第二十八話:和解2
ゴブリンの軍勢は、まさに総崩れといった様相だった。
彼らの基本戦術は樹上からの、数に頼みを置いた急襲。または緑鬼を軸とした戦闘を、子鬼の妨害によって有利に運ばせるというもの。
そのどちらも、最早成立し得ない。
いち早く動き出したのは、生き残った緑鬼達だ。
彼らは生き残りさえすれば、再び戦術の要として働く事が出来る。
つまり――生かして帰せば、後の災いになり得るという事。
「奴らが逃げるぞ!」
猟兵の男が叫んだ。
魔術師、冒険者達が即座に追撃に動き出す。緑鬼達が森の奥や、樹上高くへ逃げてしまう前ならば、まだ、その数を削る事が出る。
魔術師達が先行して、逃げる緑鬼の背に魔術を射掛ける。
闘気を扱える者達は、それに随伴。
生き残りがいるかもしれない子鬼や、殿となった緑鬼による奇襲の対処を行う。
「――逃げる背中は、斬るのがここの掟でしたね」
「……ああ、そうだったな。けどよぉ、この状況なら……おい、オメーが前に出た方が良くねえか? 護衛はするから、それで勘弁してくれよ」
西田がアミュレを振り返って、そう言った。
今更、殺しを嫌っての発言ではない。単なる合理性の問題だ。
「……いや、追撃はみんなに任せればいいよ。どうせ、深追いは出来ないからね」
だが、アミュレは首を横に振った。
「それと……」
それから続けて何かを言おうとして、しかし一度口を噤む。
「それと、なんだよ?」
「……その、悪かったよ。あんた達は……腕は立つみたいだし、なんていうか……冒険者にしては、いい奴ら、だと思う」
アミュレは二人から目を逸らしながら、ばつの悪そうな表情でそう言った。
西田とシズは、思わず顔を見合わせた。
そして、最初にシズが、吹き出すように小さく笑った。
「そう言えば、言ってましたっけ。謝るのは、私達が使い物になると分かったら……とか、なんとか。変なところで律儀ですね、あなた」
「……そういう訳じゃないけどさ」
「まぁ、別にいいですよ。魔法について幾らか教えてもらいましたし。魔力に関しても大体分かりました。ねえ、西田?」
「ん? ああ。目線を追えばある程度、相手の狙いが読めるって事が分かれば――」
「……目線? 何の話です?」
「……は? え? なに、お前。じゃあどうやって魔力の流れを掴んだんだよ」
「え? 普通にあれだけ見ればなんとなく分かるでしょう? ……違うんですか?」
「……いや、もういいや。やっぱオメーはすげーよ」
「……はあ、そりゃ、どうも?」
今ひとつ噛み合わない会話――今度は、アミュレがくすりと笑った。
「ちょっと、急に目の前でいちゃつかないでよ。まだ大事な話があるんだから」
「……別に、いちゃついてません……大事な話ですか? 蓼食う虫もとは言いますけど、あまりいい趣味とは……」
「悪いけど、そういう大事な話じゃない。あんたは……いい奴だけど、あんまり私の趣味じゃないかな」
「……なんで俺は唐突に自分のツラを罵られてんだ? いいから、さっさとその大事な話とやらをしてくれよ」
「がっつきすぎですよ、ニシダ。みっともない」
「もういいって、それは」
西田は、うんざりとした表情で剣を鞘に収めると、催促の視線でアミュレを見た。
「……あんた達がいれば、この戦いを終わらせられるかもしれない」
アミュレが深刻そうな面持ちで答えた。
「言われなくても、そのつもりだけど……そういう話でも、ないんだな?」
「ああ。ずっと、実現可能な戦力が確保出来ずに、構想止まりだった作戦が――」
不意に、アミュレの言葉が途切れた。
西田が突然右拳を振り被って、己へと一歩詰め寄ってきたのだ。
何故かは分からない。それでも思わず一歩退こうとしたところで、西田の左手が、アミュレの右腕を掴んだ。そのまま拳が振り抜かれる。掴んだ右腕を引き、アミュレとの位置を入れ替えながらの、大振りの右フック。
そして――鮮血が飛び散った。
樹上に潜んでいたのか。
それとも死体を盾にしながら、その中に紛れていたのか。
或いは――ただ平然とそこにいた事に、今まで誰も気付けなかったのか。
アミュレの背後には、いつの間にか一体の緑鬼がいた。
細く短い角。蛇のような、金と銀のオッドアイ。
漆黒の外套を身に纏った、殆ど黒に近い暗緑色の肌をした緑鬼。
緑鬼は、迫る西田の拳を、最小限のスウェーバックで躱した。
同時に、右手に握る手斧をゆらりと振るう。
西田の剛腕が奔る、その軌道上へと。
「ぐ、あっ……! この……野郎!」
飛び散った鮮血は、西田のものだった。
腕を深く斬り付けられて――それでも強引に腕を振り抜き、緑鬼を払い飛ばせたのは、神気の加護のおかげだ。並みの闘士では腕ごと断ち切られていただろう。
「……絶影!」
一呼吸ほど遅れて状況を理解したアミュレが、殆ど悲鳴を上げるように叫んだ。




