第157話 『闇をさまよう心』
悪臭の漂う下水道の中、いくつもの松明の灯かりが列を成している。
その松明に照らされているのは全員が頭巾を被った者たちだ。
チェルシー率いる部隊は今、港町バラーディオの地下を流れる下水道を進んでいた。
街の外から秘密裏に街中に潜入するためだ。
先頭に立つのはチェルシーと副官のシジマ、そのすぐ後ろを黒髪術者のショーナ、さらに後方から十数名の男たちが続く。
シジマは鼻を突く悪臭に顔をしかめつつ、前を向いたまま背後のショーナに声をかけた。
「ショーナ。どうだ?」
「予想通り西側と東側の水路にはどうやら見張りの兵がいるようよ」
ショーナはその黒髪術者の力で危機を回避する道順を皆に教えて進む。
「フン。なかなか厳重じゃないか。地面の上だけでなく地下にまで見張りをつけるとは」
「大丈夫。事前に協力者たちが教えてくれた道順で進む分には、見つかる心配はないわ」
そんな2人の会話を聞きながら、チェルシーは前方の闇をじっと見つめていた。
敵に見つからないことが一番重要だが、もし目の前から敵が現れた際は、相手にこちらを正しく視認される前に、速攻で排除するべく神経を研ぎ澄ませているのだ。
このバラーディオにも協力者たちが潜んでおり、彼らの情報によってこの下水道の見回り順と時刻はチェルシーらも把握している。
そのため安全な道順を進むことが出来たが、何事にも突発的な災難はあるものだ。
せっかく捕らえた人質を王国に送り届けるまで安心はできない。
チェルシーは立ち止まると、振り返って後方を窺い見る。
後から付いて来ている仲間たちの列の中ほどには2人の子供の姿がある。
ヴァージルとウェンディーだ。
その2人は両腕と両足を鋼鉄の拘束具で縛られ、目隠しと口元を覆う猿轡を噛まされている。
仲間たちの中でも体格のいい者たちが交代で彼らを抱えて歩いていた。
この下水道を通り、協力者たちの所有する船倉庫に潜入し一晩を明かす。
そして翌朝の検閲済の船に荷と共に紛れ込み、晴れてこのバラーディオから出港するのだ。
現在、王国との間を行き来する船は入港を禁じられているため、その船は沖合であらかじめ待ち受けている王国軍の船に襲撃されることになっていた。
もちろんそれは偽装襲撃であり、混乱に乗じてチェルシーらは王国軍の船に乗り換え、そのまま王国に舞い戻る。
それがこの計画の仕上げだった。
(今頃……姉さまの元へジリアンとリビーの戦死の情報が届いているでしょうね)
チェルシーは前方の闇を見つめて慎重に足を進めながら、そんなことを考える。
ジリアンとリビーはクローディアの側近だ。
まさかその2人を斬ったのがチェルシーだとはクローディアは知る由もないだろう。
自身の妹に側近を斬られたと知ったら、姉は衝撃を受けるだろうか。
そんなことを考えたチェルシーだが、胸の中にあるのは暗い喜びでも怒りでもなかった。
ただそこには空虚な空白があった。
それはチェルシーにとっては明白な敵だ。
自身の行動の原動力となっているのは、身勝手にも自分と母を捨てた姉への怒りだ。
(ワタシは……姉の持っている大切なものを2つ壊した。そして今、姉にとってかけがえのない2人の子供を手中に収めている。姉への復讐は順調に進んでいるんだ)
この行動の結果、自分の胸に虚しさが生まれることはあってはならない。
姉への復讐を1つずつ遂げる度に、暗い喜びがそこにはあるべきなのだ。
自分は捨てられ、暗く寂しい人生を強いられた。
だから姉への復讐は自分にとって正当な権利なのだ。
堂々とそれを行使して姉の泣き顔に高笑いをしてこそ、自分は自分でいられるのだ。
(姉さま。今、ワタシは怒りに任せてあなたの大事な子供たちを斬り捨てることだって出来るのよ。これから愛しい子供たちの身を案じてせいぜい苦しみ悶えるといいわ。いい気味よ)
チェルシーはそうした怒りに自身の心を染め上げていく。
空虚など感じている暇もないほど自身の心を鞭で叩くのだ。
怒れ。
もっと怒れ。
復讐を果たさねば、この人生を生きている意味などない。
そんなチェルシーの背中を見つめながら彼女の感情をひしひしと感じているのはショーナだ。
ショーナにも彼女の気持ちは分かる。
復讐したくなって当然なのだ。
だが、ショーナの脳裏に浮かぶのは、優しかった先代クローディアの顔だ。
チェルシーが怒りに心を染め上げて復讐という修羅の沼へ足を踏み入れていくたびに、先代が悲しげな顔で自分を見ているような気がするのだ。
(チェルシー様……本当にこの道を進めば、あなたの気は晴れるのですか? 復讐の果てに不毛な虚しさしか残っていなかったとしたら、あなたはどうなってしまうのですか?)
ショーナは暗闇の先へ進もうとするチェルシーの袖を掴みかけて、その手を力なく下ろす。
彼女を引き止めたとて、かける言葉が見つからない。
ショーナは無力感を覚えながら、妹同然に接してきた目の前のまだ16歳のチェルシーの背中を見つめ、祈りを繰り返すのだった。
(誰か……この子を止めて。この子が……二度と引き返せない地獄に落ちてしまう前に)
☆☆☆☆☆☆
「灯かりが見えて来た!」
ハリエットが御者台で声を上げると、幌の中から顔を出したプリシラは目を見開く。
彼女の目が捉えているのは夜の闇の中に浮かぶ無数の灯かりだった。
見下ろす前方数キロ先に広がるのは街の灯かりだ。
そして風に乗ってかすかに潮の香りが漂って来る。
「バラーディオだわ」
前方に見えるのが共和国南岸の港町だと悟り、プリシラは荷台の中のアーシュラに目を向ける。
隊長であるアーシュラの黒髪術者の力によって、プリシラたちはエミルを追ってここまで来た。
暗闇の中でもうすでに敵の馬車の轍は見えなくなっている。
だがアーシュラはすでに感覚で捉えていた。
敵の足跡と……エミルの残り香を。
「間違いありません。今、エミル様はあの街にいます。バラーディオに。ですが……時は一刻を争います。海に出られてしまえば、そこから追うのは相当に困難になってしまうので」
そう言うアーシュラにプリシラは顔を曇らせた。
「バラーディオにも同胞たちがいますよね。彼女たちにも協力してもらいましょう」
「ええ。我らダニアの兵が150名ほど常駐しておりますし、その長を務めているのはワタシも良く知る人物ですので、彼女にすぐさま話してバラーディオの領主に取り次いでもらいましょう。街を上げて全面的に警戒すればエミル様を発見できるはずです。何としてもバラーディオでエミル様を取り戻しますよ」
アーシュラの言葉に部下たちは頷き、プリシラは前方の灯かりに再び目を向ける。
いよいよ弟の近くまでやってきた。
彼を助け出す絶好の好機だ。
(待っていてエミル。もうすぐ助けるからね)
プリシラは焦れる気持ちを必死に抑え、近付く街の灯かりに目を向け続けるのだった。




