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8-2.今日


 リリリ、リリリ。


 何秒か。何分か。何時間か。なぜか足が動かなくなってずっとそこにうずくまっていると、ポケットから音楽が鳴り響く。


 手に取った画面を見ると、一件の着信。


「もっしもーし! ようやくつながった!」


 響いてきた声は元気いっぱいな佳代の声だった。


「……もしもし」


 そして、自分の喉から漏れた声は自分でも驚くほどに低くか細いものだった。


「うわっ、どしたのその声! もしかして本当に山で遭難してたりしてる?」


 佳代の言葉はまるでからかっているようにさえも思える内容で、しかしその中にも心配そうにこちらを気遣うような声色も感じ取れた。


「もしかして、ってどういう意味?」


「いやあ、文乃の帰りがあんまりにも遅い、って文乃のお母さんから電話が来ちゃって」


 スマホを耳から離し、その画面に映し出された時間を見る。


 もうそろそろ18時。完全下校時刻は目前に迫り、窓から見える景色は夕暮れに染まりつつある。


「追試を受けてた私よりも帰りが遅いくらいだし、何かあったのかなって。それこそ誘拐だの遭難でもしない限り文乃がここまで連絡もなしに遅くなったことはなかった、って大騒ぎだったよ」


「……何かあったか、と言えば何もなかったというか、何もあってはくれなかったというか」


 何かを察してくれたのか、佳代がそっか、と小さくつぶやいた。


「気になるけど、聞かない方がいい? もしも体が無事ならお母さんにはそのうち帰るって伝えておくよ」


 ここでYESと言えば、佳代のことだから私が何も言わなくても私のお母さんにも適当にごまかしてくれるとは思う。


「分からない。自分でも、どうしてこうも心が苦しいのか」


 だけど、私の言葉は煮え切らなくて、それでいて今の心情を正確に偽ることなく吐露してしまっていた。


「なら話してごらんよ。少しくらいは力になれるかもだし」


 聞こえてくる佳代の声はいつもの元気さとは別物のように優しげで。


「……そうだね。なんて言ったらいいのか分からないけれど」


 私の声はそれに引きずり出されるように、止まらなかった。






 始まりはただうらやましいと思っただけだった。


 毎日を新しい日々として過ごせるなんて、毎日が楽しいだろうと。


 そんな『状況』にあこがれていたつもりだった。


 でも、私の本音は少しだけ違ったみたい。


 ほんの少しだけ不憫でもあり、そして憧憬でもあったのだ。


 だって、すべてを忘れてしまって、次の日を迎えることは絶対に恐怖に違いない。未来の自分との断絶があるということは、それは死に他ならない。


 そして、それを知っていながら前向きな彼は、誰よりもこの世界を楽しむことができたに違いない。


 きっと、私は未来がないという恐怖すら受け入れていた『彼自身』にあこがれていた。


 そして、私はそんな彼の世界の中で生きていたかった。


 彼を羨んだのではなくて、ただ覚えていてほしかった。


 たったそれだけの願いだったはずだったのに、それすらも叶わなかった。






 つらつらと語った言葉を、一言一句聞き逃さないように、ひたすらに、佳代はうなずきながら聞いてくれた。


「……そっか」


 きっと、佳代には半分もわからない話なんじゃないかと思う。誰のことかも、何があったかも言わずにただただ私の思ったことを話しただけで、その上話してる私自身だって理解しきれていないんだから。


「どうしたらいいんだろうね、こういうときは」


 それでも聞いてしまう。


 答えが得られないと分かっていながら、電話向こうの佳代が困り果てることを分かっていながら、それで少しでも安心しようとしているのだ。


 そんな自分が嫌になるし、そんな自分でないと今を許容できない心すらも嫌になる。


「らしくないね、今日は」


「……え?」


 分からずとも慰められるかもしれないな、とでも思っていたところに、考えてもいなかった言葉が飛んできた。


 困惑した私の声に微笑むこえが返ってきた。


「文乃らしくない、って言ったの」


「……そうかな。いつも通りじゃあないかもしれないけれど、これはこれで私だよ」


「ううん。だってさ、文乃は悲しい時は悲しいというし、辛いときは辛いというもの」


 それはそうだろう。そんな気持ちを偽ることに意味はないんだし。


「でも、今は自分の気持ちがどっちかすら分からないもの」


「それは、迷ってるからじゃない?」


「…………」


 その言葉は、今の私を正確に穿っていた。


「考えることに意味はあっても、迷う意味はないって前に言ってたじゃない」


 暗い気持ちをぶつけて少しでも慰めてもらおう、なんて矮小な私の気持ちを蹴り飛ばして。


「今の文乃は前に進んで今まで築いたものが壊れてしまうのが怖いんだと思うけど、きっと今まで積み上げたものは無駄にならないと思う」


 佳代なりの言葉を積み重ねて。


「だからさ、きっと。昨日までは気にも留めてもらえていなかったとしても、今日だけは違うかもしれないじゃない」


 私の気持ちを見透かしたうえで。佳代は、私の背中を押してくれていた。


 誰の話をしていたのかも分かっていたみたいだし、何を私が見てしまったのかも少しくらいは見当がついているのかもしれない。


 それでも、あの子が当事者だったとしたら前に進めるんだろう。


 わんわんと泣きながらも、それでも自分の心に整理をつけて。


「……佳代は、本当に変わらないね」


「そうかな?」


 いつも笑っている彼女。いつでも笑える努力をする彼女は強い人で、私にとっても誇るべき友人で。


 私が期待していた慰めの言葉なんかじゃなく、前に進めという力強い助言。それは確かに、私の足に力を灯す。


「うん。そんな佳代に背中を押されたらさ、もう少しだけ頑張ってみないと、って気持ちになっちゃった」


 床に落としていた生徒手帳を拾う。中は見ない。


「どーんといっちゃえ、それで砕け散ったなら、その時は慰めてあげましょう!」


 結論は分かりきっている。


 過去を覚えていない彼に他人へ感情を育む時間なんてなかった。


私を気にもとめていない相手に希望はない。


「……ありがと」


 それでも、自分の顔がほころんでいるな、と自覚できるくらいには今、緊張はほぐれていた。


 佳代にもそれは伝わったようで、電話の向こうからも笑い声が漏れてきた。


「元気も少しは取り戻せたようで何より! お母さんにはなんて言っておく?」


 少しだけ考えて。


「ちょっとだけ遅くなるって言っておいて」


「分かった!」


 佳代の返事を聞いて、電話を終える。


 折りたたんだ足を伸ばして、ゆっくりと立ち上がる。






 電話をするほどの勇気もなく、メッセージを彼に送った。生徒手帳を見つけたけど、学校にいるなら今渡そうか、と。もしも学校から帰っているなら明日で構わない、という旨を添えて。


 逃げ道を用意するなんてまだおびえている証か。そう思って訂正しようとしたけれど、返事は一瞬で私が二の矢を継ぐ時間はなかった。


『まだ残ってる。どこに行けばいい?』


 ここに呼び出すわけにもいかない。もしかしたら、文芸部の倉庫なんて分からないかもしれないのだから。


『校舎裏にきて』


 返答は『了解』の二文字だった。



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