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王女エアリスの目覚めー②


 アングレアの王宮に戻ったライブリーは、調理場の料理人に「王女の夕食にそれをお出ししろ」と縄で縛ったムカデドリを預け、星詠みのクロワに「今日もご苦労」と土産の飴を渡し、ジャガイモの木箱に悪戦苦闘する使用人を浮遊の魔法で支えながら、とある一室を目指す。

 ライブリーの帰来に気づいた門衛が、彼の行く手を阻んだ。


「タルニア村の村長が来ています。小麦が不作で、このままでは冬を越せないと訴えておりますが」


 ライブリーは「バーティッズ神父の所へ通せ。神のお告げでも聞かせろ」と適当にあしらい、扉を押した。

 ベッドの上では、出かける前と比べて少しは具合の良くなったように見える病人が、虚ろな目で天井を見つめている。「生きてるか」と声をかけると、ガラスのように薄い瞳だけがこちらを向いた。


「エアリス殿下は……」

「そうか、聞いたか」

「殿下は……」

「無事だ。元気でおられた」


 ラプトルは激しく咳き込み体を起こす。


「私は死ぬの……?」

「ただの風邪だ」


 ベッドを下りようとするラプトルを使用人が止める。大人しくしてろ、と言い残し部屋を後にしたライブリーは、小雨に降られた私服から制服に着替え、主の待つ執務室へと足を踏み入れた。

 机に積まれた書類の山で、座する王女の顔は見えない。ただ今戻りました、と声を掛ければ、紙の城壁の向こうから「ん」とだけ軽い返事があった。


「手伝います」


 ライブリーが書類を何枚か手に取ると、計数盤をはじくリズミカルな音が止む。魔術評会の騒動でしばしアングレアを離れていた王女は、一向に減らぬ紙束をにらんで目頭をつねった。


「タルニア村への貸し付け。返却証が揃わなければ、次は娘を売るわ」

「ちょうど村長が来ているようですが」

「小麦がどうとか言っているんでしょう。借りた金も返さずに」


 小鳥のように愛らしい少女の声に、相応しくない会話が繰り広げられる。

 過去、財務官に王宮の金を着服されてからというもの、ローゼスは金回りの一切を臣下に任せなくなった。騎士長のライブリーだけは例外だったが、彼女が心を許したのもつい最近のことである。


 奥から姿を現した部下のリヒトが、ローゼスの机から冷めた紅茶を下げ、新たに湯気の立つカップを置いた。


「おお、リヒト。お前も戻っていたか」

「騎士長が出発なさった次の日に」

「長旅ご苦労だったな」

「いえいえ、何のこれしき」


 リヒトは「リントブルム家の三女には会えましたが、長男は見つかりませんでした」と肩を落とす。


「長男はウィンチェスが追っていたらしいぞ」

「ええっ!?」

「発見したが返り討ちに遭ったと」

「うわぁ、僕じゃなくてよかった……」


 ライブリーは「しばらく様子見だな」と、書類の数字を目で追いながら言った。


「詳しい話は後で聞かせてくれ」

「ええ、もちろんです」

「ラプトルが病室を抜け出さないよう見張っておいてくれるか」

「かしこまりました!」


 リヒトが立ち去ると同時に、「で、どうなったの」とローゼスが切り出す。


「ラプトルとフレイゾンを戻す必要はなさそうです。エアリス殿下は……記憶を失われておりました」

「……それはまた」

「ここ二ヵ月の記憶が綺麗さっぱりと」

「光の魔法が原因なのかしら?」

「まだ何とも。エアリス殿下の傷を見たラプトルなら、あの攻撃がどのような魔法式であったか分かるかもしれません」

「彼が元気になったら聞いてみましょうか」


 ローゼスは筆を置き、凝った肩をほぐした。エアリスにとっては幸せかもしれない。信頼していた魔導士に殺されかけたなど、思い出したくもないだろう。

 しかし、王宮は光の魔導士を追うために、些細な情報でも彼女から聞き出したいはずだが。


「ライナス殿下は、光の魔導士にそれほど執着はしておられませんでした。これ以上の追跡は無いでしょう」

「あら、そうなの」

「それよりも大事な問題がある、と」

「ふふ。あの戦争屋さん、バレイのこと以外考えてないのでしょうね」

「それについて、風の魔導士を揃えるように仰せつかりましたが」

「……本気のようね」


 皇国バレイ。

 エーデルニアと交易を行うほとんどの国が、サザナタ海峡を通過する必要がある。バレイの領土はその重要な海峡に食い込むように位置しており、長年にわたりエーデルニアを悩ませてきた。

 さらに、バレイが(よう)する”風の魔法で空を飛ぶ兵士”。おとぎ話のようだが、存在は確かに確認されており、侵攻において最大の脅威になるとされている。


「光の魔導士はいったん忘れて、戦争の準備ってとこかしら」

「ええ。エアリス殿下のご婚礼も進めねばなりません」

「……記憶が二か月分、なくなっているのよね?」

「そう聞きましたが」


 ローゼスは、あの頑固者のエアリスが、婚約にようやく首を縦に振ったのはいつの話だったか思い出す。


「もしかしたら、そんなもの同意した覚えはないと、騒ぎ出すんじゃないかしら」

「その可能性は……否定できませんな」




 一方、ワイトマリシアの本宮では、エアリスが泣きはらした顔で騒ぎ立てていた。


「誰が許しを与えたと言うの! こんなのあんまりだわ!」

「エアリス殿下、殿下はご記憶が……」

「あなたたちは出ていってちょうだい!」


 取り付く島もなく、お手上げの侍女たちは渋々部屋を後にする。

 アナスタシアは沈鬱な面持ちで、外で待っていた宮廷儀礼官に向かって首を横に振った。


 婚礼の準備は進められている。やるか否かを話し合う段階はとっくに過ぎており、もはやエアリスの意思は関係がない。嫌だなんだとわめくなら、丸太に括り付けて上からベールを被せ、ウェディングアイルを引きずってでも儀式を成立させなければならなかった。

 もっとも、王宮にいる誰しも、エアリスにそのような仕打ちを望んでいるわけではない。王妃のワイトマリーが三日三晩、食事もとらずふさぎ込むエアリスを説得した。結婚とはおめでたいものだ。愛しの娘には笑顔でいてほしい。母の言葉が響いたか、エアリスは”ある条件”を元に婚約を了承した。


 数日後、伝令は第三王女ローゼスが治めるアングレアへ走り、日の出と同時に王宮の門を叩いた。


「ラプトルとフレイゾンを、エアリス王女に随伴させる?」


 対峙するライブリーは、伝令の言葉をそっくりそのまま聞き返す。


「それは、二人を婚礼の儀に出席させるという意味ではなく?」

「そのまま公国へ差し出すということだ」

「陛下のご裁可は下りたのか?」

「陛下がお決めになったことだ」


 エアリスの願いは、「一人で見知らぬ土地へゆくのは心細い」という純粋な想いだった。ライブリーは顎に手を当て考え込むが、その気持ちは伝令にも痛いほど理解できた。

 お姫様の可愛らしいわがまま、で済む話ではないのだ。騎士とは兵器であり、王国を守る堅牢な盾であり、その存在自体が抑止力となる。嫁入り道具にしてはあまりにも高価だ。特にラプトルなど、国家同士の力関係に影響を及ぼしかねない。


「いくらなんでも、甘やかし過ぎではないか」

「……ライナス王子は内政を(かえり)みず戦に明け暮れ、リーダス王子は務めも果たさず贅沢三昧、ルーカス王子に至っては、姿を見せず便りの一つも寄こさない。そのような中、男たちが面倒がる公の行事にも進んで顔を出し、公務の無い日とて勉学に器楽にと教養を深められ、民からの信望も厚いエアリス王女は、それは愛おしく映るものだろう」


 いつもの王女贔屓(びいき)か。

 ライブリーは、喉元までこみ上げた言葉を胃に戻し、決まったものは仕方がないと立ち上がる。


 この決定にあたり、現在の所有者であるローゼスの意向は、考慮されることすらなかった。

 国王や他の王子たちが「ローゼスへ力を与えすぎない」ためそう判断したとも取れる。ラプトルとフレイゾンの加入により、ローゼスの擁する騎士は五名となり、王族の中でも随一の戦力を誇ることとなった。

 二人の騎士の流出は、王国としても手痛い損失ではあるが、身内に火種を抱えるよりかマシな選択肢と言えよう。


「相変わらず、彼らは何に怯えているんでしょうね」


 ライブリーの報告を聞いた王女は、眉一つ動かさず答えた。


「私たちは、王国憲章に則って二人を迎え入れたというのに。今度はそれが恐ろしいからと取り上げていては、法があるとは言えないわね」

「おっしゃる通りです」

「段取りは任せるわ。面倒がないようにして頂戴」

「かしこまりました」


 二人を差し出すと決まった以上、速やかに手放すべきだった。もはや配下ではなくなる者に、この王宮の内情を深く知られる前に。


 公国に遣わした特使が帰還し、婚礼の儀は一週間後と取り決められた。

 結婚を待ち望んでいたビンセント公は、このたびの「光の魔導士騒動」ならびに、それに付随する問題を王国側が共有しなかった件を不問にする代わりに、そのような無理な日程を要求した。一週間後ともなれば時間はなく、エアリス本人はすぐにでもワイトマリシアを発たなければならない。王国内でも見送りの式典を執り行うべく、様々な準備を進めていた宮廷儀礼官は、計画書を破り捨てて頭を抱えた。


 王女が民に別れの挨拶もせず行ってしまうらしい──そんな噂は、またたく間に城下町へ広まった。

 とある酒屋では、浮かない顔の主人に、客が何事かと尋ねる。


「王女様のお見送りの席にと、大量の酒の注文が入っていたが……全部なかったことにしてくれと言われてな」

「黙って行ってしまわれるとは、本当なのか」

「姿を見せればまた襲われるかもしれんしな」


 蔵に積まれた酒瓶の前で、主人は「まったく、光の魔導士は何がしたかったのか」と肩を落とした。



 アングレアの王宮にも知らせは届き、二人を呼びつけたライブリーは「明日だ」と窓の外を見た。

 今日も曇り空が広がり、明日からしばらく大雨だろうと言われていた。この寒さでは雪になるかもしれない。フレイゾンは「俺は構いませんが」と、隣に座るラプトルを横目見た。

 魔力抜きの痣はまだ色濃く残り、一向に回復しない風邪のせいで、ブランケットを羽織ったまま咳き込み続けている。


「死にはせん」

「それは、それもそうですが……騎士長は結婚されてますし」

「お前が心配することじゃない」

「ただ気になるだけです。どうなるんですか」


 ライブリーは、ラプトルの妻の処遇について簡潔に告げた。離縁のうえ王室の監視下に置かれ、元の身分へ戻される。それだけだ。

 エアリスがラプトルの妻も欲しいと言えば連れて行かれ、そうでなければ置いて行かれる。旅立ちの荷物を選別するのと同じように、騎士たちの身の回りは整理される。


「……王室から与えられたものを返すだけの話。私たちが権利を主張できるものなど、この国にはないでしょう」


 ラプトルのかすれた声が、この話題を終わらせた。


「それともうひとつ。王女殿下の記憶喪失ならびに、お前たち二人が公国へ身を移すことは、両国の高官のみが知る極秘事項とする」


 エアリスの生存はすでに関係諸国で報じられ、リントブルム一家も知ったことだろう。仕留め損ねた王女に対し、確実に手を打ってくる。

 騎士が王女の周囲にいると知られれば、それ相応の準備を整えられてしまう。さらに、現在のラプトルは魔力を抜かれ、ろくな戦力にならないのだから最悪だ。


 身の回りが落ち着いた段階で、エアリスには真実を伝えることとする。ひとまず今は、婚礼の儀を滞りなく終わらせることが最優先とされた。



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