草刈りと自治会とトーテムと
年度の変わり目ということもあり、自治会関係が忙しい。令和8年度から3つの町会を合わせた連合自治会長になりました。これまでは町会の庶務という立場でありましたが、町会庶務を兼任した自治会長になります。
先日、各町会の執行部が集まり協議が行われました。議題の多くは次の人事の人選になります。自治会に関わるようになってからつくづく感じているのは、議題の多くが人事だということです。理想論すぎるかもしれませんが、地域をどのようにしたら盛り上げれるのか?……といった内容は、ほぼされません。行政に提出する書類に追い回されたり、あったとしても昨年行われた行事を、今年も行う上でのブラッシュアップくらいです。僕は一年目の自治会長なので、右も左も分かりません。今は何でも勉強だと思うので、色々と観察しています。
ところで、「公園の草刈り」という小さな問題が議題に上がりました。公園の所有者は
市になるのですが、公園の管理維持を自治会が行った場合、行政から多くはないですが一定の補助金が出ます。当地域には大小二つの公園があり、大きな公園の草刈りは老人会、小さな公園の草刈りは子供会にお願いをしていました。草刈りのスケジュールは月に1回になります。
ところが、昨年、老人会が無くなりました。メンバーはそれなりに多かったのですが、平均年齢が85歳という超高齢。老人会を運営する役員が排出できなかったのです。そのことによって大きな公園の草刈りの管理が出来なくなりました。
――草刈りを誰がするのか?
草刈りの為に新たに組織を編成するというのは大変です。何かしらの対価があれば別ですが、草刈りを喜んでする人はなかなかいません。色々と意見が交わされる中、「公園の草刈り」をしないという意見が大きくなりました。この場合、行政からの補助金は打ち切られます。
「行政が草刈りをしてくれるか聞いてくれ?」
次の日に確認をしました。結果は草刈りはしてくれます。ただ、頻度は少ない。正確ではありませんが、年2回くらい。その話をもって、老人会で草刈りをしてくれていた方に会いに行きました。現場の声を聞いてみたかったからです。
「夏になれば、月に一回は草刈りをしないと、子供が遊べないくらいに草が伸び放題になるよ」
つまり、市は草刈りをしてくれるけれど、それだけでは公園の維持は出来ないということになります。草刈りのアイデアは、いくつか思いつきました。
・月に一回、組長さんにお願いする。
・夏祭りの準備に合わせて、皆で草刈りをする。
・草刈りという名目で、懇親会を開く。
・草刈りの専従者を立てて、市からの補助をそのまま渡す。
どのアイデアを採用するにしても自治会で草刈りをするとなれば、補助金の打ち切りは簡単にできなくなりました。ただ、この問題は僕の一存では決定できない。連合自治会として合意形成が必要です。
ただ、この問題にはもう一つ構造的な問題がありました。それは連合自治会と町会という関係性の問題になります。公園は、三つある町会の内、南町会にありました。僕は南町会に所属しています。南町会で管理する分には、案外と動きやすい。なぜなら町会は末端の現場であり、組長さんや会員がいるからです。ところが公園の管理は連合自治会で、草刈りの補助金も連合自治会が管理します。ということは、南町会単独で草刈りの問題を決済できない。三町会の承認が必要なのです。僕は月末の総会で自治会長に選出されますが、小さな事であっても勝手には決めれません。手順を踏む必要があるのです。また、何かしらの手段を講じたとしても、色々と意見が出てきそうです。
・組長の仕事が増えた。
・連合自治会が管理しているのに、南町会だけが草刈りをさせられている。
・(補助金を使っているのですが)町会費を集めておいて、一部の人間が懇親会を開いている。
・草刈りの専従者が決まったのに、草刈りが出来ていな。怠慢だ。
草刈りという小さな問題なのですが、その解決には色々な課題があるんだなと、今更ながらに感じています。このような自治会の活動をしながら、実は古代社会と比較をしています。AIとの問答で、自治会活動についても、存在意義や問題点など質問をしているのですが、ある時、次のような回答がありました。
――現代の自治会と古代の社会(ムラや集落)は、規模や道具が違うだけで、「人間が集団で生き残るためのシステム」という根本的な構造において驚くほど共通しています。自治会長としてのリアルな悩みや人間模様は、古代を舞台にした歴史小説や、ファンタジー小説の村落運営を描く上で、リアリティを生み出す最高のスパイスになります。
面白い。執筆している小説のネタになるのなら、これほどうれしいことはない。そんな風に思うようにしています。
ところで、現代と古代を比較してシステムが似ているとの回答ですが、大きく違うところもありました。それは、宗教的な神の存在になります。古代のコミュニティは、中心に神社があり同じ神を信奉していました。このコミュニティの成員を「氏子」と呼びます。つまり、同じ神の子供であるという意識が、結束を生みました。このようなコミュニティを結束させる神のことをネイティブアメリカンのトーテムポールをもじって、「トーテム」と言います。
対して、現代の自治会にはそうしたトーテムはありません。かろうじて古くからの地主たちは氏子の意識を持っていますが、外部から引っ越ししてきた住人は氏子としての繋がりはありません。 これが、自治会運営の難しさだと考えます。古代における、神を中心とする宗教的な繋がりは、社会システムを形成する上で重要だったんだな~と、朧気ながらに感じています。
古代的なトーテムに対して、現代のコミュニティが何で繋がっているかというと、「お金」になります。話は飛躍しますが、認知革命的な観点から見ると、「神」と「お金」は同じカテゴリーになります。目には見えないけれど、その存在が信じられていて、人間の活動を動機づけている……という点において同じです。もう一つ、同じカテゴリーに「法律」もあります。
まー、これを理解したからといって、自治会運営が上手く機能するわけではないのですが、僕なりには面白いです。自治会長の僕がそんなことを考えていることを知ったら、気味悪がられるかもしれませんが……。




