第172話 『地の底から噴き出す混乱』
ギニディア修道院の地下では壁際に立たされている数十人の収容者らのすぐ傍で、ヤブランが彼らの様子に目を配っていた。
男も女も髪が伸びている。
これからかつらを作るために頭髪を刈り取られるのだろう。
ヤブランはこの修道院の正体に気付いた。
表向きは心を失った人たちを治療するフリをして、裏ではこうして彼らの体を利用して金儲けをしているのだ。
石床に付着した血の跡を見れば、髪や歯では済まないような、もっとおぞましい行為が行われているだろうことは容易に想像がつく。
ヤブランは義憤に駆られそうになるが、すぐに冷静になった。
確かにここで行われていることは非道だ。
だがヤブランは知っている。
この世の中にはそんなことは腐るほどあるということを。
それに仮にここから彼らを逃がしたとしても、一体どこでどうやって生きていくというのか。
彼らに自身の力で生きていく術はない。
彼らを手厚く保護してくれる存在があればそこに駆け込ませられるが、そんな都合のいい場所はないだろう。
ヤブランに出来ることはここで起きていることを他所で吹聴することくらいだが、それすらも彼女の仕事ではなかった。
(ごめんなさい。してあげられることは何もないわ)
ヤブランは心の中で彼らに詫びる。
そして彼らの腰に結ばれた縄を見た。
その結び方には見覚えがある。
(……もやい結びだ。そうか。この人はこれのほどき方を分かるけれど、他の人たちは分からないって言ってたわね)
ヤブランは隣に立つ大男を見上げて言った。
「私もこれほどけるわ。一緒にほどきましょ?」
「なんで〜?」
不思議そうにそう首を傾げる大男にヤブランは笑顔を見せて言った。
「あなたと私、どちらが早くたくさんほどけるか競争よ」
ヤブランがそう言うと大男は目をキラキラと輝かせ、すぐに自分も収容者たちの腰を縛る縄をほどき始めた。
「競争する!」
「負けないわよ〜」
ヤブランと大男は収容者らの縄を次々とほどいていく。
すると体の自由を得た収容者たちが通路にわらわらと溢れ出す。
修道士らがまた地下に降りてくるかもしれなかったが、ヤブランは構わずに彼らの縄をほどき続けていく。
大男の手助けもあって、ものの10分ほどでおそらく50名ほどの縄をほどき終えた。
こうして壁際で繋がれている者たちは全員が自由を得たのだ。
ヤブランはチラリと檻の中の収容者たちを見る。
彼らのことも解き放ちたかったが、檻の鍵がない以上どうしようもない。
(これだけいれば……)
ヤブランは意を決し、考えていた方法を決行すべく声を上げる。
「今度は鬼ごっこよ! みんな私を追いかけてきて!」
ヤブランがそう言って手を上げて地下の通路を早足で歩き出すと、まず大男が最初に反応を見せる。
「鬼ごっこやるぅ!」
楽しそうにそう言ってヤブランを追う大男に刺激されたのか、他の収容者たちも彼に倣ってゾロゾロとヤブランを追い始めた。
ヤブランは地下通路から、ここに降りてきた階段とは反対側の階段を上がっていき、1階へ出る。
すぐに50人ほどの収容者らがこれを追って地下から溢れ出てきた。
あっという間に1階の廊下は彼らで埋め尽くされる。
今になって異変に気付いた修道士らが部屋の中から出てくるが、時すでに遅し。
自由を得た多数の収容者らの行列を前に、数の少ない修道士らは成す術なく立ち尽くすばかりだ。
ヤブランは収容者らを率いるように本館から中庭に出た。
外に出た収容者らは夜風をその身に浴びて気持ちよさそうに歓声を上げる。
ずっと地下に閉じ込められていた彼らにとって久しぶりに吸う外の空気なのだろう。
先ほど中庭を見回っていた老人は一通り見回りを終えて待機小屋に戻ったようだ。
ヤブランは収容者らを引き連れて中庭を横切り、まっすぐに別邸へと向かう。
(ここからが重要だ。うまくやらないと)
ヤブランは緊張の面持ちでこれから自分が成すべきことを頭の中で繰り返す。
別邸に入ってからの動きを整理する。
そして彼女は収容者らを引き連れたまま、別邸の勝手口の扉を開くのだった。
☆☆☆☆☆☆
オニユリの寝室前で待機しているヒバリとキツツキは、外が騒がしくなってきたことにいち早く気付いていた。
異変を感じた2人は2階の廊下の窓から外を見る。
だが、そこから見下ろす中庭には人の姿はない。
「反対側だよ。キツツキ」
ヒバリの言葉にキツツキは頷き、2人は自分たちが寝室として使っている部屋に飛び込んだ。
そして閉まっているカーテンを開き、窓から下を見下ろした。
いつもは変化に乏しい2人の顔が明らかに曇る。
「これは……」
中庭が数十人の人で溢れていた。
彼らは皆、修道院の本館から出てきている。
そして……この別邸に向かっていた。
さらに階下からカチャッという音がしたのを聞くと、2人は目を見合わせる。
そして阿吽の呼吸で動いた。
ヒバリは階下へ、キツツキはオニユリの部屋へ報告に。
そしてすぐに階下から聞こえてきたのは、ヤブランのそれと思しき短い悲鳴だった。
☆☆☆☆☆☆
紫色の煙が漂うオニユリの寝室では、酩酊効果のある紫煙香を吸い込んで意識が混濁としたエミルが、オニユリに添い寝をされながらウツラウツラとしていた。
「母様……」
そう言って抱きついてくる酩酊状態のエミルに、オニユリは妖艶な笑みを浮かべる。
母親の夢を見ているのだろう。
オニユリのことを母親と思い込んでいる。
これはオニユリにとって好都合だった。
「ええ。母様はここにいるわよ」
そしてオニユリはエミルを静かに抱き寄せる。
だが、エミルの柔らかな黒髪が頬に触れた途端、オニユリの理性は吹き飛んだ。
そして彼女はとうとう辛抱できずにエミルにのしかかると、その額に口づけをしようと唇を近付ける。
その時だった。
寝室の扉がトントンと叩かれたのだ。
ビクッとして動きを止めたオニユリの表情が、恍惚のそれから怒りの形相へと変わる。
「……何なのよ」
肌も露わな夜着の上に上着を1枚羽織り、オニユリは不機嫌な顔で扉を開けた。
扉の向こうではオニユリの表情を見たキツツキがその顔に怯えの色を滲ませている。
「も、申し訳ございません。姉上様」
「キツツキ。この扉を叩くということは、よほどの緊急事態ということよね?」
「は、はい。姉上様。この別邸の周囲に大勢の人間が群がっております。先ほど1階の扉が開かれる音がして、小間使いの悲鳴が……」
「何ですって?」
オニユリは忌々しげに顔を歪める。
「すぐに避難を。姉上様」
「避難? 誰に言っているのよ。侵入者なんて排除しなさい!」
そう吐き捨てるとオニユリは寝室に戻り、しまっておいた拳銃を取り出してきた。
「坊や。少し待っていてね。すぐに終わらせるから」
ベッドの上のエミルにそう言うとオニユリは拳銃を握りしめ、キツツキと共に1階へ向かうのだった。




