圧倒的な捕食者
ゴオオオオオッ!!!
放課後の廊下は、一瞬にして地獄の底のような熱気に包まれた。タツの放つ『根絶灼火』の余熱だけでコンクリートが赤黒く変色し、大気が歪む。息を吸い込むだけで、熱せられた空気が肺を内側から灼き、むせ返るような錯覚に陥るほどの高熱だ。
「……ひぇ、これは敵いませんね。一応、避難しておきましょうか」
白衣の男、ルイがいつも通りの飄々とした調子のまま、隣にいたユイへと手を差し伸べた。その指先が彼女の制服に触れるよりも早く、爆音を引き連れた黒い影が二人の間に割り込む。
「――不快だな。俺の『器』に、その汚い手を伸ばすな」
低く、人間の喉から出たとは思えないほど冷徹な、脳髄を直接支配するような声。
リュウの肉体をハッキングしている人外の狂気は、ルイの手を無造作に弾き飛ばすと、ユイの身体を流れるような動作でお姫様抱っこした。そのまま背後の黒い翼を爆発的に羽ばたかせ、凄まじい上昇負荷とともに天井近くの梁の上、安全な高所へと一瞬で飛び上がった。
「チッ、女を担いだままで、この俺に勝てると思って――」
下層でタツが言葉を言い終わるよりも、リュウが動く方が圧倒的に早かった。
空中にいたはずのリュウの姿がかき消える。音を置き去りにした超高速の突撃は、タツの視界に映ることすら許さない。
ドガァァァンッ!!!
「が、はっ……!?」
次の瞬間、タツの顎へ容赦のない蹴り上げがクリーンヒットした。凄まじい衝撃波が廊下を走り、タツの巨体が天井に叩きつけられそうになるほど跳ね上がる。
(何もんだよ、コイツ……っ! 高速移動、飛翔能力、おまけにあの超火力すら防ぐ肉体……バケモノが……!)
タツは受け身を取りながら着地し、顎から溢れ出る鮮血を手の甲で手荒に拭った。全身の細胞が、目の前の存在を完全なる捕食者だと認識して悲鳴を上げている。
「……強いのでは無いのか? 竜の子」
梁の上、リュウはユイを優しく壁際に寄せると、昏い赤の瞳のまま、自身の右腕を見つめた。そして、なんの躊躇もなく、黒く硬質な鱗を自らの爪でひょいと引きちぎった。肉が裂ける音が響くが、リュウの表情はピクリとも動かない。
「何してんだよ……」
タツが戦慄の声を漏らす中、リュウは「ん、」と短く呟き、引きちぎった鱗をユイの上へと乗せた。
その瞬間、鱗から半透明な結晶の羽が急速に増殖し、彼女の身体を優しく、しかし絶対的な強度で包み込んで繭を形成した。外からのいかなる熱量も通さない、完璧な守護の領域。
結晶の繭の内部は、外の地獄のような熱気が嘘のように静まり返っていた。しかし、繭に閉じ込められたユイの頭脳は、一切停止していなかった。彼女の脳内の算盤が、冷徹に火花を散らす。
(外からの振動波、そして結晶の変質速度から逆算するに……タツさんの炎の温度は、今の一撃だけで推定1200度を超えている。それを完全に無傷で遮断し、さらに自分の肉体の一部を『絶対防壁』へと変質させたリュウくんの肉体スペック……。やはり、私の計算(算盤)を遥かに超越している。これなら、勝率は100%から微塵もブレない!)
ユイが内側から戦況を完全にハッキングしているとも知らず、リュウは黒い翼を広げてゆっくりと床へ舞い降りた。
「準備は終わった。相手をしてやるよ、竜の子」
その絶対強者の佇まいに、タツのプライドが完全に爆発した。
「舐めるなよ……ッ!!」
オオオオオッ!!!
タツの側頭部から生えたツノが、限界を超えた熱量によって、赤から眩い「黄色」へと変色していく。周囲の空気がパチパチとプラズマを放ち始めた。
「温度、鬼……!」
「温度を上げたか」
「燃えろぉぉぉ!!」
タツが吠えると同時に、赤色を通り越して黄色く染まった超高熱の炎が、ところ構わず放たれ、濁流となって廊下を埋め尽くした。触れるものすべてを融解させる、文字通りの絶技。
『おいおい、こりゃ大変なことになるな』
部室の中から様子を見ていたドクが、部屋の奥から一段と頑丈な、特殊合金製の防護扉を怪力で引きずり出してきた。ガスマスクの奥の目を険しく細め、バタンと廊下への出入り口を閉めて完全に遮断する。
「くだらん」
奔流する黄色の炎の中を、リュウはただの直線移動で突き破った。超高速でタツの間合いに踏み込み、その太い右腕でタツの頭部をガッチリと鷲掴みにする。そのまま凄まじい腕力で、横のコンクリート壁へと叩きつけた。
ドガシャァァァン!!!と壁が文字通り粉砕され、二人の身体は破壊された壁の穴から、校舎の外――遥か上空の空中へと飛び出した。
(高い……っ! だが、好都合だ!)
空中戦。自由の利かない落下空間。タツは、自分の頭を掴んでいるリュウの腕に、自身の両手でしがみついた。
「捕まえたぜ、龍のバケモノ……! 一緒に燃えようぜ!!」
タツの黄色のツノから、太陽の表面を切り取ったかのような、凶悪な熱線が膨れ上がる。
「良いな……!」
リュウの肉体をハッキングしている狂気が、歓喜に歪んだ笑みを浮かべた。
「避けるなよ! 『鬼黄一発』!!!」
至近距離。文字通りゼロ距離から放たれた、最大出力の黄色の炎が、空中を巨大な火球となって包み込んだ。凄まじい熱風が地上のすべてを焦がす。
しかし。
「――いい」
炎と黒煙を割って、翼を羽ばたかせたリュウが平然と姿を現した。
「嘘だろ……っ」
驚愕に目を見開くタツの頭部を、リュウはさらに強く右腕でホールドし、空中で大きく一回転させると、弾丸のような速度で、遥か下の地面へと全力で投げ飛ばした。
ドォォォォォンッ!!!
地上のアスファルトがクレーター状に陥没し、凄まじい量の砂埃が爆発したように舞い上がる。
「……はっ、ごほっ……無茶苦茶、だろ……」
もうもうと立ち込める砂埃の奥から、全身血だらけになり、制服をボロボロに切り裂かれたタツが、執念だけで立ち上がってきた。
「終わりか? 竜の子」
ゆっくりと滑空してきたリュウが、砂埃を黒い翼の一振りで吹き飛ばし、タツの目の前に静かに着地した。
「……ハッ、舐めるな。もうちょいだけ、付き合ってくれよ……!」
タツは残ったすべての生命力を絞り出すように、両拳を強く握りしめた。その瞬間、彼の腕に纏わりついていた炎が、黄色からさらに変色を遂げる。
音が消えた。圧倒的な熱量は、逆に周囲の空気を冷徹に凍りつかせるかのような、静謐な『青白い炎』へと昇華していた。
(温度が、さらに上がった……!?)
リュウの奥底の意識が、その青白い火力に僅かな愉悦を覚える。
「これからだぞ……っ! 『白射青勝』!!!」
タツの姿が、青白い炎の残像へと変わった。
人間の動体視力を完全に超越した、無数の拳による超高速の乱撃。肉弾戦の極致が、肉を灼き、抉る連撃となってリュウの全身を襲う。一分の隙もない猛攻が、反撃の隙を一切与えない。
「良いぞ……! 良いぞ……! だが――」
青白い炎の乱撃を肉体で受け止めながら、リュウの「龍の超知覚」が発動する。
網膜に映る無数の拳の軌道。その超高速の連撃が巻き起こす風圧の周期、そして激しい熱量が孕む、わずか数ミリの「死角」を、人外の知覚が一瞬で完璧に見切った。
「――まだ未熟だな」
ズゥゥゥンッ!!!
リュウが踏み込んだ瞬間、その衝撃に耐えきれず、周囲の地面が急に大破裂を起こして砕け散った。
パワーによるゴリ押しではない。タツの『白射青勝』の青白い乱撃の完璧な隙間に、自身の肉体の質量を極小の狂いもなく滑り込ませた、圧倒的に冷徹な戦闘IQ。
タツがその超質量の一歩を視界に捉えるよりも早く、死角から潜り込んだリュウの足が、タツの胴体を真横から蹴り飛ばしていた。
ドッギャァァン!!!
「が、はっ、あぁッ!!」
タツの身体が激しく吹き飛ばされる。
「まだ……だ……っ!」
「そうか?」
蹴った位置にいたはずのリュウは、すでにタツが吹き飛んだ先――その眼前に先回りして立っていた。
リュウは無造作に左腕を振り抜くと、タツの顔面をガチィィン!!と殴りつけ、そのままコンクリートの床へと力任せに押し当てた。
「タフ、それに加えて最低限の火力。……良いな、お前! 気に入った!」
リュウの左腕に組み伏せられたタツは、血を流してそのまま意識を失い、倒れ込んだ。
バトルの終了を告げる静寂が、破壊し尽くされた空間に満ちていく。
「……いやー、派手にやりましたねー」
壊れた壁の向こうから、白衣のルイが歩いてきた。その目は一切笑っておらず、眼鏡の奥の瞳は、目の前の「怪物」への明確な恐怖と警戒でギラついている。
ドクも防護扉をどかし、ガスマスクの奥から、その凄惨なクレーターを見つめた。
『これが、龍……』
「……お前たちも、やるのか?」
リュウは床のタツを拘束したまま、昏い赤の瞳をルイとドクへ向けた。圧倒的な殺気が場を支配する。
「やらないですよー。怪我しちゃうんで、僕が」
ルイは両手をひらひらと振り、即座に戦意がないことを示した。彼らは決して仲良しサークルではない。圧倒的な「恐怖」と「利害」の前に、賢く引いたのだ。
その時、壁際に展開されていた結晶の繭が、サラサラと音を立てて光の粒子へと崩壊した。中から飛び出してきたユイが、一目散にリュウの元へと駆け寄る。
「大丈夫だった!? リュウくん!」
「……おい。ちょっと来い」
リュウはタツから手を離すと、直立し、手招きするようにユイへ向かって指をクイ、クイと動かした。
「え? どうしたの……?」
ユイが恐る恐る近付いた、その瞬間。
「……なんだか、な……」
リュウの瞳から昏い赤の光がスーッと引き、いつもの、冴えないコミュ障の少年の瞳へと戻っていく。同時に、彼の背中の黒い翼が霧のように霧散した。
「……あ、急に、眠く……」
限界を迎えたリュウは、そのまま糸が切れた人形のように、ユイの胸の中へと盛大に倒れ込んだ。柔らかな感触に包まれながら、リュウは完全に意識を手放し、規則正しい寝息を立て始める。
「じゃ……一件落着って事でいいのかしら?」
転がっていたカップラーメンのゴミを片付けながら、メイが顔を出した。やはりどこか身体の重心のコントロールが効いていないような、妙にちぐはぐな前のめりの歩き方だった。
「……おい、誰でもいいから、先に俺の心配をしろ……」
床に寝そべったまま、タツが虫の息でツッコミを入れる。
「あはは……。じゃあ、N3を倒す作戦の会議は、明日にしてもいいですか?」
ユイは、自分の胸に顔を埋めて眠るリュウの頭を優しく支えながら、部員の面々を見上げた。
『まあ、そうだな』
ドクがタツの足を掴んで、引きずるようにして回収する。
「じゃ、お二人はどうぞ仲良くイチャイチャしといてくださいなー」
ルイが皮肉めいた、底の知れない笑みを浮かべながら手を振る。
「タツ、早く病院に連れて行かないと、本当に死んじゃうるぅ……」
メイがタツの腕を引っ張ろうとして、また少しバランスを崩しかけながらも、ドクと一緒に彼を抱え上げた。
『じゃ!』
「さようなら! 明日、とびっきりの作戦を持ってくるので! よろしくお願いします!」
ユイは、この危険な能力者たちを従える「女王の鎖」として、自らの知性が弾いた完璧な算盤の成果を確信しながら、胸の中で眠る最強の相棒に、そっと微笑みかけるのだった。




