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蛮族女王の娘《プリンセス》 第2部【共和国編】  作者: 枕崎 純之助


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第178話 『兄の怒り』

 意識を失って倒れたヤブランを見下ろし、オニユリは怒りのあまり彼女を撃ち殺してしまいたい気持ちを堪《こら》えていた。

 ヤブランは兄であるシジマの小間使いだ。

 殺してしまうわけにはいかない。

 オニユリは忌々(いまいま)しげにヒバリに声をかける。


「ヒバリ。この小娘を抱えて修道院に戻るわよ。動けないようにしっかり縄《なわ》で縛《しば》りなさい」


 その命令にヒバリは馬車の主に突きつけていた小刀を下ろして御者台から飛び降りた。


「ひっ……ひいっ!」


 九死に一生を得た馬車の主は馬車を捨てて一目散に逃げ出していく。

 その時……どこからか爆発音が聞こえてきて、続いてすぐに鐘《かね》の音が鳴り響いた。


「何? 一体何なの?」


 突然の異変にオニユリは思わず顔をしかめる。

 だが、さらなる異変が起きたのはその数秒後のことだった。

 ヒバリとキツツキがほぼ同時にくぐもった悲鳴を上げたのだ。


「うぐっ……」

「はうっ……」


 何事かと思って目を向けると、2人の腕に白い杭が突き刺さり、反対側に突き抜けている。

 ヒバリもキツツキも腕をもう一方の手で押さえて蹲《うずくま》った。

 オニユリは思わず息を飲む。

 その白塗りの杭には嫌と言うほど見覚えがあるからだ。


 オニユリは顔を上に向ける。

 するとすぐ近くの建物の屋根の上に1人の男が立っていた。

 男は頭髪を頭巾《ずきん》で隠している。

 そして身軽に屋根に上から飛び降りると、その男はオニユリの目の前に立った。

 その姿にオニユリは震えた声を絞《しぼ》り出す。


「に……兄様」


 オニユリの目の前に姿を現したのは、彼女の兄のシジマだった。

 シジマは冷たい怒りをその顔に露《あら》わにして、オニユリの目をじっと見据《みす》える。

 そして怒りを押し殺すような低い声を発した。


「オニユリ。その目立つ髪を隠しもせず、ここでおまえは何をしている?」


 そう言うとシジマは倒れて意識を失っているヤブラン、それから縛《しば》られて地面に座り込んでいるエミルの姿を見た。

 その目に明らかな怒りの炎が揺らぐ。

 青く冷たい炎だった。

 

「答えろオニユリ。ここで何をしている?」

「に……兄様。どうしてここに……」

「問うているのは俺だ! なぜアリアドにいるはずのおまえが、こんなところでエミルを連れている」


 いつも冷静な兄のシジマがこんなにも怒りを剥《む》き出しにしているのを見たオニユリは、必死に声を絞《しぼ》り出した。


「……お詫《わ》びいたします。独断でエミルの身柄を手に入れて、それを報告いたしませんでした。すべて……私利私欲のためです」


 オニユリは観念した。

 どんな嘘《うそ》や言い逃れで取り繕《つくろ》おうとも、シジマには看破されてしまうだろう。

 昔からこの兄には嘘《うそ》や誤魔化《ごまか》しが通用しないのだ。

 ヤブランを使いに寄越したことからも、おそらくシジマは以前からオニユリの行動に疑念の目を光らせていたのだろうとオニユリは痛感した。

 一方のシジマは深く息を吐く。


「それが将軍閣下(かっか)のご命令への隊規違反になると知っていての所業か?」

「わ、私はもう将軍閣下(かっか)の直属から外れております。ジャイルズ王からはエミル確保の勅命《ちょくめい》は受けておりません」

「馬鹿者! 屁理屈《へりくつ》にもほどがあるぞ!」


 一喝《いっかつ》するシジマの声にオニユリは悔しげに唇《くちびる》を噛《か》む。

 兄にこれほど強く叱《しか》られるなど、小娘だった頃以来の屈辱《くつじょく》だった。


「将軍閣下(かっか)がエミル確保を我らに命じた。ならばそれを果たすべく最善を尽くすのが忠義というものだ。おまえは分かっていない。閣下《かっか》が我ら一族の立場を守って下さっていることを。その恩を仇《あだ》で返すような真似《まね》を妹がしたとなれば、この俺も閣下《かっか》に顔向けが出来ん」


 シジマの言葉にオニユリは内心で毒づいた。


(フンッ。チェルシーチェルシーって。兄様はあの小娘に心酔《しんすい》し過ぎで気持ち悪いのよ)


 だがそれを口に出せば、シジマのさらなる怒りを買うことになると思い、じっと嵐《あらし》が過ぎ去るのを待とうとしていたオニユリは、突如として頭上から舞い降りてきた人影に思わず瞠目《どうもく》する。

 シジマの背後に降り立ったのは……銀色の頭髪を頭巾《ずきん》で隠した若く美しい女性だった。

 オニユリは苦虫を嚙《か》み潰《つぶ》したような顔で声を絞《しぼ》り出す。


「チェ……チェルシー様」


 そう。

 そこに立っていたのはチェルシーだった。

 驚《おどろ》いたのはオニユリだけではない。

 妹の言葉にシジマも目を見開き、背後を振り返った。

 

「か、閣下《かっか》……」

「珍《めずら》しいわね。シジマ。あなたともあろう者がワタシの接近に気付かないなんて」


 チェルシーの言葉通り、シジマは妹への怒りで頭に血が上っていたため彼女が近付いてくる気配にまったく気付かなかった。

 驚《おどろ》くシジマにチェルシーはわずかに微笑みを向けた。


「シジマ。あなたを呼び戻しに来たのよ。理由は後で話すわ。でも……」


 チェルシーはチラリとエミルに目を向ける。

 それからオニユリに視線を移した。

 その泰然たる視線を受けてオニユリはわずかに怯《ひる》む。

 そんな彼女を責めるわけでもなくチェルシーはその目に強い光を宿して言った。


「色々な経緯《いきさつ》があったにせよ、結果として運が向いてきたわね。シジマ、オニユリ。話は後で聞くわ。聞こえるでしょ。あの鐘《かね》の音が」


 つい先ほどから響いてきている鐘《かね》の音は、この港町バラ―ディオに非常事態を報《しら》せるものだ。


「例の彼女が言っていた第2の手が発動したわ。出航までの秒読みが始まったのよ」


 チェルシーの言葉をシジマは即座に理解した。

 要するに時間はあまりなく、この場に留まっていることはこれ以上、許されないということだ。

 チェルシーは凛《りん》とした表情と毅然《きぜん》たる口調で命じる。


「シジマ。エミルを連れて船倉庫へ戻るわよ。オニユリとそこの2人も同行するように。異論は認めない」


 有無を言わせぬチェルシーに圧倒され、オニユリだけでなくヒバリとキツツキも押し黙《だま》ったまま頷《うなづ》く。

 ヒバリとキツツキは腕に刺さった杭を苦しげな表情で抜いた。

 そしてすぐさま自身の衣の袖《そで》を破り取ると、それを互《たが》いに傷付いた腕に巻き合って止血を図《はか》る。

 シジマはエミルへと歩み寄りながら、そんな2人に冷然とした目を向けた。


「その杭を貴様らの頭に突き立てなかったのは、妹への温情だ。だが、それも一回限りだと肝《きも》に銘《めい》じろ。二度目は容赦《ようしゃ》しない」


 そう言うとシジマはすでに両腕を縛《しば》られているエミルの目の前に立った。


「数日ぶりだな。エミル。また一緒に旅が出来てうれしいぜ」


 シジマの冷たい眼光を受けてエミルは息を飲み、その顔を引きつらせる。

 そんなシジマの背後ではチェルシーが倒れているヤブランを抱え上げ、その肩に担いだ。


「さあ。今すぐに行くわよ。ちょうどいいからこの馬車を拝借しましょう。乗りなさいオニユリ。それからそこの2人。シジマの指示に従い、馬車を走らせなさい。おかしな動きをしたらすぐに首を飛ばすわよ」


 そう言うとチェルシーは即座に馬車の荷台に乗り込むのだった。


 ☆☆☆☆☆☆

 

 チェルシーがその場に姿を現した時に、エミルは状況が自分にとって絶望的なのだと悟った。

 自分を捕えている主がオニユリからチェルシーに変わった。

 そしてシジマとオニユリの会話からエミルは理解したのだ。

 今度こそ自分は人質として王国に連行されるのだと。

 

 このまま王国に連れていかれれば、きっと故郷のダニアにいる家族の元へは、おいそれとは帰れなくなるだろう。

 その危機感がエミルを必死にさせた。


(誰か……誰か気付いて! 僕はここにいるよ!)


 紫色《むらさきいろ》の煙《けむり》を吸わされてからほとんど意識が朦朧《もうろう》としており、黒髪術者《ダークネス》の力もろくに使えなかった。

 ある程度まで意識が覚醒した今も力は弱いままだ。

 だが、それでもエミルは必死に黒髪術者《ダークネス》としての力を展開し、己《おのれ》の存在を主張するのだった。

 心を振り絞《しぼ》った決死の叫び声のように。


(誰か……誰か!)

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