アリーチェのスキル
見ればアリーチェの手には箒とモップが握られていました。スキルによる武器の具現化は聞いたことがありますけれど……あれは、武器、なのでしょうか?
「さ、綺麗にしちゃいましょうか」
「え、えっと……?」
ニコニコと相変わらず穏やかに微笑むアリーチェからは、これから戦闘するというようにはとても思えません。隣にいるフランチェスカも戸惑いを隠せないようですね。隣にいるのが誰かもわかっていないのではないでしょうか。サナではないのはわかっていそうですけど、アリーチェは名乗ってもいませんしね。
「さ、子どもたちは退いてなさーい! 一緒に掃いちゃうわよー!」
「へっ? サナ、じゃない……えっと、アリーチェ……?」
「うにゃっ!? 危にゃいにゃあっ!」
右手に箒、左手にモップを掲げてナオとエミルの隣を駆け抜けるアリーチェ。当然ナオもエミルも戸惑いの声を上げました。ああ……もうどうなっても知りませんからね! 本当に危ない時はルイーズ、待機してください!
『尻拭いは嫌だからな!』
遠くの方からルイーズがそう叫ぶのが聞こえてきました。私の声が届いたのでしょう。これで、そうも言ってられなくなったら出てくれるでしょう。なんだかんだやってくれる人ですから、ルイーズは。
「さぁさぁ、害獣は駆除しなければ。家の周囲は綺麗に保つのが私の仕事だもの!」
アリーチェはそう言いながら左手のモップをクルクル回し、その勢いを保ったまま魔物に向かって投げました。モップはアリーチェの手を離れた瞬間、不思議なことにさらに威力を増し、魔物の首に命中したかに思えました。
けれど魔物はまたしても爪で攻撃を回避。しかし、その隙にアリーチェは右手の箒を思い切り振りかぶっていました。
「私の前から、姿を消すのよ害獣!」
アリーチェが箒をフルスイングする風切り音の直後、ボグッという鈍い音と共に魔物の悲鳴のような鳴き声が響き渡りました。見事に魔物の下腹部辺りに箒がめり込んでいます。
それからアリーチェの箒はググッと空の方へと振り上げられ、その動きと共に魔物が空を──飛びました。
「げっ」
「うそっ!?」
「にゃあっ!?」
魔物の鳴き声がだんだんと遠ざかっていき、そしてついには見えなくなりました。……御愁傷様です。
「ふぅ、これで綺麗になったわね!」
スキル【スピリットチェンジ】発動しました。
身体の使用者がアリーチェからサナへと戻ります。
仕事を終えたアリーチェは、やはりスタスタと部屋へと戻っていきました。と同時に手に握られていた箒や、放り投げたモップも消えていきます。
後に残ったのは、ポカンとした様子の三人と、同じように不思議な顔をしているサナでした。……まぁ、どうにか我に返ってください。
それにしても、久しぶりに見ましたね。目的は必ず遂行する、アリーチェのスキルの真骨頂を。人的被害がなくて安心しましたよ。まぁ、味方は駆除対象外だと信じてはいましたけれどヒヤヒヤしましたね。
彼女が生まれた時には、こんな能力があるとは思ってもみませんでした。……初めて見たのはそう、あの時──
『……おなか、すいた…………』
この頃はまだ、三人しか魂がいませんでした。サナを地下牢に閉じ込めることを諦めた両親は、もはや全てを放棄し始めていたのです。サナのその訴えも、聞こえていないわけはないのに、まるでそこには誰もいないかのように知らんふり。それはそれで、サナの心を抉ったものでした。
『おかあ、さん……なにか、たべてもいいかなぁ』
そう言って、サナは母親のスカートを痩せ細った小さな手で握りました。
その瞬間、母親の中にようやくサナが認識されたのです。物凄い勢いでスカートを引っ掴み、サナの手を振り払いました。それはほんの少しでも、直に触れたくないという心の表れだったように思います。それから、目も合わせずに言い捨てたのです。
『気味の悪い顔、見せないで!! 二度と話しかけないでちょうだいっ! この悪魔っ!!』
気持ち悪い、こんな服は二度と着られない、と叫びながらその場で脱ぎ捨て、あっという間に着替えた母親は、父親を連れて外に出て行きました。一人残されたサナは、くぅと鳴るお腹をさすり、切望したのです。
『ぜんぶ、自分でできたら、いいのになぁ……』
その瞬間、心の中に水色の光が溢れました。この時、警戒心を高めたのを覚えています。何しろ、初めてこのような光景を見た時はかなり苦労しましたからね。
けれど、以前の時と光の色が違う事に、僅かな期待を抱きました。水色の光は、どこか優しさを感じましたから。
『あらあら、お腹が空いたのね。アリーチェおばちゃんに任せなさい』
光が収まった後に現れた、中年の女性。彼女は生まれた瞬間からサナを見つけると、直ぐに支配者の席へと向かったのでとても驚きました。
『ま、待ってください! あの、貴女は一体……?』
私は声をかけて追いかけました。それから、彼女の肩に手をかけ……ようとしたのですが。
『!? 掴めない……!? まさか、サナと同じ……』
スルリと私の手は彼女をすり抜けてしまったのです。サナと同じように、触れる事も声を届ける事も出来ないようでした。
正直、絶望しましたね、あの時は。呆然と、成り行きを見届けることしか出来ず、己の無力に打ちひしがれました。そうこうしているうちに、スキル、スピリットチェンジが発動され、アリーチェは表へと出てしまったのです。
「一人分だものね。材料も……うん。十分だわ。待っていなさい。すぐに美味しいものを作るから」
そう言って彼女は腕まくりをしました。その瞬間、アリーチェの動きに変化があったのです。ここで初めて、彼女のスキルを知り、目の当たりにしたのですけれど、あの時の感動は今もしっかり覚えていますよ。
瞬く間にアリーチェは有り合わせの物でご飯を作り終えると、腕まくりを下ろして慈愛に満ちた笑みでこう告げました。
「さあ、召し上がれ」
次の瞬間には、すでにサナへと戻っていました。アリーチェはしばし、サナが美味しそうに食事をする姿を眺め、一つ頷いてから自分の部屋へと去って行ったのです。
呆気にとられてしまいました。けれど、これが彼女の在り方なのだと理解しました。そして、サナを助けてくれる存在なのだと。
『良かった……本当に良かった』
この時の安堵の気持ちは筆舌に尽くしがたいですね。ですから、まさかアリーチェがあんな行動を取るとは思ってもみませんでした。本当の意味で、彼女のスキルを理解する機会はルイーズが生まれて割とすぐに訪れたのです。





