聖女の名が産まれた街
翌日、手紙が来た。
イレナの街へ行くように、要約すればそれだけの内容の手紙は、やはり昨日の手紙と同じく長たらしい美辞麗句の類が並んでいた。
よくもまあ、『まもなく歴史の一人となる女の頼み、そう気張らず、貴方様の御役目の日々に少しの休暇が与えられたと思って頂ければ、幸いです』だのと、抜かせるものだ。
もうすぐ、彼女の言い回しを借りるなら歴史の一人死ぬになるというのに。
「聖女誕生の地……何を考えている?」
イレナの街へ向かう馬車の中、質問というよりは自身の考えを出力し、整理する事を目的とした独り言。
よもや、私に自らの功績の偉大さたるを見せつけ処刑するには惜しいと思わせるのが狙いだろうか。
いや、処刑は王命。ひいては帝国からの命だ。
逆らうはすなわち死だ。
そも、一介の介錯人に過ぎぬ私にはどうする事も出来ようはずもない。
私は、ただの刃でしか無い、そうあれかしと、自らを定めたのだから。
全ては我が父とその血筋、そして広大とは言えぬ領地に、それでもいてくれる我が領民の為。
主国王と責務は絶対である。
「旦那様、まもなくイレナに御座います」
心配症が治りそうもないメイドが、眉間に皺を寄せたままそう告げた。
狭い馬車内である。
故に、彼女の眉間の皺がいつもより深く刻まれている事までもわかってしまう。
「どう見る」
手紙の送り主の真意は。
「……一介の使用人に過ぎぬ身でありながら、旦那様に意見を述べるなど」
「構わん。そも、我が家は一般に知られる貴族のそれからは遠く離れている。ならば、本来不敬となる行いも許されるのが道理だ」
そこまで説き伏せてやっと、心配症を人生の半ばまで生きて尚捨てられないメイドは、その恐ろしく重い口を開いた。
「イレナは、聖女に由来する逸話が多く御座います。そして……その、聖女を信仰し、主と仰ぐものさえ」
彼女はそこで一度口を閉ざし、私以外の誰にも聞かれてはならないと警戒するように狭い馬車内を見回す。
そして、殊更に小さな、囁くような声で、
「そしてその中には、過ぎた発言をする者さえ……。我が国で誰を真に仰ぐべきか声高に唱える者も」
悍ましい、言うべきでない事。
そう言わんばかりの表情と共に我が国、そして王への忠誠の否定とも捉えかねない言葉を彼女は吐いた。
「つまり、その……ですね。その様に、聖女とさえ呼ばれた令嬢への狂信を募らせる者達がいる場所へ、その主を処刑する予定の者が……」
そこまで言った彼女は、これ以上は私の口からはとても……と言ってそれ以上意見を述べる事をやめた。
「そうか、すまない。それ以上は良い。無理をさせたな」
しかし、そうか。
私が思う以上に聖女の名とは広く知られ、その威光に惑わされた者がいるらしい。
イレナ、或いは聖女の名と逸話誕生の地。
もとは公爵家の令嬢、その幾つもある内の一人に過ぎぬ小娘が、如何にして聖女の名を賜るに至ったか。
詳しく知る者は少ないだろう。
だが、知らぬ者はいない。
「旦那様、イレナに御座います。……御手を」
メイドが恭しく馬車の戸を開ける。
その肩越しにイレナの街並みが見える。
決して栄えている、とは言えぬ。だが素朴な、落ち着く原風景を幾つも残す町並みが。
我が国最北に位置するこのイレナは、その立地が故に帝国とは山を挟んではいるが隣接している。
肥沃な農地に水源を湛えた土地であり、しかしそれだけの土地。
だがひどく寒く、痩せこけた土地に喰えもせぬ鉱物資源ばかりを持つ帝国にとって、この土地は魅力的に映った。
馬車から降り、通りに目をやる。
やはり馬車で来てしまったからか、こちらを見る目が多い。
「……おい、なあ。あの馬車に刻まれている紋章って……」
「あぁ、穢れた血族だ……」
「悍ましい、あの家系は憑き子ばかりだって話だ」
好意的とは言えぬ視線に、ひそやかな言葉の数々。
メイドが私の前に立つ。
もう若くない歳の彼女は、だがそうして民衆の前に立つと威厳と威圧感をたっぷりと持っているように思う。
イレナの街の人々はつまらなさそうに、あるいは忌々しげに離れて行った。
「旦那様、やはりこの街は」
声音に嫌悪を滲ませるメイド。
「よもやあり得ない、あり得るはずがないと考えておりましたが……旦那様を殺める為にこの街へと呼んだのでは」
聖女に心酔する者達を使い、処刑人を始末するべく……という事だろうか。
あり得ない、そう思うのだが。
「この私をか?」
それこそ不可能だろう。
仮にも貴族の産まれ、一定水準の文武が求められる人種である貴族を害せる者が、果たして一体どれほどいるだろうか。
ましてや私をだ。
首を完全に、そして痛みを認識するより前に断つにはそれなり以上の筋力と、なにより技量を要求される。
「私は処刑人だ。そこらの貴族どもとは鍛え方が違う。一緒にされては困る」
セコく儲けている連中や、帝国融和推進派だの、訳の分からん背信者とは違うのだ。
「しかし……わざわざ自分を処刑する相手を、自分の支持者が数多く構える地に呼ぶなど」
「他に目的があるのだろう。それがわからぬ以上、私はいつも通りに動くのみだ。さしあたっては聖女の伝説、その詳細を知る所から始めねば」
私の発言にメイドはその眉間にまたもや皺を寄せてしまった。
いつものように私を心配する声音でもって名を呼ばれ、どうかそれはおやめくださいと諫言する。
思えば、彼女の眉間に皺が寄るのはいつもこのような場面が多い。
彼女の心配症がいつまでも治らないのは、生来の気性もあるのだうろが、私のせいでもあるのだろう。
「フローレンス、我が従僕にして幼子より私を知る者よ」
敢えて、彼女を名で呼ぶ。
一歩たりとも譲らぬと硬い意思を篭めて。
「それは出来ない。私は処刑人だ。他者の命と尊厳、未来……その他全てを奪う者に他ならない。ならば、そんな存在が相手の過去も生い立ちも知らぬというのはあまりにも不義不動ではないか」
それに、と付け足す。
「君も知っているだろう?私は記憶力がいい」
我が家は普段の悍ましい血の交わりのせいか、些か偏った者がまま産まれる。
計算に優れる者や、一度見た風景を完璧に写し取れる者……そして、私のように特定の分野でのみ完璧な記憶力を有する者など。
だが、我が家に古くから仕えるメイドは最期の発言こそが彼女の心配のタネであったようで、納得のいかない顔を崩してはくれなかった。
「だからこそですっ!旦那様はそのお力で自ら殺めた御相手様の全てを記憶していらっしゃる!文字通り、全てっ!一体旦那様は何人の過去をその脳に収めているのですかっ!?」
「無論、全てだとも。私が処刑した1529人、その全てを覚えているとも」
民衆からの評判、家族や抱えの騎士ら身内からの評価、人徳、功績……そして、その最期の表情。その全てに至るまで私は深く記憶している。
「これは人の身でありながら人を処刑するなどという過ぎた行いに対する当然の報いでもあると私は思っている。だから、止めないでくれ」




