月の亡霊
日も沈みすっかり黒に染まった空を、リティアは窓から見上げている。 その彼女に対し「何を見てるんですか?」と声を掛けたのは、メイド服からピンク色のパジャマに着替えたスレイである。
「ん? うん、月をね、見てたの」
振り返ることなく答えるリティアも、やはりパジャマ姿だ。 白く光る真ん丸の月がすでに半分ほども昇っている。
「あの月に亡霊が住んでいる……って話……」
「大昔、突然出現した月から悪魔たちが降り立ち、そしてマナの大樹をめぐりニンゲンと戦った……伝説のようですけど、ちゃんとした歴史的事実ですね」
スレイの言う事はリティアも分かっていても、あんな空の高いところに誰かが住んでいるというのは想像できない。
「……彼ら亡霊はマナの大樹を枯らしこの世界に死をもたらそうとした……でしたか……はっきり覚えていません」
当時は多くの犠牲者を出したという戦いも、それ以来月の亡霊が姿を見せたという話も聞かなければ、今を生きるスレイにはおとぎ話とも大差なく大きな関心を持てるようなものではなかった。
「そういえば、星の落下は月の亡霊の再来だという説もあったようですね」
「そうなの?」
「はい。 ですが、そうであれば月の亡霊という記述をするだろうという事でその解釈は間違いだろうとされて忘れ去られた……だったと思います」
確かにそうだろう、予言とは悪い未来を回避するために残されるもののはずだ。 わざわざ回りくどく解釈が困難な書き方をするとはリティアには思えない。
「……というか、実際に落ちてきたのはマナの種子だったわけだしねぇ」
「はい、その解釈は間違っていたという事でしょう」
言いながらベッドに腰かけるスレイには、このままずっとガールズ・トークを続けようという意思はない。 「リティアちゃん、そろそろ寝ないとですよ?」と促した。
そこでやっと従者であり友人である少女を振り返り「うん、そうだね」と言うと窓を閉めてから壁際まで歩いていくと、そこにあるスイッチを押し天井のライトを消した。
だが部屋が完全に真っ暗とならないのは、大きなライトの脇にある小さなライトがまだ小さく光を発しているからだ。 そのためリティアは問題なく自分のベッドへと行く事が出来て、「おやすみ」と横になるのであった。
暗闇の支配する森の中に佇んで空を見上げている人影があった。 体格からすると成人男性とも思えるが、フードを被ったローブで全身を覆われているためこの頼りない月明かりの下では判別出来ない。
「……マナの大樹の種子と思われる物が飛来し、それが不自然にコースを変えてこの大地に落下などしなければ、このような面倒な任務をする事もなかったのにな……」
明らかに愚痴と分かる呟きは、間違いなく大人の男のそれだった。
不意に聞こえてきた鳥の羽ばたきの音に、男は一度顔を降ろしてからそちらへと視線を移せば、一羽の茶色い鳥が向かってくる。
「戻ったかエルス……」
「悪いなガイム、少し手間取っちまったぜ」
鳥はガイムと呼んだ男から少し離れた場所に着地した。
「この体で人間共の話に聞き耳を立てて回るってのもな、連中がこっちにとって都合の良い会話ばかりするわけじゃねえからな。 で、そっちは?」
力づくで聞き出せれば早いし、それは十分に可能なのだが、今はまだその段階ではないとは分かっていても、じれったい気分にはさせられる。
「十分な調査をしてみたが、やはりマナの種子はこの森にはないようだ……が、種子に足が生えて歩いて行くはずもないだろうが……」
「だろうな……んで、あんたに言われた村……リーネの村って名らしいが、そこの住人であるアディン・ランディールって子供が行方不明らしいぜ、それも種子の墜ちた次の日からな?」
エルスの愉快気な口調は、おそらく自分が思い付いた可能性と同じ事を考えているのだろうと分かる。
「そのアディン・ランディールが種子を運び出したか……」
「偶然の可能性もなくはないがな? だが、村の連中は種子の事を知ってるような様子もなかったのは事実だ、まあ、何かが近くに墜ちたくらいは知っちゃいたがな」
直後、エルスの体から煙のようなものが噴出したが、それは煙ではなく夜よりもなお深い闇と形容すべきものであった。 そして闇の噴出が止まると同時に鳥の目から光が消えて、糸の切れたマリオネットめいて倒れる。
「つまりだ、他に考えようもねえってわけだ? 少なくとも村の連中が正体を知る前に運び出した奴がいるのは確かだろう」
言葉を発したのは、ヒトの形となった闇である。 直後にその身体を青いローブが包み込んだ。
「人間の子供がか、種子と知ったうえで運び出したのかどうか……」
「それは当人に聞くしかねえと思うぜ?」
「この広い大地で一人の子供を探すか、骨が折れそうだ……」
うんざりという風なガイムに、エルスは「任務だからな、仕方ないさ」と笑うと、彼に背を向けて歩き出し、暗闇の中へと溶け込むように姿を消した。
「マナの種子か……いったい何が起こっているというのか……?」
その問いの答えを探す事こそが自分の任務なのであった。




