第182話 『姉弟の再会』
「エミル……エミル!」
「姉様!」
馬車から助け出されたエミルはアーシュラによって農家の建物の陰に隠された。
そこに駆け込んで来たプリシラは、ようやく会えた弟の無事な姿に感極まり、思わずその体を抱き締める。
姉の懐かしい香りやその温もりに、エミルもプリシラを抱き締め返した。
ずっと張り詰めていた緊張の糸がほどけ、涙が溢れ出す。
「エミル……無事でよかった。長い……長い迷子だったわね」
そう言って泣き笑いするプリシラにエミルも何度も頷く。
幼い頃、迷子になるとこうして姉が迎えに来てくれた。
その時のことが脳裏に甦る。
だが、再会を喜んでばかりはいられなかった。
「お2人とも。すぐにここから離れなくては」
アーシュラは感じ取っている。
後方から2人の男女が自分たちを追ってくることを。
そのうち1人は筆舌に尽くしがたいほどの憎悪をこちらに向けてくる。
おそらく女の方だ。
アーシュラの言葉に姉弟は頷き、すぐさま走り出す。
だが、エミルは足がフラついているようで、思ったように走れない。
見かねたプリシラは足を止めた。
「ほら。エミル。今はアタシに任せなさい」
そう言うとプリシラは軽々とエミルを背負い、再び走り出す。
そして並走するアーシュラに尋ねた。
「ここからどこに向かいますか? 隊長」
「ダルシー部隊長のいる駐屯所が比較的近いです。あそこなら同胞たちもそれなりの数がいますから安全かと」
アーシュラは追ってくる敵の視界に入らないよう建物の陰を選んで移動していくが、それも限界があった。
農耕地帯のため、そもそも建物自体が少ない。
プリシラは走りながら時折、後方を注意深く確認した。
今のところ姿は見えないが、オニユリたちが追ってきているはずだ。
「馬車に乗っていた白い髪の男女のうち、女は恐ろしい銃の使い手です。オニユリという名前で……あいつがジャスティーナを……」
プリシラはオニユリに撃たれて谷底に落ちたジャスティーナのことを思い返し、顔を怒りに染める。
その背中に背負われているエミルは、オニユリという名前に顔を曇らせた。
その怯えの感情をアーシュラは敏感に察知して話を変える。
「チェルシー将軍がこんな場所に現れたということは、王国は明確な共和国への侵略意思があるということです。ですがチェルシー将軍をこのバラーディオで逆に捕らえることが出来れば、共和国にとっては強力な交渉の手札となるでしょう。共和国に火の粉が及ぶ前に……」
アーシュラがそう言ったその時だった。
いきなり黒い物体が高速で飛んできて、それがアーシュラの頭にぶつかったのだ。
アーシュラはまるで糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちる。
「た、隊長!」
見るとアーシュラのすぐ傍に黒い小石が転がっている。
投石を受けたのだと分かった。
プリシラは即座に足を止め、エミルを下ろす。
「エミル。頭を低く下げて、地面に伏せなさい」
エミルを地面に伏せさせると、プリシラも地面を這うようにアーシュラの元へ向かう。
だが、アーシュラは頭から血を流し、意識を失ってしまっていた。
「た、隊長……隊長ぉぉぉぉぉぉ!」
☆☆☆☆☆☆
港町バラーディオの農耕地帯。
チェルシーは頭の中に記憶した地図を思い返して先回りするように走りながら考えていた。
(あの赤毛の女を先にどうにかするべきね。プリシラはどうにでもなる。ただ……またエミルが我を忘れて暴れ出すと厄介だわ)
チェルシーとしては本命であるヴァージルとウェンディーの身柄を押さえて、本来の任務完遂への条件は整っている。
エミルの身柄を奪取することは任務外の追加業務だ。
それにかまけてこの港からの脱出が疎かになることは避けねばならない。
エミルの再略取は一発勝負だ。
それで駄目ならエミルからは手を引いて早々にこの街を脱出すべきだろう。
そう考えるチェルシーの視界の端に、プリシラたちの姿が見えた。
彼女たちは農家の家屋の間を縫うように走り続けている。
チェルシーからの距離はおよそ80メートルほどだろう。
(よし。先回りが上手くいった)
チェルシーは小石を拾い上げる。
そして相手の走る速度を計算し、タイミングを計ると小石を思い切り投げつける。
鋭く宙を舞うその小石は……プリシラと並走している赤毛の女の頭に直撃した。
☆☆☆☆☆☆
「隊長!」
プリシラの声も虚しく、アーシュラは倒れたまま目を覚まさない。
どこからか高速で飛来した小石が頭を直撃し、その側頭部からアーシュラは血を流して昏倒したのだ。
プリシラは小石の飛来した方角に目を向ける。
数十メートル先には銀色の髪を風に靡かせた女の姿があった。
「……チェルシー」
チェルシーはこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
アーシュラを狙った小石は彼女の投げたものだと分かった。
プリシラは唇を噛むと、アーシュラが背負っていた袋の中から清潔な布を取り出す。
止血帯として使うものだ。
プリシラはすぐ近くで地面に這っている弟にそれを手渡した。
「エミル。これでアーシュラさんの頭の傷を押さえてあげて」
姉の言葉にエミルは戸惑いながらも布を受け取り、アーシュラの頭の傷を必死に押さえた。
すぐに赤い血が白い布を染めるが、出血量は幸いにしてそれほど多くない。
黒髪術者でもあり勘も良いアーシュラのことだから、事前に危機を察知してほんのわずかに身をよじることで致命傷を避けたのだとプリシラは思いたかった。
だが、それでも状況は絶望的だ。
チェルシーはもう目の前まで迫っている。
そしてプリシラが左側に目を向けると、オニユリともう1人の白髪の男が数十メートル先まで迫って来ていた。
プリシラは鬼気迫る表情で鞘から剣を抜き放つ。
(アタシが守るしかない。エミルのことも、アーシュラ隊長のことも)
プリシラは今から3対1の限りなく厳しい戦いを強いられることになる。
しかも相手のうち1人はチェルシーだ。
先ほどの馬車の上での格闘戦でも、自分がチェルシーよりも劣っていることをプリシラは痛感した。
(でも……それでも今ここで戦えるのはアタシだけだ)
母から教えられていることがある。
いつか女王として戦場に立つ日が来る。
その時に絶対にしてはならないこと。
それは戦場で心折れてしまうことだ。
戦場においてダニアの女王は多く戦士たちの心の拠り所なのだ。
その女王が相手に膝を屈することがあってはならない。
たとえ戦いの果てに命尽きようとも、最後まで勇ましく剣を振るうのが女王の務めなのだ。
プリシラはその母の教えをいついかなる時でも忘れない。
(母様……クローディアに……一族の皆に恥ずかしくない戦いを見せてやる)
エリカやハリエットら、優秀な仲間たちと共に訓練をしたこの数日を思い返す。
戦意十分で迎え撃とうとするプリシラに対し、チェルシーも剣を抜いた。
そしてチェルシーは部下たちに言い放つ。
「シジマ。オニユリ。手出しは無用よ。3分でカタを付ける。そこで見ていなさい」
そう言うとチェルシーは剣を振り上げて猛然とプリシラに突進した。
プリシラは体中の戦意を振り絞り、轟然と声を上げる。
「来なさい! チェルシー! アタシは絶対に折れないわよ!」
金と銀の髪が舞い踊り、刃が再び火花を散らすのだった。




