第36話 好きにならなければ傷つくこともない
その日を境に聡はあいつらから揶揄われることが無くなった。
関わると危ない奴だと思われたのかもしれない。
それとは反対に、七海は絡んでくる。
「高村くんも、一緒に帰ろうや?」聡が1人で下校しようとすると声を掛けてくる。
言うまでもないが、2人きりではなく彼女の仲の良いグループに引き入れられた。
悪い気はしなかったが、出来上がっているコミュニティに入っていくのは、なかなかの勇気が必要だった。
それでも七海が誘ってくるので、断れなかった。
「高村くん、一緒に帰ろうや」
「うん」七海は男女問わず誰にでも愛想が良く、分け隔てもなく親しくしていたが、それをよく思わない人たちもいて、そのグループは分裂した。
「ちょっとトイレ行ってくるから、待っといて」
「うん」七海はカバンを置き、女子トイレに入っていく。聡はそれを見守りながら、外で1人待っていた。
「あー、スッキリしたー」同じクラスの守石麻美たち他3人がトイレから出てきて、すれ違う。
「今日、どうするー?」彼女たちは大声で話しながら廊下を歩いていった。
七海は長い間トイレから出てこなかった。
教室の掃除当番も帰っていく。
それでも、待てども待てども彼女は出てこなかった。
「高村、そこで何してるんだ? 早く帰りなさい」担任の向井先生が声を掛けてくる。
「七海さんがトイレから出てこなくって」
「え?」
「先生、ちょっと見てきてください」
「分かった」先生は女子トイレに入っていく。
「七海さん? どうしたの?」先生は扉をノックし、話しかける。聡は外にいるが、声が聞こえてきた。
「いるんだったら、開けなさい」どうやら、様子がおかしい。
「どうしたの!?」先生の声が大きくなる。
聡は居ても立っても居られず、中に入る。
そこには、ずぶ濡れの彼女がいた。
「誰にやられたの?」彼女は何も答えず、泣くだけだった。
それは誰がどう見てもいじめだった。
聡は池山実加の件もあってか、助けてやりたいという気持ちが強かった。
「七海、一緒に帰ろ」
「うん」彼女は何も答えず、ただ頷くだけだった。
「誰にやられたの?」聡が聞いても、彼女は何も答えなかった。
「僕がやり返してやるからさ、教えてよ」
「ええねん、大丈夫やから」七海は弱音を吐かなかった。決して口を割らなかった。
だが、聡にはある程度見当がついていた。
翌日、七海が何事もなかったように登校すると、奴らはまた何かを企んだ顔をしていた。
奴らはすぐに行動を始めた。
昼休み、教室を出ていく姿を確認すると、聡はそれを静かに尾行した。
奴らは下駄箱の方に向かっていく。
「なあ、匂い嗅いでや」
「嫌やし、絶対臭いやん」彼女たちは騒いでいた。気づかれないように慎重に近づいていく。
「うわっ、やめてや」
「ちょー、大きい声出さんといて」
「ごめんて。でもホンマにやるん?」
「やるよ、ほら」何やらゴソゴソと物音がする。
「何やってんの? 守石」聡は彼女たちに声を掛けた。
守石はハサミを持ち、誰かの運動靴の靴紐を切り刻もうとしていた。
「何もしてへんし」彼女は咄嗟に手を隠した。
「それ、お前の靴じゃないやろ」聡は彼女たちを睨みつける。
「関係ないやろ、なんなんマジで」舌打ちし、不貞腐れた態度を取る。
「昨日、七海に水かけたのもお前らやろ?」
「はぁ? 知らんし」
「なんであんなことするの?」
「だから、うちらじゃないって」
「逃げても無駄だよ」
「しつこいねん、自分。正義ヅラすんなよ」
「しつこいのは、お前らやろ。七海が何かしたか?」聡は彼女たちに一歩、一歩と近づいていく。
守石は持っていたハサミをこっちに向けた。
「やばいってそれは」いくらなんでもやりすぎだと連れたちも止めに入る。
「七海のこと好きなん?」
「は? 急に何?」聡は何も答えられなかった。
「もう行こうよ、麻美」連れたちは逃げていく。
守石は無言のままもう一度睨みつけ、この場を後にした。
聡は、しばらく動けなかった。
七海の事が好きかどうかなんて考えたこともなかった。
「好きな訳が無いだろ……?」聡は独り言を呟く。
――そうやって笑うんやな。
あの日、彼女が言った時の笑顔は素敵だった。
――高村くんも、一緒に帰ろうや。
誰にでも優しく接する態度が魅力的で。
――大丈夫やから。
時に強がる姿も、放っておけなかった。
「僕はもう人を好きになるのはやめたのに、どうしてこんな気持ちになるんだ」心に言い聞かせてみるも、自分に嘘をついているようで苦しかった。
素直になりたい自分。
それを優希や菜々子が邪魔をする。
また人を好きにならなければ、傷つくこともない。
我慢すれば、何も起こらない。
そうやって、自分に言い聞かせ続けた。
それから守石を止めた甲斐あってか、彼女たちは、七海をいじめることは無くなった。
日に日にいつも通りの笑顔を取り戻していく。
――僕は七海が好きだ。
その姿を見て、確信へと変えていく。
「七海ってさ、好きな人いる?」放課後、一緒に帰る彼女に聞いてみた。
聞きながら、自分でも鼓動が早くなっているのが分かる。
「何? 急にどないしたん?」
「いるの?」
「……おるよ」
「へぇ、誰?」
「秘密」彼女はこちらを見なかった。
話したくないのか、照れ隠しなのかわからなかった。
「高村くんは?」
「いたよ。いなくなったって方が正確かな」
「それって、どうゆう意味?」
「もう亡くなったんだ」
「へぇ、そうなん。まだその子のこと好きなん?」彼女はまた、こっちを見なかった。
「好きだよ」
「じゃあさ」七海は急に立ち止まると聡の方を向いた。
「うちが高村くんの事、好きって言ったらどないする?」
「……え?」彼女の目は真剣だった。
冗談で言っているようには見えない。
「僕なんかを好きになってくれる人なんていないよ」そう答えるのが精一杯だった。
だが、彼女はまだ真剣な眼差しでこちらを見てくるのだ。
「僕は人を好きになるのはやめたんだ」それは自分に言い聞かせる言葉。
「うちは高村くんの事が好きやで?」七海はもう一度、聡に告白をした。
「……ごめん」求めていた答えだったはずなのに、聡は恐怖心に勝てなかった。
「なんでなん?」彼女は少し寂しそうな顔をした。
でも、すぐに笑顔になった。
「じゃあさ、うちがその人の代わりになるで!」七海は笑って言うのだった。
彼女の優しさに甘えると、また傷つけてしまいそうで怖い。
「代わりなんていらないんだ」彼女の目には涙が溢れてくる。
そして、逃げるように走り出す。
「待って!」聡は七海の後を追いかけた。
「なんで、追いかけてくんの? うちじゃあかんねんやろ?」聡がすぐに追いつくと彼女は立ち止まり、息を切らしながら言った。
「分からない。でも七海とは離れたくない」
「それは、好きってこと?」
「違う。好きとは違う」聡は七海を抱きしめた。
彼女は少し驚いた様子だったが、すぐに彼の背中に手を回したのだった。
「うちも離れたない。そやからもう好きとか言わへん」
「それでいいの?」彼女は何も言わなかった。けれども、離れようともしなかった。
――ハグしてるー!!
通りかかった小さな子供の声にハッとさせられる。2人は思わず、離れた。
――こら、やめなさい。
子供を注意する母親の声。
すみませんと、会釈して去っていく。
恥ずかしさから、身体が熱くなった。七海の顔も赤くなっていた。
目が合うと、照れ笑いする。
「帰ろっか」聡は彼女の手を握った。
彼女も手を握り返してくる。
「うん」手を繋ぐと、悪くない気分だった。
心の隙間が埋まるような気がした。
彼女と一緒にいて良かったと思うようになったのは、高校生になってからだった。
それまでは周りにとやかく言われようとも、先には進もうとしなかった。
七海はそれでもいいと言った。だが、その優しさに押し負けた。
傷つくことよりも、今を失うことがよっぽど怖かった。
変わらなければ、また何もかも失う気がしたから。




