第三十六章
銃口を向けられ、次の手に目をぎゅっと瞑っていたアンジーが恐る恐る目を開くと、そこに飛び込んできたのはキャシーの背中だった。アンジーは思わず「…キャシー?」と小さな声で問いかけるが、状況をいち早く理解したケルビンが「感動の再会は後だ」と短く言ってから、「キャシー、しゃがめ」と叫んでから素早くしゃがんだキャシー越しに一発ずつレイダーボットの首を狙った。「あれをへし折れるか」とケルビンはキャシーを見、キャシーは大きく頷いてレイダーボットに飛びかかる。レイダーボットの動きが遅いことは、ケルビンも把握していた。ケルビンの声に続けて飛び出したアンダーソンと共に、キャシーはレイダーボットの首を折ると、二人でレイダーボットを地面になぎ倒した。それでもレイダーボットはまだ一体残っていて、射撃の準備が完了している。それを見て戸惑うキャシーの前に躍り出たアンダーソンは、レイダーボットの両腕を抱え込んで抱きつくようにすると、レイダーボットの銃撃をすべてその身体で受け止めた。アンダーソンを貫通した弾が部屋中に飛び散ったが、すべて威力は落ちていたので、誰かに届く前には床に転がっていた。「アンダーソン!」とキャシーが叫んだ頃にはアンダーソンは腹部がボロボロになっていて、ケルビンは少し呆気にとられたもののすぐにライフルを構え直し、アンダーソンが食い止めたレイダーボットの首を狙った。アンダーソンはその場に崩れ落ちたが、キャシーも歯を食いしばってからレイダーボットに飛びかかり、渾身の力でその首をもぎ取ってみせた。レイダーボットはシュウン、という独特な音を立てて動かなくなった。
「アンダーソン」
レイダーボットがいなくなるが早いか、アンジーはアンダーソンに向かって駆け寄った。アンダーソンの腹部は完全に崩壊していて、今にも上半身と下半身が千切れてしまいそうだった。「アンダーソン、大丈夫?」とアンジーは思わず続けて聞いたが、その状態が『大丈夫』なわけがないことをアンジーはしっかりと分かっていたので、目にはじわじわと涙が溜まっていた。アンダーソンはぎこちない動作で頭を動かし、アンジーを見ると、「アンドロイドに痛覚はないんだ」と聞いたことのあるような台詞を言った。「そんなことは知ってるわ」と言うアンジーの元に集うように、残りの三人がゆっくりと集まった。
「キャシー、元に戻ったんだね」
「あの男が初期化出来たのはわたしのアンドロイドとしての所定のデータだけだったようです。自我を持って以降のデータは、通常初期化の対象となるデータとは別に保存されていました。きっかけがあったので、データを再取得できたのだと思われます」
キャシーはアンダーソンの傍に両膝をつくと、アンダーソンの頭をその上に乗せ、片手を持ち上げてなだめるような口調で説明した。「それはよかった」というアンダーソンの声は枯れ始めていて、アンジーは「どうしてあんなことをしたの」とアンダーソンのもう片方の手を握る。アンダーソンはそこでなんとか表情筋を動かすと、「あれがボクに出来るもっとも人間らしいことだと思ったからさ」と笑った。ケルビンとビートルは何も言えずに傍らにしゃがみこんでいた。
「これはボクの、ボク自らの選択なんだ。アンドロイドはそんなことはできない。そういうことができるのは人間だけだ」
アンダーソンの音声はどんどん小さくなっていった。「きっとキキなら直せるわ」とアンジーは泣き出しながらアンダーソンの片手を強く握ったが、アンダーソンは小さく首を振る。「都市で解放手術を受けたときに分かったけど…、ボクのチップや基盤はすべて…、腹部にあるんだ。多分…、それが部分的にでも破壊されたんだと思う」というアンダーソンは意識を保つのも難しいらしく、音声がどんどん途切れるようになっていた。アンジーは「ここでお別れするなんて嫌よ」と尚も泣きじゃくったが、アンダーソンはなんとか笑って「早く行ったほうがいい」とケルビンを見た。
「ここに…、またレイダーボットが来るのも…、時間の問題だ。キキ…ちゃんを、助けてあげて…、くれ」
「そのことについては任せろ。もう何も考えるな」
黙っていたケルビンも我慢ならなくなったのか、少し感情的な声でアンダーソンに言った。アンダーソンはそれを聞いて返事をする代わりに両目を閉じると、「みんなと…、出会えてよかったよ」という言葉を最後にぴくりとも動かなくなった。アンジーが大声を上げて泣き出しそうになったのを、キャシーはしっかりと抱きとめて背中を撫でる。「動き続けるしかない」というケルビンをビートルが見上げ、「アンダーソンはここに置いていくの?」とやはり悲しげな声を出した。ケルビンは「仕方がないんだ」とライフルを背負い直しており、キャシーも同じ考えだった。
「前に進みましょう」
キャシーがそう断言し、アンジーを抱えたまま立ち上がる。アンジーもビートルもその言葉には納得がいっていなかったが、逆に反対することもできなかった。「施設の構造は少し理解しています」というキャシーが部屋の外の様子を伺い、「すぐにでもドクトルのいる中心部へ向かいましょう。時間がありません」とケルビンを見た。キャシーから離れたアンジーも赤い顔でライフルを背負い直すと、「キキのところに行きましょう」と涙を拭く。ビートルは何か言いたそうにしてから、「おれも案内するよ」とキャシーの隣に進み出た。
部屋の外に出ると、施設は嫌に静かになっていた。ロボットの往来もなくなり、ただただ白いライトが気味悪く真っ白な施設を照らしている。「なにか妙だな」と呟いたのはケルビンだったが、皆同じ気持ちだった。キャシーとビートルの先導で、皆は階下に下り、それから注意深く移動を続けたが、一度としてロボットに出会うことはなかった。キャシーとビートルは目的のガラス張りの部屋に辿り着けるドアを探し当てると、ビートルのカードで外周の廊下に入る。ガラス越しに広げる光景に、アンジーとケルビンは驚いた。都市中の機械を寄せ集めても足りないような量の機械が新品の状態で大量に配置され、部屋の中心にはどす黒い柱がそびえ立ち、何よりその前にはキキが寝かされていた。「キキ!」と何も省みずにガラスに駆け寄って張り付いたアンジーの声に、キキに何らかのケーブルを繋ごうとしていたドクトルは手を止め、こちらを見た。そして、ドクトルは手を振った。
「やあ! 遅かったじゃないか。待ちくたびれてさっさと始めてしまおうかと思っていたんだ」
「キキを離して!」
ガラス越しに曇った声のドクトルにアンジーが叫ぶ間にも、ビートルはカードリーダーに自身のカードをかざしていたが、ビーッという音の後に赤いランプが点灯するばかりだった。ドクトルはその音を聞いて、「もうロックの設定は変えてあるよ。君のカードでは入れなくなっている。期待の助手だったのに、残念だ」と言いながら、キキの寝台の上半分を高くしてみせると、キキの顔が皆に分かるようにした。キキは大いに困惑していて、「どうしてこんなところまで来てしまったの」とガラス越しに聞こえるよう大きな声で言う。アンジーはガラスにへばりついたまま、「あなたを見捨てるなんて出来ないわ」と叫び返した。
「これだから人間は嫌だ、じゃないのかい」
と言うドクトルは、再びケーブルを手に取って、それが何かのショーかのように一同に見せつけた。「このケーブルで私の娘――アリアというんだが――にキキの一部のプログラムをロードする。それだけでも人間らしい振る舞いというのがプログラミングされるはずだ」とドクトルは続け、キキはドクトルを睨むと「今すぐ彼らを逃して」と言う。ドクトルはその言葉に興ざめしたとばかりに肩を落として、「何度言ったら分かるんだい」といつものように大袈裟に悲しんでみせた。
「立場をわきまえたまえ」
そしてドクトルはケーブルを高く持ち上げると、何の前触れもなく、キキの後頭部にある端子に差し込んだ。




