第194話 『船室にて』
「ここに入っていなさい」
チェルシーはそう言うと両手両足を縄で縛ったエミルを部屋の奥にある木造の格子の奥の床へと寝かせた。
そこは船内で規律違反を犯した者などを投獄するための座敷牢だ。
部屋のちょうど真ん中が格子で仕切られており、牢の反対側は見張り番の待機場所となっていた。
気絶したまま横たわるエミルを牢の中に残し、チェルシーは牢の外に出る。
そして牢の外には両手両足を縛ったヴァージルとウェンディーが座らされていた。
チェルシーはヴァージルとウェンディーの顔から目隠しと猿轡を外す。
そして竹筒に入っている水を2人に順に飲ませた。
2人は大事な人質だ。
これから王国に戻る船旅の間に死なせてしまうわけにはいかない。
きちんと栄養と休息は与えなくてはならない。
「……エ、エミル?」
「エミル!」
目隠しを外されてしばらく目をしばたかせていたヴァージルとウェンディーは、牢の中にいるのがエミルだと知ると驚きに声を上げた。
2人にとってエミルは幼い頃より共に遊んだ従兄弟だ。
エミルに何度も呼びかける幼いウェンディーにチェルシーは視線を向ける。
「静かにしなさい。エミルは眠っているだけよ。じきに目を覚ますわ」
「なぜエミルまで……あなたたちは卑劣です」
まだ8歳だというのに大人びた性格のヴァージルはそう言ってチェルシーに非難の目を向けた。
だがチェルシーはまったく意に介さない。
「政治と戦争とはこういうものよ。あなたも大統領の息子ならばこの機会に学びなさい。この世の非情さを」
そう言うとチェルシーは見張り用の椅子に腰を下ろす。
(この部屋だけは他の者に任せるわけにはいかないわね)
チェルシーは先ほどから船内に起きている異変はプリシラたちが乗り込んで来たものと知らされていた。
しかしここを離れてプリシラたちを迎え撃ちにいくことはしない。
なぜならチェルシーが最も恐れているのはプリシラではなくエミルだからだ。
エミルが再び覚醒すれば状況は厄介なことになる。
(エミルから目を離すのは危険だわ)
とはいえこの船の中では自分以外にプリシラに対抗できる者はいないだろう。
部屋の前にはシジマとオニユリを待機させている。
しかし2人を含め部下たちには命じてある。
プリシラとの戦闘は避けるようにと。
下手に兵力を損耗することはない。
もしプリシラに捕まるようなことがあれば、この場所を教えてしまって構わないとも部下たちには伝えてある。
この部屋の前でプリシラを迎え撃って殺してしまえばいいだけの話だ。
(大した執念ね。プリシラ。あきらめの悪さだけは認めてあげる。そのせいであなたは死ぬことになるけれど)
チェルシーは来たるべき戦闘に向けて静かに目を閉じ、体を休ませておくことにした。
☆☆☆☆☆☆
「ぎゃあああっ!」
腹を切り裂かれて悲鳴を上げながら膝を床に着く海賊を蹴り倒し、プリシラは船室の入口から中へと駆け込んでいく。
船室の廊下は乗組員たちが行き来するのに十分な広さが保たれており、窓もあるため以外にも開放感があった。
そこにいる数名の海賊を即座に斬り捨てると、プリシラは廊下を見渡す。
廊下に沿って小部屋の扉が一定間隔で続いていた。
(チェルシーたちはどこ?)
この廊下を突き進んでいる時に、一斉にこの扉から敵に出てこられたら逃げ場を失う。
それが海賊たちならばまだ強行突破でどうにかなりそうだが、銃を持ったチェルシーの部下たちだと万事休すだ。
この廊下で敵の銃弾に当たらぬよう動き回るのは相当に困難だろう。
そう思ったその時、小部屋の扉の一つが開く気配がした。
プリシラはすぐさまその扉の脇の壁に背中をつけ、姿勢を低くして息を殺す。
扉を開けて出て来たのはまだ若い海賊の男だった。
その男は怯えた表情で恐る恐る外の様子を見て息を飲んだ。
プリシラに斬り殺された海賊たちの血まみれの遺体が廊下に転がっているのを見て、体を強張らせている。
そのためすぐ脇に屈んでいるプリシラに気付いていない。
プリシラは即座にその男の横っ面を拳で殴り付けた。
「がっ!」
若い海賊は短い悲鳴を上げて倒れ込む。
気絶しないようにプリシラが加減をして殴り付けたため、男は痛みに悶えて必死に起き上がろうとしていた。
その首元にプリシラは剣の切っ先を突きつける。
「ひっ……」
若い海賊の男は顔面蒼白で目を剥いてプリシラを見た。
プリシラは殺気を込めた目で男の目を見据え、低く抑えた声で問う。
「答えなさい。銀髪の女や白い髪の男たちはどこ?」
「……い、言えない」
「言いなさい!」
「い、言ったら……団長や兄貴たちに殺される」
情けない顔でそう言う若き海賊に、プリシラは鬼気迫る表情で剣の腹を海賊の喉に押し当てた。
状況は切迫している。
エミルを救出するためにどんなことでもしなければならないのだ。
「ここでアタシに殺される方がマシってこと?」
「ひっ……ひいっ!」
恐らくこの若い海賊はまだ経験が浅いのだろう。
実際に死を感じて、すっかり恐怖に飲み込まれてしまった。
「ま、待ってくれ。客人たちは……この下の階層の……」
「案内しなさい」
プリシラは彼の首に剣を突きつけたまま、有無を言わせぬ口調でそう言うのだった。
☆☆☆☆☆☆
「はあっ!」
「ぬうっ!」
フィランダーはハリエットの振るう斧を長剣で防ぎながら、若きダニアの女戦士の予想以上の強さに内心で舌を巻いていた。
正直、これほどとは思わなかった。
全力で戦い、ほぼ互角。
フィランダーも若き頃は海軍兵として武勇を誇った男だ。
40歳を過ぎているとはいえ、この海賊団の誰も彼には遠く及ばない。
かつては同僚や後輩だった海軍兵らと戦っても一度も負けたことはなかった。
しかし目の前にいるハリエットは、今まで戦ったどの相手よりも強敵だった。
(大したお嬢ちゃんだぜ……だが!)
彼は目の端で捉えていた。
船室に向かった部下たちが2人がかりで武器を抱えて戻って来たのを。
それはまるで平たい板のような大剣だ。
フィランダーがその剛腕で振るう自慢の武器だった。
「いい腕だな。ハリエットとやら。そんなおまえに敬意を表し、俺の相棒を紹介しよう」
そう言うとフィランダーは素早く後方へと下がっていく。
それを見たハリエットは深追いすることなく、怪訝な表情で斧を肩に担ぎ、息を整えた。
「相棒ですって?」
そんなハリエットの視線の先では部下たちから新たな武器を受け取るフィランダーの姿があった。
彼は長剣を部下たちに渡し、代わりに大剣を受け取った。
そしてそれを両手で握ると、軽々と振り上げて見せる。
「どうよ。このかわい子ちゃんは。惚れ惚れするだろ? ダニアの女は長くて太いものが好きだと聞いているぜ? へっへっへ。こいつで貫かれたら、おまえがどんな声で鳴くのか楽しみだ」
「フンッ。デカけりゃいいと思っている男って案外つまんないのよ。ご自慢のものをへし折ってやるからかかってきなさい」
そう言うとハリエットは斧を構えてフィランダーを手招きするのだった。
☆☆☆☆☆☆
オリアーナを主に持つ鷹のルドルフは主が船室へと消えていった後は、上空高くを旋回していた。
海賊たちが弓矢を射かけても届かないほどの高度だ。
海風は強く不規則なため、ルドルフにとっては飛行の難しい条件下でもある。
突然の強風に煽られながらもルドルフは高度を維持していた。
そしてルドルフはよく訓練されている。
視力に優れたその目が捉えるのは主と同じダニアの女特有の赤毛だ。
赤毛の女は味方であり、助けるべき相手だとルドルフは理解していた。
主の姿が視界から消えている今、彼が助けるべき相手は別にいる。
ルドルフは海賊船の船首方向へと移動していく。
彼の見下ろす下では、ハリエットが斧を手に熾烈な戦いを繰り広げていた。
相手は長く幅広の大剣を持つ大柄な男だ。
そこにあるのは明確な味方と敵の構図。
ルドルフは命令を忠実に果たすダニアの鷹だった。




