第181話 『金と銀の対決再び』
走行中の馬車の上で2人の女たちが激しい取っ組み合いを繰り広げている。
プリシラとチェルシーだ。
2人はどちらが馬乗りになるか、互いに組み合ったまま懸命に自分が優位に立とうとしていた。
プリシラの金色の髪が激しく舞い踊り、チェルシーも頭に被る頭巾が脱げてしまい銀色の髪を露わにしている。
そんな2人の女たちの戦いを同じ馬車の上で身をすくめて見守るのは、黒髪の少年・エミルだ。
エミルはまさか姉のプリシラがここに助けに来てくれるとは思わず、驚きと喜びのない交ぜになったような表情で姉の勝利を祈り続けていた。
金と銀の女王の血を引く2人の戦いは凄まじく、まるで獅子と虎が食い合っているかのようだ。
エミルにはとても手出し出来る状況ではない。
「エミル! 今、助けるからね!」
プリシラは必死にチェルシーと戦いながらそう声を上げる。
だがチェルシーはそんなプリシラを嘲笑うように言った。
「エミル。期待しないほうがいいわよ。あなたの姉様じゃワタシには決して勝てないから」
「黙りなさい!」
姉の激しい戦いを目の前にして、エミルは唇を震わせる。
いっそのこと自分がこの馬車から飛び降りて逃げてしまえば姉もここから共に逃げ出せるのではないか……そう思ったが、後方を見てそれも無理だとエミルは悟った。
先ほどプリシラにやられて馬車から転落したシジマとオニユリの兄妹が、この馬車を追って後方から走ってきている。
今、馬車から逃れたとしてもエミルでは彼らに捕まってしまうだろう。
姉の勝利を祈るほかなかった。
だがチェルシーの言葉通り、プリシラは徐々に不利な体勢に追い込まれていく。
武器を使わぬ格闘技術においてもやはりチェルシーはプリシラを上回っていた。
成長途中のプリシラに比べて体格もチェルシーのほうが大きくてガッシリしている。
そしてとうとうチェルシーに馬乗りになられてしまったプリシラは悔しげに言葉を吐き出した。
「チェルシー。この街にはダニアの同胞たちが数多く存在する。ここから逃げられやしないわ。絶対に」
「フン。情けない負け惜しみね」
そう言うとチェルシーは容赦なくプリシラを殴りつけていく。
プリシラは頭を殴られまいと両腕で必死に防御した。
だがチェルシーの狙いは違った。
彼女は右手でプリシラの腕を掴むと、左腕でプリシラの首を圧迫し始めた。
「かっ……かはっ」
プリシラは気道が圧迫されて呼吸がままならなくなり、苦しげに喘ぐ。
チェルシーを押し退けようにも、体重をしっかりとかけられて呼吸もままならない中ではどうにもならなかった。
「これで終わりよ! プリシラ!」
「ね、姉様を放せ!」
エミルが怒りに体を震わせて立ち上がり、チェルシーに体当たりを仕掛けた。
だがチェルシーはビクともせずに、逆にエミルが荷台に倒れ込んでしまう。
チェルシーは御者台に乗るヒバリとキツツキに言い放った。
「どっちか1人! エミルを押さえておきなさい」
その朗々たる声にビクッとしたキツツキが御者台から荷台に移ってきてエミルを押さえつけた。
エミルは必死に抵抗するが、キツツキの体格には敵わず動けなくなってしまう。
姉弟ともに身動きを封じられ状況は絶望的かと思われた。
だが……馬車が農林の脇を通りかかったその時、木の上から人影が舞い降りてきたのだ。
プリシラは呼吸がままならない中でその人影を見た。
木の枝をしならせて跳躍し、馬車に向かって舞い降りてきたのはアーシュラだ。
アーシュラは荷台に着地すると同時に、エミルを押さえ込んでいるキツツキの顎を蹴り上げた。
「あぐうっ!」
キツツキはひっくり返ってしまった。
そしてアーシュラは手に持っている袋の中身をチェルシーに向かってぶちまける。
それは真っ白な粉末だった。
チェルシーは咄嗟に目を閉じて顔を背けるが、粉末が噴霧状に荷台の上に広がり、それを吸い込んで咳き込んでしまう。
「ゴホッ! ゴホゴホッ!」
そのせいでプリシラを押さえる力が弱まり、プリシラは渾身の力を込めてチェルシーを押し退けると、その体の下から抜け出る。
「プリシラ! 馬車から脱出を!」
アーシュラのその声にプリシラは咄嗟に馬車から身を躍らせた。
「ゴホッ! ゴホッ!」
わずかに煙を吸ってしまったプリシラは地面を転がって止まると、目を凝らした。
その目が希望の光に満ちていく。
白霧の中、馬車から飛び降りたアーシュラはその腕に少年を抱えている。
プリシラは思わず声を上げていた。
「エミル!」
そう。
アーシュラはついにエミルをその手に救い出したのだった。
☆☆☆☆☆☆
馬車から振り落とされたシジマとオニユリは、馬車を追って懸命に走り続けていた。
ともにプリシラの攻撃を受けて痛手を被っている。
「あの小娘! 頭に来るわ!」
蹴り飛ばされたオニユリ以上に痛手を被ったのは、顔面を拳で殴られたシジマだろう。
まだ若い小娘だというのにプリシラはとんでもない力の持ち主で、殴られたシジマはまだ頭がグラグラしてまっすぐ走るのも苦労するほどだ。
そして彼らは見た。
300メートルほど前方で馬車から飛び降りるプリシラと、エミルを抱えて同じく飛び降りた赤毛の女の姿を。
「エミルが奪還された!」
シジマがそう叫ぶと、オニユリは懐から拳銃を取り出す。
それを見たシジマは妹を窘めた。
「発砲するなよ。チェルシー様やエミルに万が一でも当たったらマズい」
「兄様。あなたの妹が一族一番の拳銃の使い手なのをお忘れですか?」
そう言うオニユリにシジマは怒りを滲ませて言った。
「撃たずに敵を制する技術を覚えろ! こんな街中で銃声を響かせれば、共和国軍兵士やダニアの女たちが寄ってくるぞ!」
シジマは妹の逸る気持ちを抑えるように、頭の痛みを堪えて必死に先行して走る。
彼らの視線の先では、プリシラとエミル、そして赤毛の女が農家の家屋の陰へと消えていくのだった。
☆☆☆☆☆☆
「ゴホッ! ゴホッ! 馬車を止めなさい!」
白い粉末にまみれたチェルシーは苛立ちながらそう叫ぶ。
突如として馬車に乗り込んできた赤毛の女に一杯食わされ、エミルを奪われた。
チェルシーは忌々しげに水袋を取り出すと、それを煽って粉っぽい喉を潤す。
(何なの……あの女は)
勇猛を誇るダニアの女たちだが、戦場で武器を振るうばかりが能ではない。
中には斥候技術に長け、計略で敵を欺き陥れる者もいるだろう。
それにしても先ほどの赤毛の女は鮮やかな手口だった。
そして白煙によって馬が興奮していたため、御者のヒバリも馬車を止めるのに苦労したのだろう。
ようやく止まった馬車から飛び降りると、チェルシーは顔に付いた白い粉を払いながら走る。
すでにプリシラとエミル、そしてもう1人の赤毛の女の姿は見当たらない。
だが、後方から走ってきていたシジマとオニユリがこちらに手を上げて合図すると、農家の家屋が立ち並ぶ一角の曲がり角を曲がっていく。
おそらくあの2人はエミルの姿を捕捉して追っているのだ。
(まだ遠くには行っていないはず)
せっかく望外にも手に入れたエミルの身柄を簡単に手渡してしまうのは惜しい。
あまり時間は掛けられないが、一度だけエミルの奪還を試みるべく、チェルシーは方向転換をした。
頭の中にこの街の地図は記憶している。
チェルシーはプリシラたちの動きを予測して先回りを図るのだった。




