第184話 『修羅の怒りと歪んだ悦び』
「た、隊長!」
チェルシーに投げ飛ばされたエミルを受け止めたのは、いつの間にか目を覚ましていたアーシュラだった。
彼女は先ほどまでエミルに押し付けられていた布を頭に巻いて止血している。
その目はチェルシーに向けられていた。
「チェルシー将軍……ワタシはアーシュラ。クローディアの秘書官を務めております」
アーシュラの言葉にチェルシーは剣の切っ先をプリシラに向けたまま動きを止めた。
「……アーシュラ。あなたが?」
チェルシーもアーシュラの名は知っている。
銀の女王の腹心中の腹心であり、クローディアに最も近しい部下だ。
妹の自分がほとんど知らないクローディアのことを、アーシュラは知り尽くしている。
チェルシーは敵意を込めた目でアーシュラを一瞥した。
アーシュラはそんな彼女の視線を受けても、冷静さを崩さずに答えた。
「ええ。チェルシー将軍。あなたのことでクローディアは随分と胸を痛めております」
その言葉にチェルシーは苛立ち、憤然たる表情を見せた。
「愚かな妹の蛮行を嘆いているのかしら? それならここでプリシラと一緒にあなたのことも葬ってあげたら、姉様の胸は張り裂けてしまうかもしれないわね」
そう言うチェルシーの目に残酷な光が滲む。
その顔に浮かぶ凄みのある笑みに修羅の怒りと歪んだ悦び。
その二面性を帯びた表情を見たアーシュラは思わずゾッとする。
(この娘は……クローディアへの怒りや恨みに心を支配されている)
おそらくクローディアの近しい者らを殺すことに喜びを感じ、それが復讐の一端になると考えているのだろう。
いかにしてクローディアの心を傷つけるか。
それがチェルシーにとっての復讐なのだ。
アーシュラはそのやるせなさに唇を噛む。
(姉に捨てられたという思いが彼女の中でどうしようもなく大きいのだろう。クローディアとてチェルシーのことでは常に胸を痛めていたというのに……)
この上、妹が自分に近しい者たちを殺したとなれば、クローディアは立ち直れないかもしれない。
これ以上、主を……生涯の友を傷付けさせるわけにはいかない。
アーシュラはチェルシーを刺激しないよう、落ち着いた口調で話した。
「ワタシ程度が死んだところで国は動きませんが、ブリジットの娘であるプリシラを殺せばダニアと共和国は黙ってはいませんよ。王国にとっては最悪の結末を迎えることになります」
「最悪かどうかは別にして、それはエミルを誘拐する時点で織り込み済みよ」
「エミル様は貴重な人質として丁重に扱えば交渉の強力な手札となります。しかしプリシラ様を殺してしまえば交渉どころではありません。血で血を洗う大戦の始まりです。王国は公国を相手にしながら、共和国とダニアをも相手にすることになります。仮に新型兵器で勝利を得られたとしても王国自身も深い傷を負うことになりますよ。戦争とはそういうものです。大戦は国を疲弊させ、そこに真の勝者はいなくなります」
この状況に至っても冷静な口調のアーシュラだが、チェルシーはプリシラに剣を突き付けてじっと見据えたまま、冷然とした声でアーシュラに答えた。
「そんなことは分かっていて戦争を起こしているのよ王国は。公国と共和国の領土すべてを併合し、大陸一の大国になるためにね。痛みを恐れるなら自分から戦を仕掛けたりはしない」
そう言うチェルシーの目に再び殺気が宿る。
アーシュラは息を飲んだ。
人が人を殺す時に見せる決然たる殺気を感じ取ったからだ。
その殺気はプリシラに向けられている。
(まずい!)
アーシュラは瞬間的に動こうとした。
だが、それよりも早く……一本の矢が飛んできたのだ。
チェルシーに向かって。
☆☆☆☆☆☆
「ネル! 急いで! あんたが一番身軽なんだから!」
「分かってるよ! クソッ!」
港町バラーディオの農耕地帯。
先行するネルに後続のハリエットが続く。
その後を走るのはエリカ、オリアーナ、エステルだ。
彼女たちはそれぞれエミルの所在候補地に向かい捜索に当たっていたが、空振りに終わった。
そのためあらかじめアーシュラから指示されていたギニディア修道院に向かったのだ。
途中で黒熊狼のバラモンを休ませていたオリアーナとも合流し修道院に着くと、そこでアーシュラの書き置きを見つけた。
そして港方面へと急いだのだ。
プリシラとアーシュラの走った跡をバラモンの嗅覚を頼りに辿った。
しかし途中で2人のニオイは細い路地の壁で途切れた。
おそらく屋根の上に上ったのだろうと予想し、この中で最も身軽なネルが屋根に上ったのだ。
するとそこにはアーシュラが残した目印と思しき米粒が落ちていた。
それはアーシュラたちが屋根伝いに移動していったことを示している。
なぜならばその米粒は鮮やかに赤く着色されていたからだ。
そしてその赤い米粒は屋根から屋根へと続き、それを追って屋根伝いに移動するネルに先導され、皆はここまでやって来たのだ。
途中で出会うダニアの女たちや共和国軍兵士らに状況を伝え、応援を要請することも忘れなかった。
そしてついに川を渡った先で、プリシラと銀髪の女が争う姿を見つけたのだ。
見るとプリシラもアーシュラも地面に膝を着いており、明らかに劣勢だった。
「ケッ! だらしねえ隊長と姫様だぜ!」
そう言うとネルは走りながら弓に矢を番える。
相手まではまだ200メートルほどの距離がある。
だが、ネルは見た。
銀髪の女が地面に膝を着くプリシラを殺すべく剣を突き出そうとしているのを。
(チッ! 一か八かだ。当たらなくてもいい。気を逸らせればいい)
まだ弓矢の有効射程範囲には遠く、仮にネルの腕前が以前のままだったとしても当てるのは困難だった。
ましてや今は本調子ではない。
だが、今ネルがやらなければプリシラは死ぬ。
「くそっ! 間に合え!」
ネルは走る勢いのまま前方へと矢を放った。
いつもより高めの軌道で星空の下を飛んだ矢は、夜間だというのに正確にチェルシーの頭上に吸い込まれるように舞い落ちていった。
☆☆☆☆☆☆
鋭い風切り音と共に一本の矢が頭上から降り注ぐ。
「チッ!」
チェルシーはそれを剣で弾き返した。
反射的にシジマとオニユリが後方を振り返る。
すると複数の赤毛の女たちが向かって来るのが見えた。
その数は5人。
だがさらに後方からは多数の共和国軍の兵士らが駆け付けてくる。
「将軍閣下!」
シジマは杭を構えて声を上げた。
オニユリも拳銃を構える。
たが数の上ではこちらが不利だった。
もちろん雑兵が何人来ようとチェルシーは負ける気はしない。
しかし敵を倒すのに余計な時間をかければ、本来の任務に支障が出る。
(そろそろ潮時ね)
チェルシーは先ほどからアーシュラがこちらの隙を窺っていることに気付いていた。
アーシュラという女はただの秘書官ではない。
斥候であり暗殺者でもあることをチェルシーは知っている。
決して隙を見せてはいけない相手だ。
プリシラを殺すためにチェルシーが刃を振るえば、その瞬間にアーシュラは何かを仕掛けてくるだろう。
チェルシーは一瞬で決断し、プリシラから剣を引くと代わりに蹴り飛ばした。
「あぐっ!」
胸を蹴り飛ばされてプリシラは後方に吹っ飛ぶ。
そしてチェルシーが動くと同時にアーシュラも動きを見せたが、それにチェルシーは対応した。
アーシュラは吹き矢をすばやく放ってきたのだ。
チェルシーは即座に反応して吹き矢の鏃を剣で叩き落とすと、一瞬で間合いを詰めた。
そしてアーシュラに剣を向ける。
だが……またしてもエミルがその前に立ちはだかった。
しかし二度目ともなればチェルシーは歯牙にもかけない。
剣を引くとチェルシーはエミルの頭のすぐ真横を鋭く拳で突いた。
その拳はエミルの後ろにいたアーシュラの顔面を捉える。
「ごはっ!」
すでに頭部を小石で強打して負傷しているアーシュラは、二度目の打撃に吹っ飛んで仰向けで倒れるのだった。




