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蛮族女王の娘《プリンセス》 第2部【共和国編】  作者: 枕崎 純之助


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第176話 『修道院の外へ』

 ギニディア修道院から飛び出したヤブランはエミルの手を引いて通りを走る。

 後から追ってくるであろうオニユリの視界から外れるべく、角を小刻みに曲がった。

 街の地図を詳細に調べる時間もなかったためヤブランはこの街の地理には疎《うと》い。

 だが、それでも彼女は必死に頭を働かせた。


(走って逃げてもすぐに追いつかれる。オニユリ様とヒバリ、キツツキからは簡単には逃げられない。じゃあどこかに隠れる? いや、それもすぐに見つけられてしまう)


 ヒバリやキツツキは斥候《せっこう》だ。

 ヤブランの足跡を追ってくるのは造作もないだろうし、ヤブランに足跡を誤魔化《ごまか》して逃げるような技術はない。


(逃げてもダメ。隠れてもダメ。だったら……)


 ヤブランは大通りの交差点で立ち止まると周囲を見回した。

 そしてすぐにある1台の馬車を見つけたのだ。

 それはあと数時間で訪れる朝に向けて、野菜やら果物などの物資を荷台に積んで準備している馬車だった。

 野菜や果物は船乗りに重宝される商品であり、港の市場などで数多く売られている。

 その馬車も港に行く可能性が高い。


(隠れながら逃げるのが一番安全だわ)


 ヤブランはすぐさまエミルの手を取って再び走り出す。


「あの馬車に乗せてもらうわよ」


 幸いにして馬車の持ち主は積荷を取りに通り沿いの倉庫の中に入っている。

 ヤブランは荷台の隙間《すきま》に体をねじ込むようにして上ると、エミルに手を差し出した。

 エミルもまだフラつく体でヤブランの手を掴《つか》むと、必死に荷台に上がる。


 2人は多くの果物の籠《かご》が積み重なっている荷台に隙間《すきま》を見つけると、そこに身を隠した。

 あとは祈《いの》るだけだ。

 オニユリらがこの馬車に目を付けないこと、そしてこの馬車が無事に港へ向かってくれることを。


(港に着けば倉庫はたくさんある。そこに隠れて時間を稼《かせ》ぎ、何とかシジマ様への連絡手段を考えないと)


 そんなことを考えていると、すぐに馬車の持ち主らしき男が建物から出て来て、胸に抱えた籠《かご》を荷台に置くべく近付いてくる足音が聞こえた。

 ヤブランとエミルは緊張に息を飲む。

 ここで見つかってしまうと厄介《やっかい》だ。


 だが幸いにして男はヤブランたちに気付くことなく籠《かご》を荷台に置いた。

 ちょうどその籠《かご》が蓋《ふた》をするようにヤブランたちの姿を隠してくれる。

 ヤブランはホッと息をついた。

 走ってきたため弾む息を整えていると馬車は走り出す。


 すると荷台に隙間《すきま》風が入り込んできて、エミルがブルブルと体を震わせた。

 別邸《べってい》の寝室から出て来てそのままの格好のため、エミルは薄い夜着しか身に着けていない。

 外はまだ暗く空気も冷たいため、寒いのだろう。


 ヤブランは自分が着ている上着を脱いで彼にかけてやろうかと思ったが、狭《せま》い隙間《すきま》の中にいるために下手に動けない。

 動けば果物などの籠《かご》が荷崩《にくず》れし、馬車の主に気付かれてしまうだろう。

 仕方なくヤブランは人差し指を唇《くちびる》に当て、声を出さぬようエミルに合図をすると、彼の体をそっと抱き寄せた。

 エミルが息を飲み、身を固くするのが分かる。

 ヤブランは彼の耳元で囁《ささや》いた。


「そのままじゃ寒いでしょ。大丈夫よ。温めるだけだから」


 ヤブランは自分の上着で包み込むようにしてエミルを抱き締めた。

 エミルは戸惑いながらも、彼女の温《ぬく》もりのほうが勝ったのか、そのままおとなしくしている。

 どちらも無言で馬車に揺られること数分。

 ようやく体の震えが止まったエミルが静かに口を開いて囁《ささや》いた。


「どうして……助けてくれたの?」


 エミルにはよく分からないのだろう。

 オニユリの下で働くヤブランが、こうして助け出してくれたことが。

 こんなことをしても彼女には何の得もない。

 だが、エミルのそんな問いにヤブランはすぐには答えなかった。

 答えられなかったのだ。


(……私はあなたを助けたわけじゃない)


 そんなヤブランの胸中を知らず、エミルは彼女に抱きしめられたまま言う。


「ありがとう。ヤブラン。僕……あの人の傍《そば》にいたくなかったから……」


 オニユリの傍《そば》にいるのがエミルにとっては本当に辛く苦しいことだったのだ。

 そんな場所から連れ出してくれたヤブランへの感謝の言葉は、エミルの本心だろう。

 そう思うとヤブランは急に胸が苦しくなった。


(やめて……感謝なんてされる筋合いはないの)


 こんなふうにエミルに優しくしようとも、それは決してエミルのためなどではない。

 彼を……きっと今よりもっと過酷な運命へと投げ込んでしまうことになると知っていて、ヤブランはエミルを連れ出した。 

 すべては同胞たちの……ココノエの一族のためなのだ。

 

「……あなたがあそこにいるのは良くないと思ったからよ」


 そう答えるのがヤブランには精一杯だった。

 そして馬車の主に聞こえてしまうので、これ以上は喋《しゃべ》らないようにと囁《ささや》いたきり口を閉ざした。

 自分とそう変わらない年齢の男の子と身を寄せ合っている羞恥《しゅうち》心は胸の内に燻《くすぶ》っているが、それでもこうしている限りエミルの目を見ずに済むと思うと、その方が気が楽だった。

 エミルから感謝の眼差《まなざ》しなど向けられたら、ヤブランは罪悪感で余計に苦しくなってしまう。


 これから彼女はこのエミルを王国に引き渡すのだ。

 エミルは裏切られた気持ちになるだろう。

 だがヤブランはやらねばならない。

 一族のために。


 胸の痛みを奥底へ封じ込めながら、ヤブランは必死に気持ちを冷静に保つ。

 それから1分ほど経過した頃だった。


「うわっ!」


 馬車の御者台で男が唐突に驚《おどろ》いたような声を上げ、すぐに馬の嘶《いなな》きが聞こえてきて馬車が急停車したのだ。

 弾みで籠《かご》に乗せられていた果物が転がり落ちてきてヤブランやエミルの頭を直撃した。

 痛みに顔をしかめているヤブランの耳に馬車の主の声が聞こえてくる。


「な、何だあんたら……ひっ!」


 それはすぐに小さな悲鳴に変わる。

 ヤブランは嫌な予感を覚えた。

 だがすでに手遅れだった。

 荷台の果物の籠《かご》が乱暴に押し退《の》けられ、その隙間《すきま》から女の顔が覗《のぞ》く。


「見〜つけた」


 そう言って怒りに満ちた凄《すご》みのある笑みを向けてきたのはオニユリだった。

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