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第1話:小声でマナーを注意したら、妹が大声で泣き出しました

ご覧いただきありがとうございます。完結まで毎日2話ずつ投稿できたらと思っております。

ゆるふわ設定、ご都合主義の部分もあるかもしれません。

教育とは、生存戦略である。

 愛や感情といった不確かなものではなく、積み上げられた論理と反復によってのみ、人は獣から脱し、社会という荒波を渡るための「盾」を得る。


それが、私――リディアーヌ・ド・ヴァランシエンヌ侯爵令嬢の、揺るぎない信念だった。


「……リディアーヌ、またそんな顔をしているのか」


夜会の会場へ向かう馬車の中、父であるヴァランシエンヌ侯爵が忌々しげに私を横目で見た。

 私の表情が、彼にはよほど気に入らないらしい。私は背筋を伸ばし、扇を膝の上で正しく揃え、わずかな乱れもない淑女の座法を保っていた。


「厳しい、という意味でしょうか。父様、本日の夜会は第三王子殿下の誕生祭。王家主催の公式行事です。特に今夜は、王家が重視する『伝統と秩序』を若手貴族がどう解釈しているか、その資質が問われる場でもあります。私の表情一つとっても、ヴァランシエンヌ家の教育水準を可視化する指標であると認識しております」


「相変わらず可愛げのない。正論を吐けばいいというものではないぞ。見てみろ、カサンドラを。彼女の柔軟さを見習ったらどうだ」


父の視線の先には、ふわふわとした金髪を揺らし、手鏡に向かって「花が咲くような微笑み」の練習をしている妹のカサンドラがいた。


「ええ、お父様! 私は皆様に楽しんでいただきたいだけなんです。お姉様みたいに難しい本ばかり読んで、難しい顔をしていたら、せっかくのお祝いも台無しですもの。ねえ、お父様、今日の私のドレス、きっと王子殿下も気に入ってくださるわね?」


「ああ、もちろんとも。その愛らしさこそが、我が家の誇りだ」


父は満足げに頷いたが、私は内心で氷のような溜息をついた。

 カサンドラが着ているのは、最新流行を追いすぎた、過度に装飾的なドレスだ。今夜の主役である第三王子は、厳格な伝統儀礼を重んじる教育を受けている。彼への敬意を示すならば、装飾を抑えた格式高い正装が「正解」だ。


私は事前に、今夜の誕生祭の趣旨と、王家が求める礼典をまとめたレポートを父とカサンドラに提出していた。だが、父はそれを「細かすぎる」と一蹴し、カサンドラにいたっては、おそらく表紙すら開いていない。


(……本質を見ようとしない者に、いくら論理を説いても無駄なのかしら)


馬車が王宮の石畳を鳴らし、夜会の幕が上がる。私は、胃の腑が焼けるような予感を感じながら、馬車の扉が開くのを待った。



王宮の大広間は、数千の蝋燭の光に彩られ、国内の有力貴族たちが一堂に会していた。

 会場の空気は、祝祭特有の華やかさに満ちている。だが、その裏側には常に「格付け」の視線が張り巡らされている。誰が王家の不興を買い、誰が寵愛を受けるのか。


事件は、今夜の主役である第三王子への献辞が一段落した時に起きた。


父が目配せをすると、カサンドラが「ヴァランシエンヌの華」として、自信満々に第三王子殿下のもとへ歩み寄った。彼女は得意の愛嬌を振りまきながら、自ら用意したという「贈り物」を手にしていた。


「第三王子殿下、お誕生日おめでとうございます! 私、殿下のことをお守りしたくて、この『お守り』を作ってきたんです。受け取っていただけますか?」


カサンドラが差し出したのは、色とりどりの派手な布を継ぎ接ぎした、手作りのマスコットのようなものだった。


一瞬、会場の楽隊の音が遠のいたように感じた。

 第三王子の教育掛である老伯爵の眉間に深い溝が刻まれ、周囲の重臣たちの表情が凍りつく。


(……救いようのない、馬鹿)


私は戦慄した。

 王室への献上品には、厳格な「品位」と「由来」が求められる。公式の場で、素人が作った得体の知れない玩具を、しかも「直接」手渡すなど、王家の神聖さを軽んじる無作法にもほどがある。それは、殿下を「ごっこ遊びの相手」として侮辱しているに等しい。


さらに、彼女が使った布の一部は、かつて王家と激しく対立した廃門貴族の伝統色を思わせる色使いだった。無知ゆえの選択だろうが、政治的には「反逆の意志」を疑われても文句は言えない。


カサンドラは、王室の威厳を最も傷つける形で「愛嬌」を振りまいたのだ。

 私は迷わず人混みをかき分け、カサンドラの背後に歩み寄った。


「カサンドラ」


私は彼女の耳元で、周囲には聞こえないほど小さな、しかし逃げ場のないほど鋭い声で囁いた。


「今すぐその汚らわしい玩具を下げなさい。そして『これは我が国の伝統的な民芸品を模した試作品で、本来の献上品は後ほど正当な手続きを経てお届けします』と即座に言い換え、跪礼を。……今やらなければ、不敬罪でヴァランシエンヌの家名が飛びますよ。あなたのその無知は、国家に対する犯罪です」


私の指摘は、極めて冷静で論理的な「事態収拾案」だった。

 教育者として、私は彼女に、犯した過ちの重大さと、それを挽回するための唯一の手順を教えたのだ。


だが、カサンドラという人間は、論理よりも「自分のプライド」を優先する生き物だった。


「――っ! ひっ……、お、お姉様っ!!」


カサンドラが、弾かれたように後ろに飛び退いた。

 持っていたマスコットが床に落ち、彼女は信じられないような大きな声で叫んだ。


「そんな……! そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないですか! 私はただ、殿下の喜ぶ顔が見たかっただけなのに……っ! お姉様、怖い、怖いですわっ!」


カサンドラは大粒の涙をボロボロとこぼし、顔を覆って泣き崩れた。

 会場中の視線が一斉に私に突き刺さる。私は怒鳴ってなどいない。事実を、小声で、正確に伝えただけだ。


「カサンドラ、落ち着きなさい。感情的になって騒ぐのは、この場ではさらなる不敬になります。早く謝罪の手順を――」


「ひどいですわ! いつもお姉様はそうやって、私のすることを『無知だ』『不格好だ』って否定して……! 私、殿下のために一生懸命お守りを縫ったのに……っ! 皆様の前で、こんな風に私をいじめるなんて……っ!」


カサンドラの悲鳴のような泣き声が、王宮のホールに響き渡る。

 第三王子は当惑し、教育掛の老伯爵は怒りに震え――だが、周囲の「若い」貴族たちは、リディアーヌという「厳しい姉」が、可憐な「妹」を理不尽に虐めたのだと、即座に結論づけた。


「そこまでだ、リディアーヌ」


人混みを割って、一人の男が進み出てきた。

 美しい銀髪をなびかせ、正義感に燃える瞳をこちらに向ける男。第二王子、リュシアン殿下だ。彼は今夜の主役である弟をかばうように前に立ち、私を凍てつくような目で見据えた。


「リュシアン様ぁ……っ!」


カサンドラが、待っていましたとばかりに第二王子の胸に飛び込んだ。王子は彼女の華奢な肩を優しく抱き寄せ、私を糾弾するように声を張り上げた。


「リディアーヌ。君の冷酷さには、かねてより噂を聞いていた。だが、まさか実の弟の誕生祭という祝賀の場で、実の妹を言葉でなぶり、泣かせるとは。……君には人の心というものがないのか?」


「殿下。私は彼女をなぶってなどおりません。彼女が犯した王家への不敬を、最小限の被害で食い止めようとしただけです。今この場で適切な処理が行われなければ、ヴァランシエンヌ家のみならず、殿下の監督責任も問われかねません」


「黙れ! 君はそうやって、常に自分だけが正しいと思い込み、他人の善意を泥で汚す。カサンドラ嬢が、弟のためにどれほど心を込めて準備していたか、その『心』を君は一顧だにしない。教育、教育と言うが、君がやっているのはただの『虐待』だ」


王子は、床に落ちた布の塊を拾い上げ、汚らわしいものでも見るかのように私を見た。


「この贈り物の価値は、布の質や作法にあるのではない。彼女の純粋な祝いの心にあるのだ。……カサンドラ、もう泣かなくていい。君の笑顔こそが、この誕生祭を彩る最高の輝きだ。君を理解しないような心の歪んだ姉の言葉など、気にする必要はない」


王子がそう宣言すると、会場からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。

「王子、素晴らしい」「カサンドラ様こそ真の淑女だ」「リディアーヌ令嬢は反省すべきだ」……。


賞賛の渦の中で、王子はカサンドラの腰を抱き寄せ、彼女に優しく微笑みかけた。カサンドラは涙に濡れた瞳で王子を見上げ、頬を赤らめる。

 それは、周囲の若手貴族たちにとっては物語の一場面のような、美しい光景だったのだろう。


だが、私には見えていた。

 第三王子の教育掛である老伯爵が、王家の品位を侮辱された屈辱に顔を青ざめさせ、この場を主導する第二王子のあまりの「浅はかさ」に、絶望的な眼差しを向けているのを。

 この国の秩序が、「愛」や「心」という美名のもとに、土台から崩れ始めているのを。


(……ああ、そう。そうやって、すべてを「愛」と「笑顔」で正当化するのね)


論理を解さぬ者に、何を言っても無駄だ。

 基礎を軽視し、表面的な「愛嬌」という名の甘えを誠実さと履き違える者たちに、私がこれまで捧げてきた研鑽の時間は、あまりに、あまりに惜しい。


「……承知いたしました。殿下がそのように判断されるのであれば、私の『可愛げのない正論』はもはやこの場に不要なようです」


私は深々と、しかし機械的な一礼をした。

 顔を上げた時、私の瞳には一切の感情が消えていた。私に向けられる無数の蔑みの視線すら、もはや夏の羽虫の羽音ほどにも感じない。


「リディアーヌ、明日。屋敷で話し合いをしよう。覚悟しておけ」


話し合い、とは。

いつの間にか背後に立っていた父が、冷たく、そして「見限った」者の声で私に告げた。


私は何も答えず、背を向けて会場を去った。

 背後からは、カサンドラを慰める王子の甘い声と、彼女の可愛らしい鼻をすする音が、いつまでも追いかけてきた。


夜の王宮の冷たい風に吹かれながら、私は初めて、解放感に似た安らぎを感じていた。

 この国は、自ら「論理」を捨てたのだ。ならば、私がこの国を守る理由は、もうどこにもない。

2話は明日朝投稿予定となっております。お楽しみに

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