その7
文字通りこの一週間は、死ぬ気で課題に取り組んだ……と子供は思う。
まず弟子入りを断られたその晩のうちに、短期の住み込みで働けるところを探す。やはりここは過去の経験を活かして、どこかの宿屋がいいだろう。下働きならお手の物だ。
……もちろん二度と窃盗には手を染めるつもりはない。あんな胸の悪くなるようなことをして食いつないでも、生きた心地がしない。
何軒か人手を募集しているところを見つけて当たり、多少誇張した身の上を話して雇用主を泣き落とした。まだまだオトナも捨てたモンじゃない。
図書館と仕事場を往復しながらの生活は殆ど眠る時間なんて取れなかったし、まかないのご飯も喉を通らなかったから身体はキツかったけれども、こんなに充実した気持ちになったのは初めてだった。
正直ここまで自分が出来るとは、思っても見なかった。
よく考えてみれば、女が自分を突き放したのも当然である。自分はこれまで、自分の出来る最低限の努力もせずに他人に頼ろうとしていたのだから。
自分のレポートを読み始めた女を置いて図書館を後にした子供は、大きなため息をついた。内心ものすごく緊張している。膝が今にも笑い出しそうだ。
自分はベストを尽くしたつもりだが、もし女に認められなかったら――弟子になれなかったら、この先自分はどうやって生きていこう。
ここまで一度も、そういうことを考えたことが無かった。断られた時点で野垂れ死にでもするつもりでいたのだから。
でも自分の力で文字を読めるようになって、そして魔法の一端を学んでみて、考え方は多少なりとも変わった気がする。少なくとも、今死んでしまうにはモッタイナイと感じる程度には。
……逆に、もし仮に弟子に取ってもらえたとしたら? 一体どんな生き方が出来るのだろうか。考えただけで胸が躍る。
三日かけて文字を覚えこんだ後に初めて魔法書を開き、辞書を片手に読み始めたときに走った震えを思い出す。こんなに面白い学問であり知識であり哲学は無いと思った。
とりあえず、もし断られたとしても路銀にはまだ多少余裕があるし、今は考える時間もある。
ひとまず屋台で食べ物でも調達して軽くつまみながら(緊張でそれほど食べることは出来ないかも知れない)、身体を少しでも休めておこう。
そう思いつつ、子供は中央広場へと足を向けた。傘なんて買うお金は無かったので、来た時と同じように建物の軒下から軒下へと小走りに走りながら移動する。
幸い雨は小降りになっていて、雲の間からうっすらと日も差している。午後には良い天気になるだろう。
それにしても、何かを待つだけの時間がこれほど長いものだとは思わなかった。
中央広場にたどり着く頃には、雨はスッカリと上がっていた。それまでまばらだった人通りも、天気がよくなるに連れて大分増えてきたようだ。
串に羊の肉を差して焼いたものを二本、それにオレンジジュースを奮発した子供は、近くにある教会の石段へと腰掛けた。それほどお腹は空いていないつもりだったが、良く焼けた肉の香りを嗅ぐと自然と少しは食欲が戻ってきた気がする。
図書館を出る間際に借りてきた魔法書を一冊斜め読みしながら、肉汁が本の上に滴らないよう気をつけて肉に噛み付く。
あの女は、自分のレポートを読んでどんな評価を下すのだろう。
あのページのあの部分の記述は不味かったのではないか、とか、そういったことばかりが頭の中を掠めて、がじがじと噛んでいる肉の味が全くしない。読んでる本の内容も、当然のことながら頭には入ってこない。
それでも何とか二本とも食べ切り、オレンジジュースでそれらを喉の奥へと流し込んだ。ふと時計台を見上げる。約束の時間まで、まだあと5時間もある。
串を近くにあったクズカゴへと捨てると、子供は立ち上がった。何も図書館の外でずっと時間を潰す必要も無いだろう。どうせなら自分も図書館の中で、女の返事を待っていよう。それなら本も読み放題だ。
文字が読めるというのは素晴らしいことだ。もし魔法を教えてもらうことが出来なかったとしても、自分は彼女に感謝していることには変わりない。
弟子にとってもらえなかったとしても、今後自分だけである程度は魔法を使えるようになる自信はあるし、魔法書以外にも興味深い本は山ほど世の中に溢れている。それを知ることが出来た。
図書館に戻ると、女は相変わらず紙束と格闘していた。通りすがりの図書館の職員に尋ねると、昼食も摂らずにずっとああしていたらしい。
表情は真剣そのもので、片手にペンを握り、自分の書いたレポートに何事かを書き足しながら読み進めている。時折席を立つと、書架に移動して何かの本を手に取り参照し、また席に戻りレポートを読む。その繰り返し。
子供が戻ってきたことにも気づいた様子は無い。すごい集中力だ。
その姿に触発されて、自分もたくさん本を読みたくなった。書架から数冊の本を取り出し、女から大分離れた位置に陣取ると、まるで張り合うかのような勢いで本を読む。
トントン、と誰かに肩を叩かれ我にかえる頃には、すっかりと日が暮れていた。




