水竜
突然大きく船が揺れました。警戒していたのもあり、その時仮眠していたエミルとサナも揺れによって飛び起きます。
「来たか……甲板に出よう!」
ナオの声にそれぞれが肯定の声をあげると、四人は走って部屋を出ました。走ってる間も船は揺れ、サナはフラついてしまいます。
「先に行って! 私は後で行くから!」
「っ、わかった! 気を付けろよサナ!」
自分が足を引っ張ってしまうのがわかったサナは、そう声をかけて三人の背中を押します。揺れを物ともせずに駆けていく三人の背を見送り、サナも手すりにつかまりながらゆっくりと甲板へと向かいました。
三人があっという間に通路を駆け抜けていく間に、他の乗客たちが只事ではない様子にパニックになりはじめます。それぞれ部屋を飛び出し、あちらこちらへと走り回っては何事だと叫び、上位魔物が出たという噂を聞いてさらに騒ぎ立て、恐慌状態に陥っていました。
当然、船は揺れますので他の乗客たちも転び、サナはそれに巻き込まれる事二回、自身で転ぶこと四回。押し合いへし合いで甲板へと出ようとする乗客でいっぱいの中、小柄な身体でするりと人混みを通り抜けてようやく甲板へと出ました。
「水竜だぁぁぁぁっ!!」
「な、なんで水竜がっ!?」
乗客の誰かが叫びました。そのせいでさらに船上は荒れていきます。正常な判断ができずに海に飛び込む者、こんなところで死んでたまるかと怒り出す者、絶望に泣き咽ぶ者など様々です。
水竜。それは海の守り神であるポセイドンの配下とも呼ばれ、この海に複数存在する上位魔物です。海の主であるクラーケンとほぼ同格の魔物で、基本的には海を荒らしたりなどしない限りは人を攻撃してくることのない魔物なのです。
それは一般常識でもありますので、余計に人々は混乱しているのでしょう。
サナはそんな中、人の波と船の揺れにどこかへ行ってしまわないよう必死で柱にしがみついていました。目線の先は、あの三人に注がれています。どうやらちゃんと見つけられたようですね。
「雷、はダメだよなぁ……!?」
「当たり前ですわ! 下手したらわたくしたちも感電してしまいますわよ!」
そんなやりとりが微かに聞こえてきました。フランチェスカの補助魔法により、三人とも船の揺れの影響はあまりないようです。
「お、お前たちっ、戦えるのか!?」
「にゃにゃ! もちろんにゃ!」
「とてもそうは見えないぞ! 危ないから下がってるんだ!!」
一方で、船員たちに早く逃げるように叫ばれてもいるようです。そもそもどこへ逃げろというのでしょう。この荒れた海に小舟で避難しようものなら一瞬で転覆するでしょうに。百戦錬磨な船員たちでさえ、この水竜を前に冷静な判断が下せずにいるようです。
それもそうですよね。船の何倍もある青い巨大蛇が海から顔を出しているんですから。海の下にも尻尾がある事を思えば、全長がどの程度か把握できないほどです。
竜といっても姿は手のある蛇みたいなものですね。ただ、青く美しい鱗が月明かりでテラテラと光り、大きな口から見える牙や黄色く光る目もあって威圧感がとんでもないわけですが。
「ナオ、仕方ないですわ!」
「わかった!」
フランチェスカの呼びかけに、ナオが甲板の一段高い台の上に飛び乗り、腰の剣を抜いて空に掲げました。魔力を流した事で、剣とナオが眩い光に包まれます。その近くにいた船員たちは一斉にナオに注目しました。
「俺は勇者、ナオ! 魔王討伐の旅の途中でここにいる! 必ずや魔王を倒し、平和な世を取り戻してみせる。だから……水竜の相手も、俺たちに任せてくれないか!?」
朗々と、声高らかに告げた勇者の言葉。輝く金髪に紫の瞳。全身から溢れる優しい光に、その場にいた者たちは感動に震え、涙を流します。後光が差しているようにも見えますね……ちゃんと勇者に見えるじゃないですか。さすがです。
「そ、うか……いよいよ、なのか……」
誰かがそう呟きました。それから次々に我に返り、口を開きます。
「歴史的瞬間に、立ち会ってんだな俺たちは」
「わかった! 頼むぞ勇者!」
「世界の希望だ!!」
恐慌状態だった船上は、打って変わって勇者への声援で溢れます。ナオは一つ頷くと、みんなに背を向けて水竜へと対峙しました。
「……本当に、勇者なんだなぁ。ナオって」
柱の陰から、サナが静かに呟きました。完全同意ですね、ええ。
戦況は停滞していました。真っ暗な空の下、月と星の明かりだけを頼りに、しかも船上という不利な場所での戦いに、なかなか苦戦しているようですね。サナはじっとその様子を見守っていました。
「みんな、ナオたちのことを信じてる。どうか、怪我をしませんように」
時折大きく揺れる船に倒れて転んでしまわないようにしながら、サナは祈るように三人を見つめます。私も、スクリーンを通して戦闘を見守りましょう。
戦闘での役割は、遠距離からの援護と補助魔法がフランチェスカ、素早い動きで陽動し、攻撃を一気に引き受けて間一髪で避け続けるエミル、敵に主な攻撃を仕掛けるのがナオといった具合です。
隙を見てはナオも攻撃魔法を繰り出しますが、得意とする火の魔法は水竜相手には効果が薄いようです。ですから、出来るだけ近付いて剣で斬りつけますが、硬い鱗に苦戦していますね。
しかしながらこちらも大きな攻撃は直接くらっていません。水竜の放つ水魔法は船をいくらか破壊しましたが、人的被害は今のところありません。ただ、船員たちが修理に駆け回っていますけれど。時折、水竜の尾が船を真っ二つにせんと振り上げられますが、ナオの剣によって全て弾かれていました。
互いに決定打がない事から、戦況はあまり動かないというところでしょうか。ナオたちの体力が尽きるのが先か、じわじわ加えているナオたちの攻撃によって、水竜が倒れるのが先か。この調子ですと前者が濃いですね。ここらで強力な攻撃を与えなければ厳しいかもしれません。
『ん、もうー、うるさぁい……』
その時、談話室に癖のある淡い金髪をふわふわと揺らしながらノアがやってきました。水色の瞳はとろんと眠そうで、目をこすり、とても不機嫌そうに眉根を寄せています。こ、これはまずいですね……!
『今は夜だよ……? ねんねしなきゃ、めっ! なんだから』
ノア、騒がしくしてごめんなさい。でも今は、強い敵と戦っているところなのです。少しだけ我慢してもらえませんか? 私は内心でヒヤヒヤしながらノアの説得を試みます。
『だめぇっ! ボクは今眠りたいの! うるさくしたらやぁだぁっ!!』
そんな私の説得も虚しく、ノアは癇癪を起こしてその場で地団駄を踏んでいます。ああ、どうしたらいいのでしょう。
『甘ぁいケーキをたくさん食べる夢みてたのにっ! もっと食べたかったのにぃぃぃ! ボク起きたくなかったのぉっ』
それは本当にごめんなさいですよ、ノア。今度表に出てる時に美味しいケーキをご馳走してもらいましょう? ね?
『いーやっ。ボク、今! 夢で美味しいの食べたかったんだもんっ』
ダメですね……幼児というのは本当に扱いが難しいです。どう考えてもそちらに有利な交換条件でさえ、今の気分が全てで、絶対にダメだと言うのですから。
『強い敵? 知らないもん。みんなねんねの時間なんだから、寝なきゃいけないのぉぉぉっ!!』
あっ、待ってください! ノアっ!!
私の制止も聞かずに、ノアはそのまま駆けていきます。
──支配者の、席へと。
ダメです! 今みんなを眠らせてしまっては……最悪全滅ですよ!? けれど、ノアは支配者の席へと足を踏み入れてしまったのです。
スキル【スピリットチェンジ】発動しました。
身体の使用者がサナからノアへと変更されました。





