46 大切な約束
フクロウの氷像がころころと転がった先に、床に倒れたアリーシャの姿があった。
背中に生えた翼は消え、元の姿に戻っている。
「う……うーん……」
気を失っていたアリーシャが、呻き声を上げながら瞼を開く。
「あれ……? ナヴィーダは……?」
彷徨う視線が、すぐに氷像に吸い込まれる。
「あわわ……変わり果てた姿に……」
はっと息を呑み、床に両手をついたままクリストファーを見る。
「ち、違う。違うのよ、クリストファー。あたしじゃない。あたしじゃないから。ナヴィーダが暴走して勝手にやったことだからね?」
「…………」
「ロザリンドのことも、あたしは、反対だったのよ。でも女神の言うことだし、聖女としてはね?」
「…………」
「それが世界のためだっていうのなら、尊い犠牲だって――」
「何が尊い?」
「ひっ……」
クリストファーが一歩踏み出すと、アリーシャが後ずさる。
「尊い犠牲がお好みならば、貴様自身がそうなるべきだ」
「や、やめて……あたしだって被害者なの……」
「ほう……それは、己の力のなさを肯定した言葉と取るが」
「そうよ、あたしは、か弱い人間なの!」
――その時、部屋にエドワードがやってくる。神官と王城の騎士たちと共に。
エドワードは氷漬けの神殿内と、フクロウの氷像と、よろよろのアリーシャ。そしてクリストファーとロザリンドを見て。
「――一体何があったんだ」
問いに、クリストファーが答える。
「聖女がロザリンドを攻撃してきた故、正当防衛を行った」
「あたしじゃない! あたしは何も知らない!」
「そうだな。あれは聖女ではない。ロザリンドの投獄を決めたところから既に、邪悪なるものに操られていたようだ」
――女神を邪悪なる存在にして、すべての罪を押し付けて片づけようとしている。
ロザリンドは複雑な気分になったが、それが一番穏便に済むやり方だろう。そして、間違ってもいない。
アリーシャは瞳をきらきらと輝かせ、クリストファーを見上げた。
「クリストファー……庇ってくれるの?」
縋りつこうとするアリーシャの手を、クリストファーは穏便に払う。
「邪悪なる存在に操られるとは、最早、彼女に聖女の資格はない。任を解いて静かなところで療養させるのがいいだろう」
――庇っていない。
それどころか、聖女失格の烙印を押した。
「そうだな……アリーシャは、随分前からおかしかった……」
エドワードがアリーシャを見る。
「予言の件といい、ロザリンドを投獄した件といい、君には確認したいことがたくさんある。しばらくは王城で過ごしてもらいたい」
「あ、あたしは悪くないし! あたしは聖女なのにー!!」
連行されていくアリーシャを、ロザリンドは再び複雑な気分で見送った。
――その、しばらく後。
ストーリーも、魔物の出現タイミングもすっかり変わってしまったことで、アリーシャは予言の力を失った。
アリーシャは聖女を解任され、エドワードとの婚約解消の上、王都から北部地方へ送られる。これからずっと修道院で過ごすことになるらしい。
舞台からの実質的な退場だった。
◆◆◆
神殿での一件がすべて片付いた翌日、ロザリンドはいつものように朝早くから公爵家の庭に出る。
明日からようやく学園が再開する。
休み中に友人の様子も見にいき、少し話をした。
エリナは、学園の事件でのことをとても気に病んでいた。そして、あらゆる病と怪我を直せる治療師になりたいと言っていた。すべての人を救いたいのだと。
ソフィアはとにかく強くなりたいと言っていた。もう悔しい思いをしたくないと。
二人とも、とても真剣だった。
学園での戦闘が、二人を大きく成長させていた。
(私も、もっと成長しないと)
魔王がどこかで生まれたとしても大丈夫なように、もっと強くなろうと思う。
そのためにも、一日一日を無駄にせず、大切に生きようと思う。
――その時、クリストファーが庭にやってくる。
珍しいなと思いつつ、ロザリンドは挨拶をした。
「おはようございます、お兄様」
「ああ、おはよう」
クリストファーの視線は、庭の新しい像に移る。
「まさか、この精霊が、女神の一部だったとはな」
そこにはフクロウの姿をした女神ナヴィーダの氷像がある。
ロザリンドが言って、公爵家で預かることにしたのだ。あのまま神殿に置いておくのも、目の届かないところにあるのも落ち着かなかった。
他にメリットとして、常に冷気が漂っていて周囲はとても涼しい。
「この世界は不思議なことばかりですね」
笑って言うと、クリストファーもおかしそうに微笑んだ。
「――それで、そろそろ覚悟は決まったか?」
「何の話でしょうか?」
「もちろん、俺と結婚する覚悟だ」
不意打ちされて、心臓が跳ねる。
「――そ、卒業まで待つって言ってくださったじゃないですか。まだ、半年あります。私にもお兄様にも、まだ何があるかわからないでしょう?」
ロザリンドはぷいっと顔を背けた。頬が赤く染まっているのを見られたくなかった。
以前は絶対に婚約解消しないとと思っていたのだが、いまは受け入れつつある自分がいる。
もちろんそんなことは絶対に言えない。
色々な気持ちが錯綜して、なんだかとても恥ずかしい。
――半年後の自分がどうなっているか、少し怖い。
「そもそも、お兄様は私のことが好きなんですか?」
幼いころからの、とても長い時間の約束だから。
家のために最善と思える方法だから。
だからこの婚約に固執しているのではないか――
そうだとしたら、まだ、解消できるチャンスはある。むしろ解消するべきだ。
ロザリンドは、クリストファーに幸せになってほしい。
貴族の結婚に恋愛感情は必要ないけれども。
できれば愛し合う相手と結ばれてほしいと願う。
「好きかどうか、か……」
クリストファーは少し考える素振りを見せた後、ロザリンドをじっと見つめる。
「もちろんだ。ロザリーがいない世界など考えられない」
その眼差しは優しく、ロザリンドは胸が熱くなるのを感じた。
目許が、じわりと熱を帯びるのを感じた。
「お前の幸せを一番願っている。だからこそ、一番傍でお前を守りたい」
クリストファーの言葉は、真剣そのものだった。
「……なら……私と、キス、できますか?」
「してもいいのか?」
「ダメです!」
反射的に叫ぶ。
「まだ、ダメです……」
なんてことを訊いてしまったのだろう。
ロザリンドは思いっきり後悔しながら俯く。もう顔を上げられない。
「――ロザリー。俺は、お前の選択を尊重する。だが、これだけは忘れないでくれ」
包み込むような優しい声で言われ、ロザリンドはほんの少しだけ目線を上げた。
そこには、僅かに涼しさを感じられる風の中、幸せそうに微笑むクリストファーの姿があった。
「これから先に何があっても、俺はずっと、お前の味方だ」
「――私も、です」
――言葉が。
心からの約束の言葉が、自然と込み上げ、紡がれる。
「何があっても、ずっと、ずっと、お兄様の味方です」
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