その8
ニッコリ。完璧なまでの笑顔で肩を叩いてきた女は、「閉館時間よ」とだけ言って背を向けた。
話は図書館を出てからということだろうか。出口近くにあるカウンターで図書館の職員と一言・二言会話すると、こちらを振り向きもせずに歩いていく。
無言のまま図書館を後にして、無言のまま薄暗闇に沈む街を歩く。本当は早く「審査結果」なるものを聞きたいのだが、何となく口を開くのが憚られるような空気だ。
今更気がついたが、女は割と長身で背中がシャンと伸びていて、歩いていても軸がぶれない。腰までの銀髪が波打つのがきれいで、思わず何もかも忘れて見とれていると、唐突に足を止めた……女が先日まで停泊していた宿屋の前だ。
フロントで顔見知りなのか、若い男性と話をして何度か頭を下げている。ふぅん、あの人でも頭を下げることもあるのか、などと妙な感慨に浸っていると、ちょいちょいと手招きされた。ついてこい、ということらしい。
二階へ上がり、ベッドが二つある部屋に通された。中々居心地の良さそうな部屋で、宿泊のための費用もそれなりなのでは無いかと思い至る。というか今日はここに泊まるつもりなのだろうか? それなら自分を連れてきた理由は何だろう。
図書館を出たときから、胸の鼓動は朝と同じようにかなり高くなっていたが、ここに来て一気にまた上がる。
鼓膜がジンジンするほどの拍動を感じつつ、ふと女の姿を探す。いない。
緊張ではなく、動揺の為に心拍数が上がるのを感じていると、コンコンと扉をノックされた。
「両手が塞がってるの。開けてくれない?」
女の声だ。
何時の間に階下に降りていたのだろう。扉を開けると、お湯の入った大きめなバケツとタオルを数枚、それに何かの服を持っている女の姿があった。見かけによらず、腕力もあるらしい。
それらを目の前まで持ってくると、扉を閉めて、またニッコリ。何となく気おされていると、爆弾発言をかまされた。
「脱いで」
「は?」
「身体を拭くの。そんな格好で食堂に降りたら、迷惑になるから」
「で、でも」
「――女同士で、何か恥ずかしがることあるの?」
……気づかれていたのか。何故だろう。
がっくりと頭を垂れる。その間にも女は自分が服を脱いで、手際よく絞ったタオルで身体を拭いていた。潔いほどの脱ぎっぷりだ。
白くて細身の、しなやかなスタイルを前にすると、同性とは言え何となく目のやり場に困る。その上――自分の貧相な体つきを思うと、脱ぎづらい。
しかし自分はまだ女から答えを貰っていない。ここで躊躇っている暇は無い。赤面してるのを自覚しつつ、えい、と服を脱ぎ温かいタオルで清拭して、手渡された白いTシャツとパンツに着替えた。宿屋のものらしいが、とても着心地が良い。
自分が着替え終わるのを待っていた女は、底の見えない笑顔を見せつつ言った。
「……話は、ご飯を食べながら。ね?」
ごくりと喉が鳴ったのは、もちろん空腹のためなどでは無い。
ぶっちゃけ食欲なんて無い。お金だって無い。
だから何でも好きなものを頼むように促されても、沈黙を貫き通した。
女は苦笑しながら、適当に何品かをオーダーした。好きなものを食べられるだけ食べなさいと言われ、目の前に並んだ食べ物を見る。
こんがりと焼けた鶏の丸焼き、ブイヤベース、色鮮やかな野菜のサラダ、スープ、クロワッサン……バターにジャムもついている。
こんなに豪華な食べ物を見たのは何年ぶりだろうか。
現金なもので、途端に腹がキュウと音を立てた。バツが悪くなって上目で女の様子を伺うと、思った以上にやわらかい表情でクスクスと笑っている。
「早く食べなさい。冷めちゃうでしょ」
「でも、ボクお金が――」
「私が払うから気にしないで。子供が遠慮なんかするもんじゃないわ。それに、」
食べないと、結論教えてあげないわよ。
「イタダキマス」
……久しぶりに摂ったマトモな食事は、本当に美味しかった。




