押されていた。
それでも彼は外に出た。どうしても、出ざるを得なかった。
施設の門は全て施錠され、高い塀は少年の体躯では乗り越えられなかった。だが彼は、彼しか知らない秘密の抜け道を持っていた。
かくれんぼをしている時、偶然見つけた通路。それは施設の設備を点検する際の作業通路だった
。小さな自動機械しか入れないその場所も、少年であれば抜けられた。
「ここにもいない……!どこ、どこ行った?!」
いったん足を止め、ぜいぜいと息をつく。これで空振りは三カ所目だ。
レンガ敷きの通りは街並みを美しく飾るが、こういう時は非常に走りにくい。ただ歩を進めるだけなのに予想以上の集中を強いられる。
いくら腕利きの職人たちが均した道だと言ってもひとたび戦いが始まれば大地が跳ね、浮き、レンガは足を躓かせる障害物でしかなくなってしまう。
秘密の通路を抜けて王宮の傍に出たのはいいが、これでは全力で走れない。
「っ!!」
再び走り出した少年は案の定、盛り上がったレンガに足を取られて転んでしまう。
「いってぇ!」
身の丈に合わない服の裾からはみ出した足やひじを、盛大に打ち付けてしまった。
施設では上等な服などもらえない。自分を含め、子供たちの扱いは決して悪くない。むしろ大人たちは自分たちを必死に守ってくれている。
であっても物が足りなさすぎるこの国で、彼らに質のいい服はまわってこないのだ。
少年は思い切りすりむいた膝を抱え、浮かびそうになる涙を無理やり振り払う。
「こんなとこで倒れてる場合じゃないんだよっ」
探さなくては。何よりも大切に想う、存在を。
「どこだよ……ビゼット……っ」
無意識に名を呼ぶ。
恥ずかしくて一度も口にしたことはないし、むしろバカにしてしまうことの方が多い。
それでも少年は、心の底から彼女の事が好きだった。
だから避難した大部屋の中にその姿が無く、誰も見ていないと知った時、全ての制止を振り切って飛び出してきたのだ。
「ひっ!」
かなり近くで響いた着弾音に、思わず首をすくめる。
今のはかなり近かったのではないだろうか。ここはまだ、大丈夫なのだろうか。
戦いの知識など欠片もない少年には、着弾の音から、その場所が自分とどれだけ離れているかを測るすべなどない。
ただ運を天に任せ、震える事しかできない。
「……だからよ。こんなところでこんなこと、してる場合じゃないっての!立てよオレ!」
この弱虫!意気地なし!
大声で自らを罵倒し、叱咤し、少年はなんとか立ち上がった。
しかし、これほどあちこち走り回っているのに、全く見つからない。一体どこにいるんだろう。
彼は知る由もないが、孤児院を飛び出してからかれこれ三十分は経っている。
公園にも噴水にも、河川敷や橋の下まで行った。お菓子屋さんにも行った。
必死に思考をめぐらせ――。
「……あ!」
そうだ、もう一つ。あの泉に行ってみよう。
あいつはあの場所が好きで、今日も行きたいと話していたことを思い出す。
帰っていないというなら、あいつはたぶん、そこにいる!
行先のめどをつけ、走り出そうとした矢先――。
「……え――?」
不意に頭上に影が落ちた。
不思議に思って見上げると。
「っ!」
さっきの着弾のせいだろうか、城壁が崩れ、自分の上に落ちてくるのが見えた。
「や、やばいっ!」
走り出そうとするが、怪我をした足が痛み、思わずしゃがみこんでしまう。
それが決定的にまずかった。
自分の命を押しつぶそうと降ってくる城壁を呆然と見つめ――。
急に視界が紅い光に染まった。
「な、なんだ!?」
ぐるりと見回すと、紅い光は自分を覆い隠すように広がっていることが分かる。
次の瞬間。
何かが自分の傍に落ちてくる音と共に、元・城壁が紅い光の膜に到達した。
轟音に次ぐ轟音。
しゃがんでいる事すらできないほどの衝撃が少年を襲う。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
自分の悲鳴すら聞こえないほどの音の乱流だ。
やがて――。
音が止んだ。
「……」
完全に座り込んで耳をふさぎ目を閉じ、少年は自問する。
オレは死んだのかと。
死んだに違いない。
だってあれだけの瓦礫が降ってきて、こんなにすごい衝撃が襲い掛かってきたんだから。
直前に見た紅い光。
アレはきっと神様がオレを連れ去るときのものに違いない。
「……」
だが、いつまでたってもその神様の声が聞こえない。
何か――言えよ。
恐る恐る目を開くと。
未だ周囲には紅い光の膜。そして、影。
そっと上を見上げてみる。
「!?!?」
そこには、|腕があった。
見慣れた<E・A>のものではない。もっと太く、もっと派手な腕だ。
さらに視線を動かすと、これまた巨大な顔が、自分を見下ろしていた。
死に神――じゃない。
だってあの顔、どう見ても笑っている。オレを、安心させるように笑っている。ロボのくせに。
『――無事だったな、少年』
まじまじと見ていると、その顔が笑顔と共に言葉を発した。まるで人間が喋っているかのごとく滑らかに口元を動かし、機械の巨人が喋ったのだ!
「あ、あわわ……」
対してこちらは間の抜けた悲鳴しか出てこない。
『――そうじゃなきゃ困るわよ』
さらにその口元から、今度は女の人の声が発せられる。口が動いていないのに、だ。
ど、どういうことだ?こいつはそもそも、男とか女とか、あるのか?
それとも、二人乗っている?
訳が分からない。
『――大体ね、私たちがいながらこんな至近弾を許すなんてありえないんだからね。あんなミサイルくらい、ライフルがあれば撃ち抜けたんだから!』
『――んなもんないんだから、しょうがないだろ。とりあえず人命守れたからいいじゃねーか』
そんなに言うなら、借りてくればよかったじゃないか!
と言う若い男の声に対し、あんたの手に合うサイズが無いんだから無理だったのよ!と女の――少女の声が言い返している。
間違いない、二人乗っていると少年は確信するが、外見的には一人二役。それも男女を使い分けているのでかなりシュールな状況だ。
「……う?」
唐突に、くらりと視界が揺れた。
疲労と混乱の極みに達した少年の脳が処理の限界に達し、意識を手放そうとしているのだ。
「く、そ……!ビゼット……」
こんな、気絶している場合じゃないのに……!
思考ばかりがそう逸るが、それ以外が全くついてこない。というより全力で遠ざかってゆく。
ああ、そういえば聞いたことがある。この間起こった戦いで敵の王子をやっつけたっていうのが、確かこういう感じの機体じゃなかったっけ?いや、そもそも確かこれ、いつぞや王族専用機として神官様が紹介したヤツだよな?
確か名前が――。
「なんつったっけ……」
ばたりと体が倒れ。
少年は意識を失った。
――オレにもこういうのがあれば、あいつを助けられたのに――
真紅の機体の力強さに、それを持たない自分への不甲斐なさと一抹の憧れを、胸に焼き付けながら――。




