表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きこえない  作者: 五稜 司


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/22

第二十二章「前夜」

その日の午後、霧島は、神社の書庫に、亮を、連れて行った。

「深沢さん。私は、もう、戻ってこないつもりです。だから、今のうちに、伝えておきたいことが、あります」

その言葉を、迷いなく、口にする霧島の横顔を、亮は、まじまじと、見つめた。恐怖も、迷いも、既に、そこには、見当たらなかった。まるで、遠い昔から、この日が、来ることを、知っていたかのような、静けさだった。


霧島は、古い木箱を、一つ、取り出した。中には、代々の記録係が、書き残してきた、帳面の写しが、几帳面に、収められていた。

「これらは、すべて、資料館の複製とは、別に、この神社に、保管されてきたものです。これを深沢さんに、託します」

「霧島さん……」

「私が、奥に入った後は……この記録を、絶やさないで頂きたいのです。町の記憶が、薄れていっても、これだけは、残るように」

亮は、震える手で、木箱を、受け取った。その重みが、これまでのどの瞬間よりも、はっきりと、亮の腕に、伝わってきた。


「霧島さん。本当に、いいんですか。こんな形で、決めてしまって」

「深沢さん」霧島は、静かに、微笑んだ。「私は、後悔していません。これは、私が、自分で選んだ道です」

その微笑みが、かえって、亮の胸を、締め付けた。覚悟を決めた人間の顔は、こんなにも、穏やかなのかと、思い知らされた。


その夜、霧島は、蓮見と、短く、言葉を交わしていた。

「蓮見さん。私の身に、何かあった時は、神社のこと、弟のことを、よろしくお願いします」

「霧島さん……本当に、行かれるんですか?」

「はい」

蓮見は、深く、頭を下げた。それ以上、何も、言えないようだった。


亮は、宿に戻ると、携帯を取り出し、実家に、電話をかけた。

「もしもし?」

母の声だった。

「母さん。結衣は」

「もう、寝ちゃったところよ。どうしたの、こんな時間に」

亮は、少しの間、言葉を、選んだ。

「……ちょっと、仕事が、山場でね。うまく、いくかどうか、分からないんだ」

「大丈夫なの?」

「うん。大丈夫。ただ……もし、何かあったら、結衣のこと、よろしくお願いします」

電話の向こうで、母が、しばらく、黙り込んだ。


「またそれなの? 亮。あんた、何か、危ないことでも、しようとしてるんじゃないでしょうね」

亮は、言葉に、詰まった。

「前にも、同じようなこと、言ってたじゃない。それも、一度や二度じゃないわよ」

「……大袈裟に、考えすぎだよ」

「亮」母の声が、真剣な響きを、帯びた。「お母さん、ちゃんと、分かってるから。あんたが、何かを、隠してるってことくらい」

亮は、目を閉じた。何と、答えればいいのか、分からなかった。

「……ごめん。心配、かけて」

「謝らなくていいから、無事に、帰ってきなさい。結衣が、待ってるんだから」

「うん……必ず」

自分の声が、我ながら、上滑りしているのが、分かった。電話を切った後も、その言葉の軽さが、耳に、残り続けた。

亮は、しばらく、暗い天井を、見上げていた。


……霧島さんは、明日、行く。

その事実が、今更のように、重く、のしかかってきた。止める権利は、もう、自分にはない。霧島は、既に、覚悟を、決めている。あの、穏やかな微笑みを、思い出すたびに、亮の胸は、締め付けられた。


それでも、亮の中で、何かが、まだ、燻り続けていた。

……本当に、これで、いいのか。霧島さんを、一人だけ、行かせて。

亮は、携帯の画面に、これまで撮り溜めた、録音データの一覧を、表示させた。望月の声。タネと対峙した時の、あの重みの感覚。霧島の、震える文字。

そのどれもが、これから起きることの、答えには、ならなかった。ただ、確かなのは、明日、霧島が、二度と戻らない場所へ、向かうという、事実だけだった。

亮は、拳を、額に、押し当てた。

……僕にも、何か、できることは、ないのか。

答えの出ないまま、夜が、更けていった。


翌朝、亮は、資料館の前で、霧島と、落ち合った。

霧島は、いつもと変わらない、静かな佇まいで、そこに立っていた。だが、その手には、小さな、鞄が一つ、握られていた。

「深沢さん。準備は、いいですか?」

「……はい」

亮は、短く、答えた。喉の奥が、渇いていた。言いたいことは、山ほどあった。だが、どれも、今、口にすべき言葉ではない気がした。

二人は、無言のまま、旧市街へと続く、坂道を、歩き始めた。今日で、残された日数は、あと二日。境界の際が、もう、すぐそこまで、見えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ