涙
「わ、私は……本当に、何にもできなくて……」
震える声で、サナは話し始めました。俯き、彼らを見ることはできないようです。
「話を聞いてると、私の中にいる人たちは、みんなすごい人たちばっかりで……」
陸上生物相手には負けなしのルイーズ、家事全般はなんでもこなすアリーチェ。類稀なる話術を駆使して人間関係を円滑に進めるオースティンや、魔法の腕が天才的なリカルド。私も全知のスキル持ちですし、幼い子たちや問題児でさえ、強力な力を持っているのは確かな事実ではあります。
その中で、サナという魂はあまりにも普通。危険が迫ればそれを察知できる、というだけの、力もない小さな少女でしかありません。山道を歩くだけで体力的にすぐ限界を迎えてしまいますから、普通よりも力のない少女です。
「自分に自信なんか、これっぽちもなくて、今だって、魔法の練習してるのに、全然出来る兆しもない。人より劣ってることの方が多いくらい……」
違う、違うんですサナ。貴女は……だからこそ貴女は主人格なのです。
「なのに、どうして……どうしてみんな、そんな私を気遣ってくれるの? 私じゃなくて、私の中にいる心強い人たちがいるから、一緒にいてくれるんじゃ……」
パチン、と、乾いた音が響きました。フランチェスカが両手でサナの頰をやや強めに叩いた音でした。その両手はそのままサナの頰を包み、フランチェスカはそっとサナの顔を上に向けました。スクリーンに映る彼女の顔は、とても悲しそうで、そして、とても優しい微笑みを浮かべていました。
「……正直申し上げまして、わたくしは、サナの中にいる他の誰よりも、サナ。貴女が一番好きですわ」
「え……」
サナは驚いて思わずフランチェスカの顔を凝視しています。どうして、なぜ、という疑問符が次々と浮かんでいるようですね。
「確かに、他の魂たちは、素晴らしい技能をお持ちですわ。それぞれ尊敬できますし、人としても好ましいと思っています。けれど……」
フランチェスカは手をおろし、膝の上で拳を握りながら一瞬言葉を切りました。よく見れば、その手は震えているようです。
「一緒にお風呂に入って、一緒に食事をし、一緒に寝て、色んなお話をして……共にいて楽しいと思えるのはサナだけなんですのよ……? そんな、そんな、自分はいらない子のように言うのは、サナ本人であっても許しませんわよ……!」
キッと睨みつけるようにサナを見たフランチェスカですが、その瞳には涙が溜まっており、堪えきれずに一粒、彼女の頰を伝って落ちていきます。サナはその涙の意味を理解しきれず、戸惑いながらもフランチェスカから目を離せずにいました。
「そうにゃ。エミルだって許さにゃいにゃよ? エミルだって、サニャがいいにゃ! サニャと仲良しになりたいのにゃ!」
「エミル……」
背後からはエミルがズッシリとのしかかりながらそんなことを言いました。
「サナは、普通の女の子だ。けど、それが俺たちにはホッとするんだよ。みんな、実は結構強いだろ? 俺だって。だからつい忘れがちになるんだよなー」
「なんですの、ナオ。自慢ですの?」
「違う違う、そうじゃなくてさ」
ナオの発言にフランチェスカがキッと睨みつけました。ナオは慌てて両手を横に振ります。
「身近に普通の女の子がいるとさ、守るべきものを忘れずにいられるんだ。ああ、俺たちは、サナみたいな普通の、普通に暮らす人たちを守るために旅に出てるんだよなって……」
確かに、このメンバーに囲まれていると、この強さが当たり前な気がしてきますが、決してそんな事はありませんからね。サナは何もできない少女のように思われがちですが、一人で生活できますし、身体も健康。ごくごく普通の少女であるだけなのですから。
「それに、友達とか仲間って、強いからなれるってわけじゃないだろ。自分になにかをもたらしてくれるから一緒にいるわけじゃない。でも、まぁ……」
ナオがサナの前に膝をつき、サナの目を真っ直ぐ見ながら告げます。
「一緒にいると安心するんだ。そんな理由じゃ、ダメか?」
ああ、この笑顔ですよね。サナの心を揺さぶるのは。太陽のように明るくて、眩しくて、手を伸ばしたいけれど、届かない。それでもどうしても必要な存在。どうしても離れたくないという存在。
その光に照らされて、私たちは余計に影を濃くしていきます。光が明るければ明るいほど、濃く、深い闇へと。どうしようもない、壁が目の前に立っている限り、消えることのない影。
ああ、この壁が、いっそ崩れてしまえばいいのに。
瞬間、心の中で渦が激しくうねり始めました。嵐のように激しく、竜巻のようにグルグルと渦巻いて、その風圧はこの談話室にまで届きました。心の中にいる住人たちが一斉に部屋を飛び出してきます。エーデルを除いて、全員、ですかね。
『何事!? ジネヴラ!』
『な、なにあれぇ、ボク、寝れないよぉ……』
『グルグル、こわい……うえぇぇぇん……』
ああ、ごめんなさい。オースティン、すみませんが子どもたちを頼みます。
『そ、それは構わないけど……二人はキツイなぁ』
『あらあら、小さな子たち。どうしたの?』
アリーチェ……ああ、家事の一環に入るのですね、育児も。相変わらず大人組は見えていないようですが、せっかくなので任せましょう。ほら、あやすのが上手です。
『……で、これはどうしたの? 何かあった?』
『こんなに渦が動いてるのは初めてだ』
子どもたちをアリーチェに任せたオースティンが、こちらに向き直って尋ねました。ルイーズでさえ、この渦に恐怖心を抱いているようです。
……これは、私のせいですね。
『ジネヴラの? それはどういう……』
ルイーズが訝しげに尋ねた時です。表に出ているサナがグッと胸を抑えて苦しそうにうめきました。
みなさん、一度待ってください。こちらをなんとかするのが先決のようです。
「サナ!? どうした!?」
「もしかして、危険察知ですの?」
突然苦しみ始めたサナに、三人は慌ててサナの背を撫でました。危険察知ではありませんね。十中八九この渦のせいです。サナにも影響を与えてしまいましたね……申し訳なかったです。
心配する三人に、サナは首をブンブンと横に振って答えました。それから……ポタリ、と雫が一滴、床へと落ちていきます。これは……!?
「……泣いてる、のか?」
「あ、れ……?」
ナオに言われて、始めてサナ自身も涙を流していることに気付いたようでした。目元に手をやると、指先が濡れ、鼻の奥がツンとなる感覚に戸惑っています。
「不安だったんですの? 大丈夫ですわよ、サナ。わたくしたちは味方ですわ」
「う、うん……違う、そうだけど、そうじゃなくて……」
優しく背を撫でながら声をかけるフランチェスカに、サナの目からはどんどん涙が溢れていきます。それでも、なんとか伝えようとサナは言葉を止めませんでした。
「不安、だったし、でも……うれしくて。そんな風に、言ってもらうの……はじめてだったから……」
グスグスと鼻をすすっていると、エミルがタオルを手渡してくれました。サナはそれを受け取ると、何度も目元に当てて、涙を吸い取っていきますが……まだまだ雫は溢れてくるようです。
「私、いていいの……? みんなの、そばに……」
「当たり前だろっ!」
恐る恐る尋ねたサナは、ナオや、他の二人の当然と言わんばかりの返事に、余計に涙を溢れさせるのでした。





