第33話 膝を抱えて泣くのは辛いから
「いってきます」あれは忘れもしない、小5の10月。
野球小僧だった聡は、夕飯前に少し離れた公園で素振りをしに出かけた。
それは毎日の日課だった。
最近何故か、近所の狭い公園はバットの使用が禁止になり、わざわざ広い公園までこうして出向いて練習している。
ひと汗かき、薄暗い夜道を帰ると、悲劇が待っていた。
人の気配を感じない、冷たい風が吹いて聡は身震いする。
ただいまと言っても誰の声もしない。
家の中に入っていくとカーテンが風で揺れていた。
夜なのに窓を開けているから寒いのだ。
――ガサ……。
足元には何故か物が散乱していた。
家の中を確認する。
すると、固定電話の近くで母がうつ伏せで倒れていた。
「お母さん!!」聡は体を揺らして、起こそうとする。
けれど反応はなく、ひっくり返ったセミのように動かない。
母は這ってここまで来たのか、床に掠れた血痕が残されていた。
――死んでる……。
一目見て、頭をよぎった。
知識が大して無い小5の聡にもそれはなんとなくわかった。
聡は恐る恐る血痕の元を辿る。
すると居間の中心に血の足跡が出来ていた。
ソファーの横からは脚が2本見え、男が倒れていた。
父だった。
腹部を両手で抑えて、苦しげな表情でぐったりしている。
母と同じように、呼び起こすがやはり反応はない。
両手は生暖かい血で真っ赤に染まる。
全身が寒気に包まれ、膝も震えて立っていられない。
――殺された。
床には凶器と思われるナイフが転がっている。
それは残酷な色をしていた。
「なんで……」どうしてこんな事になってしまったのか理解が追いつかない。
「いや……嫌ー!」聡は泣き叫ぶことしかできなかった。
放心状態に陥り、しばらくそこにうずくまっていた。
母親の声、そして父親の優しそうな笑顔……今の悲惨な現場にいない、懐かしくて温かい記憶が蘇ってくる。
だが、現実は非情だった。
高村家は強盗殺人に遭い、両親を殺されてしまった。
警察が捜査を行い、数日経つと、犯人は逮捕された。
20歳の青年だった。奴は、金が欲しくてやったと供述している。
葬儀を終え、しばらく休んでいた学校にも行くことになった。
事件のことは学校でも噂になっていた。
でもそれは、小学生にしてはショッキングでハードな内容だったのか、交通事故という話にすり替わっていた。
家に帰ると、自宅には父方の祖母が来ていたが、口では説明できないけど、どこか寂しくすぐには立ち直れなかった。
自分でもいつも通りじゃないことは分かっていた。
虚無感に苛まれる。
どうにかして誤魔化したかった。
翌日の放課後、気がつけば水槽の前に立っていた。
当時付き合っていた彼女がいたにも関わらず、菜々子に会いに行った。
優希には弱いところを見せたくなくて、カッコつけたかったのかもしれない。
彼女とは半年くらい付き合っていたけど、控えめ性格から、デートの時に手しか繋いだことがない。
ボディタッチもまだ肩を叩くくらいで、だからキスは勿論のこと、ハグも短い間だけで終わっていた。
本当はもっとしたいのに、優希に嫌われたくないからできなかった。
でも菜々子なら全てを受け入れてくれる気がした。
そして、理科室に連れ出し、彼女と初めてのキスをする。
何の味もしなかったけど、もう一回、もう一回とそれを求めた。
菜々子は泣いていた。
嫌がっていた訳でもないのに。
そして、聡も何故か泣いていた。
嬉しかったのかな、辛かったのかな。何かよく分からなかったけど泣いていた。
彼女は抱きしめてくれた。聡も抱き返した。
この悲しみはほんの少し和らいだ。
だからこそ彼女をまた求め、今度は自宅に連れ込み二人はもう一歩先に進んだ。
菜々子は血が出て痛そうだったけど、とても嬉しそうで、聡もまたそれを見て嬉しくなった。
それをすると気持ちよくて、翌る日も繰り返した。
「大好き」菜々子の笑顔は素敵だった。
見ているだけで空を飛んでるような気分になった。
でも一人になってから、優希との写真が破られていたのを見て、何だか悲しくなった。
高ぶっていた菜々子への情熱は冷めていく。
本当に好きなものに気づかされた。
けれども、彼女との行為は断れなかった。
一人で膝を抱えて泣くのは辛いから。
「聡くん、変わったね」優希に菜々子と同じことをしようとすると、彼女は言った。
否定しても、遠い目で見ているような感じで、やっぱりできなかった。
それでも優希が好きだった。




