第三十五章
キキを分解するため、部屋中を忙しなく動き回って様々な機材を動かしたり、道具を集めたりしているドクトルをキキは無感情に見ていた。それから、自分には逆さまに見えている『アリア』に目を移す。『アリア』は目を閉じていて、眠っている人形のようだった。自分はこれから、この少女になる。キキは『アリア』をじっと見つめると、それも悪くない、と思う自分自身がいることに気づいた。祖父がいなくなり、自身がアンドロイドだと発覚した以上、キキの人生――そう思ってから、自身がアンドロイドであることを思い出して内心少し笑ってしまった――はそう明るくない。もう、キキには生に固執する理由がないのだ。その思考を読んだかのように、ドクトルはキキに背中を向けて機材を調整しながら「本当はもっと抵抗されると思っていたんだがね」と言った。「無意味だから」とキキはゆっくりとした口調で返した。
「わたしがわたしとして生きていく理由について考えたけど、そんなに大事なことは思い浮かばなかった」
「それはそうかもしれないね。でも君は君に使われている部品や技術を提供することで、多くの人間を助けることができる。その点は素晴らしいとは思わないか」
ドクトルは尚も振り返らずに言う。その口調はいつもよりも数段陽気になっていたが、その声がキキの癪に触ることはもうなかった。「その思考は分からない」とキキは今度は視線を天井に戻して呟いた。ドクトルはようやく振り返って、「どの思考のことだい」と不思議そうな顔をしたが、それも演技のようだった。「死者を再構築するという点」とキキは天井を見たまま無表情で言った。
「わたしもお祖父ちゃんを――もう本当の祖父ではないと確信しているけれど――を失った。でも、お祖父ちゃんの形をした人形なんて要らない。それはお祖父ちゃんじゃない」
キキの言葉に、ドクトルは作業する手を止めて「君は誤解しているよ」と真面目なトーンになった。「人形なんかじゃない。わたしは人間を創ろうとしているんだ」というドクトルに、キキは『アリア』を改めて見ると「でも中身は所詮電子部品の寄せ集め」と皮肉めいた口調で言ってから、ふっと少し笑った。「だとしても」とドクトルは再び作業に戻りながら背中越しに続けた。
「人間が人間である最たる所以は感情だよ。現に、皆が君のことを人間だと思い込んでいたじゃないか。中身は問題じゃない。問題は振る舞いのほうだ」
「わたしのデータで、あんたの娘の性格が悪くならないといいけどね」
キキは自嘲気味にそう言うと、「本当はあんたを殺そうと思ってたんだ」となんともなしに言った。ドクトルは「そりゃあそうだろうね」と世間話でもするように、なんでもないような口調で返す。「君のお祖父さんの仇なんだから、その思考は正常だと思うよ」と続けたドクトルに、キキは「でも、皆のことは逃してくれるんでしょう?」とドクトルの背中を見た。ドクトルは再度振り返って、わざとらしく目を丸くした。
「君の口からそんな言葉が出るとは、ちょっと意外だな」
「わたしの希望のせいであの人たちが大変な目に合うのは、それこそ合理的じゃないでしょう」
「だがそれは慈愛の心でもある。君はいささかそういう心が欠落しているようだったから驚いているんだ。現に、君はアンジーのためにキャシーを助けに来ただろう」
キキはドクトルを見て、「それはまだわたしがあんたを殺そうと思ってたからだよ」と表情のない顔で言った。「でも、そうかもしれないね」とキキは天井に目線を戻した。
「人間も、人間であることもそう悪くなかった。でも、わたしがここから逃げ出すのはもう無理。だったら、そもそも関係のないあの人たちは逃してほしい」
キキがそう言うと、ドクトルはようやく機材の設置が終わったのか、キキに近づいた。キキの上に人一人分の影が落ち、それでもキキはドクトルを見るようなことはしなかった。「約束は守るよ」とドクトルは言ったが、キキは「信用できないね」と即座に言った。「わたしを解剖する前に、全員逃したことを証明してもらわなくちゃ」と言うキキに、ドクトルは肩をすくめる。「君はそんなことを命令出来る立場にいないんだよ」とドクトルは大袈裟に眉尻を下げてみせた。それでも、キキの頭のマップの中では、キャシーが例の部屋を脱出するところが見えていた。
「こっちだ」
部屋を脱出した四人は、その頃ビートルに引き連れられていた。ドクトルに一通り施設を案内されていたビートルは建物の構造をよく把握していて、ロボットたちの動きも理解していた。「そもそも、ドクトル以外の人間がいる、ということを想定して作られた施設じゃないんだろうね」とアンダーソンはきょろきょろしながら言う。
「あの技術の持ち主なら、いたるところにカメラなんかを設置すれば、ボクらの動きも筒抜けになってしまう」
そう言うアンダーソンの言葉には誰も反応しなかったので、それはもうほとんど独り言だった。ビートルがロボットたちの往来が少し止まったタイミングで「早く」と小さな声で四人に声をかけると、一同は足音を立てないように次の物陰まで移動する。しばらくはその繰り返しで、ロボットを避けて物陰に移動し、更に次のタイミングを図って移動しながら、一同は階下に下りる階段を目指していた。物陰に隠れていた一同に、「階段は二つある」とビートルは囁いた。
「一つはドクトルが使うためのもので、これは開けた場所にある。中心部にいるドクトルにもすぐバレてしまう。でも、もう一つはロボットのためのものなんだ。こっちから降りるしかないけど、常にロボットが行き来しているから――」
ビートルがそう言いかけると、ブーンというロボットたちの音が聞こえる。その数が一つや二つでないことを、ケルビンはすぐに察知した。これまで動いてきた中でも、同時に移動するロボットは多くても二体だった。「これはバレたな」とケルビンが舌打ちするが早いか、コンテナの影に隠れていた一同に向かってダダダダダッという無差別な射撃が始まった。アンジーが思わず耳を塞ぎ、ビートルは青ざめた。キャシーだけが、「一体何が起きているのですか」と抑揚のない声で言った。
射撃が途切れるタイミングでケルビンが顔を出し、何発かライフルを撃ったが、レイダーボットたちにはそれは牽制にもならなかった。「どうしたらいいの」とキャシーの腕にしがみついてアンジーが声を上げる最中にも、レイダーボットたちは一同を追い詰めるようにじりじりと近づいてくる。ビートルはすぐそばのドアを見つけると、「この中に入ろう」と小さく叫んでカードリーダーにカードをかざし、ピッという音を聞いてドアを開くと一番最初に中に入り込んだ。「そんなんじゃ追い込まれるばかりだぞ」とケルビンが叫んだ頃にはケルビン以外の全員が部屋に入ってしまっていて、ケルビンは「くそっ」と悪態をついて全員の後に続いた。その部屋は存外広く、ごみ捨て場に使われているのか、角には人形の顔や手足のようなパーツや、スクラップが山積みにされている。「アリアの残骸だ」とビートルは呟いたが、『アリア』がなんなのか一同には分からず、そんなことよりもケルビンは遮蔽物のなさに絶望していた。レイダーボットたちにはカードリーダーが使えなかったが、ドン、ドンとドアに体当たりする音が続く。ドアが脆かったのか、レイダーボットたちが強力だったのか、ドアはすぐにバンという大きな音のあとに開くと、レイダーボットたちがその手の銃を構え、まずはその場にへたり込んでいたアンジーに銃口を向けた。その様に、ケルビンよりもアンダーソンよりも先に反応したのは、キャシーだった。




