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マイ・プレイス  作者: 国木田エイジロウ
夏の大会編3 You can (not) climb to the top.
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最終話 航大

「航大……?!」

 ベンチに姿を見せた航大を見て、中村は驚きの声を上げる。


「大村航大、ただいま戻りました!」


「おま……本当に大丈夫なのか?」

「おかげさまで。ぐっすり眠ってたみたいで、心配おかけしました」

 その言葉を聞いて安心する者、未だに彼がここにいることを信じられない者。

「本当に、大村くん?」

「監督まで……。普通なら病院でおとなしくしてるんですけど、相手が相手ですからそういうわけにも行かなくって」

 コピー選手。過去の航大と中学時代の鍵谷、今西、青木、中村を真似た対戦相手。

 彼らは航大にとって立ち向かい、乗り越えるべき相手であり過去そのものである。

「自分と向き合い、過去の自分に勝つこと。それが今ここに居る理由ですから」

 


「無茶しやがって……。指くわえて見てられなくなったか」

 中村は独り言葉を小さく吐きながら打席へと向かう。

「大村航大、か。この試合は無理だと思っていたのだがな」

 中村は何も言わない。それに対して浜本はさらに言葉を発する。

「つれないやつだ。何か言ったらどうなんだ?」

 そういう浜本に中村は言った。

「浜本さん。あなたは俺、中村剛志をコピーした。違いますか?」

「その通りだが、それがどうした?」

 浜本は気づいていない。彼が陥った落とし穴。

「気づいたところでもう遅いですが、あなたたちは今じゃない。過去の俺たちをコピーしたんですよ」

 

「過去であろうとも、お前たちの強さは群を抜いていた。そんなもの、大した違いにはならない!」

「確かにそうかもしれません。野手の場合は」

「何?」

 投手の場合は勝手が違う。中学、シニアは七回制が採用されている。延長でもない限りは八、九回を投げることはない。

 いかに中学時代の航大が凄かろうとも、原川は七イニングを想定した投球フォームをコピーしたに過ぎない。

「つまり、この回。原川の直球は一、二段も格の落ちた質の球になる!」

 快音。

 電光掲示板に点灯するエイチの赤文字。

 打球は原川の頭を越し、外野へと飛んだ。


 加賀は目の前でバウンドした球を捕り、内野へと返す。

「やった! ナイスバッティング!!」

 これがようやくチーム初安打。ここは模倣の限界を突いた中村に軍配が上がった。

「おい、何やってる! お前は大村航大なんだ。そんなやつらさっさと抑えてしまえ!」

 板橋の言葉が原川の余裕を奪う。

 それに対して言い返さず唇を噛む原川の様子を見て、中村は思った。

(いくら外面を取り繕っても中身があれではな……。彼自身も力を求めたのだろうが、周りに恵まれないな。可哀想に思えてくる)


 四番中村が安打を放ち、無死一塁。ここから龍山学院は勢いを増していく。

 五番日下部も安打、不知火は内野安打で繋ぐ。

(……まさか、下位に出塁を許すとは。想定外だ。直球の質も球速も明らかに落ちてきている)

 この回の最速は一三〇キロに満たない。

 速球を打つ練習をしてきた龍山学院の選手たちにとっては打ち頃の球であった。

 塁は埋まった。あとは打撃に良い評判のない下位打線の選手たちがどこまでやれるかだ。

 虎野が打席に入る。

(併殺だけはやめてくれよ)

 三塁にいる中村は目で虎野に念を送る。伝わったどうかは定かではないが、彼は中村に笑いかけた。

(この状況で笑う……か。そうだよな、これほど打者にとってワクワクする場面なんてないよな)

 この場面の到来を喜びつつ、虎野はチームのための打撃を忘れはしない。

(ここで狙うのは……青木と鍵谷のコピーの居ない、左翼手だ!)


 高めの直球を振り抜く。

 打球は快音とともにレフトへと飛んだ。

「初めから犠牲フライ狙いだったか!」

 浜本が気づいたのは打球が飛んでから。レフト東山が捕球すると同時に、中村は三塁ベースを蹴って走り出す。

「間に合わん、内野に返すだけで十分だ!」

 浜本の指示通り、送球はホームには返されず、中村が生還。龍山学院が一点を返した。

「やった!! まずは一点! ナイスラン!」

 生還した中村をベンチメンバー総出で出迎える。

「これで一死一二塁、か。次の倉田は難しい仕事を求められそうだ」

 そう中村が言うと、バットとヘルメットを持った航大が出てきた。

「いや、あいつなら大丈夫だ。なんてったってチーム一のくせ者なのだから」

「航大、お前……」

「やつが併殺に倒れてこの回が終わらない限り、俺は代打で打席に立つ。過去の俺を一番知っているのは俺以外いないからな」


(倉田、か。あまり派手さはないが、油断は禁物だ)

 初球。低めの直球はストライクの判定。球威が無くとも制球が失われているわけではなかった。

 それでも一定の割合で甘い球は来る。倉田はじっと待つ。

(さすがは航大のコピーだな……。よくもまあ、俺たちを苦しめてくれたよ。だが、それも終わりだ)

 繋ぐ。倉田の頭にはそれ以外の選択肢などない。

 次は航大。過去の彼の幻影は彼自身で退治してもらいたい。倉田はそう思った。

 二球目。真ん中に来た球を逃さなかった。

(当たれ! そして、飛べ!)

 打球はフライ気味だったが、三塁ベースより前で守る三塁手の頭上を越した。

「よし、また満塁だ!!」

 ベンチも応援席もボルテージは最高潮だ。

「一番おいしい場面じゃないか。最高だ! とっとと決めてこい、航大!!」

「……ああ。行ってくる」


『龍山学院、選手の交代をお知らせします。九番、日野くんに代わりまして、大村くん』

 そのコールが聞かれた瞬間、球場全体の至る所から、まるで地鳴りがするほどの歓声。中村は思わず声を上げる。

「な、なんだなんだ?!」

 その言葉に対し日野は言った。

「みんな、大村航大を観たかったということだ。昨日のことで、あいつを心配する声は少なくなかった。だから尚更な。あいつは球場の観客を味方につけた」

 

 航大が左バッターボックスに入る。

「大村、航大……」

「お久しぶりです、浜本さん。それに君は俺のそっくりさん、かな」

 ついに実現した、航大対原川。その様子をこの球場にいるすべての人が見つめる。

「一死満塁。お前を併殺に抑えればうちの勝ちは決まったも同然。打率の高くない、打撃を不得手とするお前に何ができる?」

 浜本は余裕を見せる航大を嘲笑う。そんな彼に対し嫌な顔一つせず、航大は言った。

「浜本さんに、夢はありますか?」

 その言葉に浜本はただ眉を細めるだけで、何も言い返さない。

「俺にはあります。このチームを優勝させるっていう夢が」

「それがどうした?! 勝つのは俺たち帝城だ。お前たちを抑え、俺たちが強いことを証明する!」

 その言葉に航大は呆れた。何が彼をここまで魅力のない選手に変えてしまったのか。

「何をコピーしたとしても、浜本さんやあの物真似くんは俺には勝てないですよ」

「何を根拠に言うか、貴様!」

 浜本は苛立ちを隠せない。

「真似たことで、力は上がったかもしれない。でもその代わり自分のこれまでの強みが犠牲になっていたら、どうでしょうね」

「何、だと……」


 動揺し、ろくに指示を出せない浜本をよそに航大は原川にも語りかける。

「言うまでもないが、俺は己の全てを知っている。そのことを踏まえた上で俺と勝負するか?」

「ぐぬぬ……」

 苦悩と葛藤に満ちた表情で原川は航大を睨む。

 だが彼には航大の力を使う以外の選択肢はない。そうでもしなければこの打者を抑えるのは難しいことを本能で理解していたからだ。

(それでもなお、俺の力で向かってくる、か)

 航大はバットを構える。

(ならばとるべき道はひとつ。本物が模倣の先を行くことを教えてやろう)


 初球、浜本から珍しくサインがない。

(浜本さん……。ノーサインなら自分が一番自身のある球で……!)

 勿論、速球である。何でもない無名選手だった原川が手にした最大の力がそれだった。

 閃光のような速さを伴って航大に襲いかかる速球。

 バットは空を切り、ミットにはずしりと重い感触を与えた。

(さすがは過去の俺。そう簡単にはいかないか)

 ここで我に返る浜本。

(はっ……! 俺としたことが、力を得ても肝心なときにこれでは昔に逆戻りだ……)

 そう、浜本が野球を一度諦めたのは肝心な局面で欠いてしまう集中力が原因だった。

 中学で辞めると本人は言っておきながら、高校でも彼は野球部に籍を置いていた。

 確かに浜本は実力はある。だが大事な局面でのミスが目立ち、信頼を勝ち取ることができず、レギュラー組とはあっという間に距離ができていた。

 シニアチームではそのような緊迫した場面は少なかったからか、目立つことはなかった。

 野球部を辞めるか迷った末に出会った新監督による模倣により、彼は生まれ変わった。

(負けてたまるか! 最後の夏までプライドを捨てて、己を捨てて真似をした。それが間違ってるなんて、誰にも言わせない!)


 二球目。航大はなんとか当てるも、追い込まれた。

 ここだ。航大は過去の自分を思い出しながら、思考を巡らせる。

 過去の航大は今ほど制球がいいわけではない。

 困ったときは力押し。その分、球は高く浮く。

 コースは狙わず、思いを乗せる。

 模倣できるのはあくまで見たまま、外面だけ。

 だとするならば、ラストボールは。

(球威が落ちた、ただの棒球だ!)

「打てぇ! 航大!」

「航大くん……!」


 バットは金属音を奏で、音が球場全体へと広がっていく。

 願いと思いを乗せ、打球は内野手の頭を越していった……。


 加賀と板橋が守る中間に飛んだ打球はフェンス際まで転がっていく。

 その間に日下部、不知火が生還し同点。

 一塁ランナーの倉田も三塁を蹴ってホームを狙う。


「させるか!」

 フェンスに当たって跳ね返った球を捕り、加賀は浜本に向けて送球する。

さすがは青木のコピーなのか、意外と安定した送球が地に着くことなく浜本へ届くが――間に合わない。

「セーフ!!」

 打った航大はというと二塁到達し、右腕を突き上げていた。

「よっしゃー! 逆転だ!!」

「航大!! 航大!!」

 ベンチも応援席も大盛り上がり。

 それもそのはず、得点どころかヒットすら打てなかった相手から試合をひっくり返すという大仕事をやってのけた。

 この試合の流れは一気に龍山学院側に傾いた。


 まだ龍山学院の攻撃は終わらない。

 球威の落ちた原川に主軸は容赦ない。 

 打順は一番に返り、鍵谷。

 原川は肩で息をしていた。今なら、本来の戦い方ができる。

「じゃあ、見せてやりますか。本物の実力を」


 初球だった。鍵谷のバントの構え。球威の落ちた今なら、フライアウトにはならない。

 原川も疲労と先ほど自身の模倣元に打たれたショックもあったのか、反応が遅れる。

「な、しま……」

 原川は捕球すれども、送球は間に合わない。

 内野安打になり、ランナーは一、三塁。

 打席には今西。いくら球威が落ちていても、打撃を不得手としている人にはそもそも打てない。

 そう思った今西は三塁にいる航大とアイコンタクトをとる。

(やるか?)

 航大の目は真っすぐ今西を見ている。

(……頼む)


 勝負は初球。

 投球と同時にバットヘッドを寝かせて構えた。

「スクイズだ!」

 

 航大は走る。

 今西は直球をバットに当てた。だが、転がった球は運悪く投手の正面。

「まずい!」

 今西は必死に走る。

 原川は捕球すると、そのまま浜本に向かってグラブトス。航大の進路を完全に塞いだうえに完璧なブロック。それは中学時代の中村を彷彿させる技だった。

「アウト!」

 宣告されてまもなく、浜本は一塁に送球。今西は頭から滑り込む。

「セーフ!」

 その声が一塁の審判から聞こえたとき、ベンチは安堵した。


「どんまい、航大」

「あれは相手が上手だった。しょうがないさ」

 今西のスクイズは失敗し、二死一、三塁と状況は変わる。

 三番青木の打順だが、敬遠気味に球は外れる。

「勝負、しないか……」

「立場は逆だが、初回もこんな場面があったな。三番敬遠、四番勝負。この状況なら仕方ない気はする」

 帝城としてはもう一点もやれない場面。

 正直な気持ちを言えば、どちらとも勝負したくないだろう。だから満塁策をとって、点の入る確率をできる限り下げる。

 中村が確実な勝利のために止む負えず使っていた戦法だ。満塁はまたとないチャンスではある反面、多大な重圧を打者にかける。

「まさかこんなところまで似せるなんてな」

「まったくだ。昔の浜本さんならここは勝負していた。強さに固執して周りが見えていない気がする」

 航大と中村は言葉を交わす。中村としては切磋琢磨してきたライバルとして、彼に気付かせたい。

「多分、航大が言っても聞かないならもう無理だと内心思う。でもコピー元の責務っていうか、そんなことを感じずにはいられないっていうか」

「わかるぜ。俺も原川に対して同じような気持ちさ」

 上手い選手の真似をするのはいい。そこから原川や浜本は自分に落とし込むのではなく、コピー元を演じ切ろうとした。

 その時点で彼自身の良さが消え、模倣することに囚われてしまったのは残念なことである。

「ボール、フォアボール!」

 航大は背中を軽く叩き、中村を送り出す。

「決めてこい、お前の手で。それでついでに救ってやれよ、お前の目標で憧れだった人を」

「ああ、そうだな。……行ってくる」


 

 中村が打席に立つ。

「中村……。お前、だけは――」

「決着をつけましょう。これで、終わりです」

「終わらねぇ、絶対に。ここを抑えて裏で絶対に逆転してやる」

 浜本の配球、中村の読み。

 どちらが先を行くか。

 日差し照りつける球場の熱気は当分冷めそうにない。


 初球は高めに外れ、ボール。中村は微動だにしない。

 二球目。外角に来た緩いカーブを当て。打球は後方、バックネットに当たってファールとなる。

 三球目は膝元付近に切れ込むスライダー。見逃し、ニストライク。


「航大くん、今の球は甘かったよね?」

 そう言って京子が尋ねてくる。

「ああ、ただ狙い球じゃなかったからな。中村は手を出さない」

「……何を待ってるっていうの?」

「ストレートさ。あそこに座っているのが中村なら、どこかで必ず直球を入れるはずだ」

 中学、高校とバッテリーを組んだ航大にはわかる。自信のある球を最後の決め球に持ってくる。

 そこを叩かれるのは航大の中学最後の試合以外は無かった。おそらく、打たれれば相当な衝撃を与えられるはずだ。

「一番ダメージの大きい倒し方。あいつのことは自身が、よくわかっているさ」


 四球目、五球目とストライクゾーンに入る変化球をカットし、粘る中村。

 六球目はベース手前でフォークボールが落ち、明らかなボール球。次の球も大きく外れ、フルカウント。

 ここだ。

 中村も浜本も互いにそう思っているはずだ。

 一番自信のある真っ直ぐ。

 足を踏み出し、投じられた目一杯の速球。

 これを打ち砕かずして、何が四番か。


 過去の幻影、未練。それらすべてを追い越して、その先へ。

 右足を強く踏み込み、バットを出す。


 それは一瞬の出来事。

 直線的な軌道を描き、バックスクリーンにライナー性の弾丸が飛び込んだ。

 

 強烈な一打に、観客も一瞬時が止まったかのように静まり返り、言葉を失った。

「満塁、ホームラン……」

 観客の誰かが呟いた言葉がきっかけで音が戻り、皆が現実に帰って来る。

 耳から聞こえた溢れんばかりの歓声で中村は実感する。

「俺の、勝ちです」

 浜本、原川の両バッテリーは放心状態。

 ただ、打球が吸い込まれたセンター方向を眺めるだけ。

 一塁、二塁、三塁、と止まない歓声をじっくり味わいながらベースを踏んでいく。

 ホーム上ですでに生還した鍵谷、今西、青木が最強の四番を出迎えるべく待機していた。

 ゆっくり、三塁を回りホームへと帰ってきた中村。

 ついに踏んだ本塁。ようやく掴んだ心地よさを噛みしめていると、すぐさま待っていた三人にもみくちゃにされた。

「本当に、お前ってやつは!」

「こ、こら! 痛い、痛いって」

 青木は三人の中でもかなり手荒い祝福を施す。

 打たせてもらえない鬱憤を見事に晴らしてくれた中村に最大の喜びを表現した。


 一方の帝城バッテリー。集まって立て直しを図るわけでもなく、淡々としていた。

 集まる気力などなかった。それもそのはず、中村の満塁弾はそれほどダメージの大きいもので、八対三と五点差に広がった。

 問題は点差以上に投手の限界である。

(負けた。中村にも。試合にも……)

 浜本の心は折れた。

 指示などできず、サインなしのまま、構える。

 打席に立つ日下部に同情などない。

(悪いね。こちらも全力でいかせてもらう)

 制球も球威も皆無な棒球を捉える。

「センター!」

 浜本は虚ろな目で打球を見送る。

 加賀が飛び込む姿が視界に入る。フェンスに激突しながらも彼は捕った。

「アウト!」

「しっかりしろ、バッテリー! まだ試合は終わってないやろ!」 

 外野からの喝に視界が戻り、我に返った二人は攻守交代のためにベンチへと下がる。


 ベンチに戻ると、小突かれる浜本。

「見るのも嫌だった野球に俺らを誘って引き戻したのはあんたや、浜本さん。俺はあんたに感謝しとる。だからそないな姿見せんでくれ」

 その言葉を受け止め、浜本は打席へと向かった。 



 八回裏。マウンドに上がる彼に球場はまた盛り上がりを見せる。

 航大がマウンドに立つからだ。いつもの女房役、中村が再びマスクを被る。

 代わりに一塁は先ほど日野を無失点に導いた日下部が守っていた。

「なあ、もう一度聞くが、大丈夫か」

 捕手のポジションに戻った中村が聞いてくる。

「何度聞くんだ、お前……。さすがにこの調子だとフルイニングは無理だが、残り二イニング。全部三振で終わらせるくらいの力はある」

 冗談交じりとも本気ともとれる言葉に内心呆れも含んで、中村は言った。

「そこまで言うなら大丈夫……なんだろ。無茶だけはするなよ」

「善処する」


 ついに実現した航大対浜本。

 中学時代の練習で対戦したことはあるが、浜本には航大の球をまともに打った記憶がない。

(俺に打てるのか? あの真っすぐが)

 初球。ゆったりしたフォームから放たれた速球。浜本は振らなかった。迷いすら感じられる。

「ストライク!」

 球速表示は一三〇キロと全力とは違う球だったが、彼は完全に腰が引けていた。もはや模倣という魔法は解けていた。

(無駄がない。航大を模倣した原川のような力任せの速球じゃなく、一瞬に力を込めた球。球速以上に速い!)

 二球目も同じ速球。浜本はスイングを試みるも、当たらない。

 その様子を帝城のベンチからじっと見つめる選手がひとり。原川だ。

(これが、大村航大……)

 あまりの自身との違いに愕然とした原川。それでも目だけは逸らさない。

 三球目。航大の真っすぐが、浜本を完全に制圧した。

「ストライク、バッターアウト!」

 最後もストレートで空振り三振。その圧巻の投球に歓声と拍手が巻き起こる。

 四番という大黒柱を抑えられた帝城は牙を抜かれた獣。航大は病み上がりをものともせず、五番六番と連続で三振に斬る。

 スコアボードに付いた特に変わり映えしないはずのゼロ。それは原川の目に焼き付いた。

 彼は理想とすべき選手の背中を見た。



 試合はついに最終回。

 七番虎野、八番倉田は疲労の溜まる原川を捉え外野へと運ぶも、好守に阻まれる。

 ここで原川にとっては待ちに待った、航大と二度目の対決である。

 先ほどのリベンジを。このままでは終われない、と球を握る手に力を込める原川。

 そんな彼を見た航大は打席に立つなりこう言った。

「本当のお前で勝負してみろ」

「……え?」

 特に返しもせず、笑みを浮かべる航大。

(本当の……俺?)

 少し考え、原川は意地でも腕を振る。

(もう限界だ。でも、この打者だけは絶対に……。同じ力は筒抜け。ならば……!)

 原川にとってそれは勇気のいる決断だった。模倣を捨てて、昔に戻る。純粋に野球を楽しんでいたあの頃に。

「この球で、勝負だ!」

 

 何の変哲もない直球。投じられた球は甘い。航大は逃さず、当てにいく。

 だが、打球に伸びはなく、ふらふらと上がった球を原川は定位置より少し下がって捕球する。

「アウト!」

 航大は一切悲観せず、笑みを見せ、こう言った。

「なんだ、俺の真似なんかしなくても十分すげぇじゃねぇか」

 その言葉を聞いたとき、原川ははじめて認められた気がした。

 今までの心のもやもやが晴れていくようで、どこか心地良さを感じた。


「さあ、最後の守りよ。いってらっしゃい、みんな!」

 水原監督が選手たちを送り出す。

(お姉ちゃん、見てる? 大村くんや中村くん、青木くんに――、お姉ちゃんが育てた選手たち。あと少しで全国の頂点にたどり着けるまで育ったよ!)

 もうこの世にいない姉。その彼女が指導した選手たちが躍動した今大会。 

 そんな彼らの礎を築いたのは間違いなく水原涼子、今は亡き彼女だった。

 水原監督はそんな彼女に感謝を

(ありがとう、お姉ちゃん。あともうちょっとよ。だから……見守っていてね)


 

 選手たちはいるが静まり返った帝城側ベンチ。

 三者凡退で抑えたというのに、ベンチは暗かった。

 監督はいない。代わりに居るのは名ばかりの高齢の部長。その老紳士は静かに目を閉じベンチに座っていた。

「おい、何静まり返ってんだ!」

 声がした。声の主は加賀だった。

 誰も彼に反論しない。そんな気力などない。

 それほど帝城の選手にとって現実は非情だった。

「ストライク!」

 航大は二イニング目。肩が温まったというのもあり、球速は普段の全開状態である一四〇キロを記録した。

「嘘だろ……。昨日延長を投げて、まだあんな球が投げられるのか?」

「こんな相手から一点なんてどう取れば……」

 選手たちの弱気な声と感情がベンチ全体に漂う。

 そんな状況を加賀は強気な言葉で跳ね返す。

「向こうはノーヒットから繋いで八点も取った。ここまで勝ち上がった俺たちにできないはずはない!」

 そう声を飛ばしても。航大という本物を目にして皆怖気づいてしまう。

「ストライク!」

 明らかな振り遅れ。その様子を見て、唇を噛む加賀。

 どれだけ虚勢を張っても、五点差という状況は変わりなかった。


「ストライク、バッターアウト!」

 歓声が沸く。航大は七番の東山に続き、八番向原も三振に打ち取る。

「さあ、幕引きだ」

 最後の打者にふさわしい相手。航大を真似した男、原川だ。

 二人は対峙する。

 次の打者は一番に返り、板橋だが自分が出たところで航大に連打は望めない。

「ひとつ。勝負が終わる前に、いいか?」

 中村が話しかける。

「え、ええ」

「まさかここまで自分たちのコピーに苦戦するとは思っていなかったが、学びはあった。俺たちもまだまだだってことが」

 航大たちは実感した。己の越えるべき相手は昨日の自分自身であると。

「そっちも本物と実際に戦ってみて、何か感じるものがあったと思う。そうであったなら嬉しいし、大きな意味がある」

 

「コピーだけじゃなく、そこから自分の型に落とし込めば、お前はもっとすごい投手になる。少なくとも俺はそう思う」

「それは……ありがとうございます」

「たぶん、あいつも楽しみにしているだろうよ。同じ力を持つ同士として」


 中村との会話を終え、最後の勝負が始まる。

 航大は容赦ない。中学時代の航大では決して打てないコースに直球を投げ込む。

「ストライク!」

 原川は空振りする。だが、決してタイミングは悪くない。

(相手が過去の自分だというのなら、これほどやりやすさとやりにくさ両方を感じる勝負というのも珍しいな)

 互いを知っているがゆえに弱点とそれを逆手にとって打たれることも有り得る。

 二球目。その予感は間違いではなかった。

 原川が速球を当てた。

 力負けはしているが、読んでいる。

 航大は笑う。

(最高だ。最後の相手が自分自身とは。越えてやる。過去の自分の幻影に、勝つ……!)

 

 腕を振る。

 最後も勿論直球。三球勝負だ。

 原川も負けじとバットを出す。 

 

 打球は――飛ばなかった。


 ミットが鳴る。

 原川は思う。全く歯が立たなかったが、不思議と満ち足りた気持ちの正体とは何か。

 誰かの力をそのまま借りるだけじゃなく、自分に落とし込む。

 わずかではあるが、本当の自分で最後は勝負することができたからなのだと。



 ついに試合は決着し、龍山学院のベンチメンバーも守備陣も全員、マウンドに駆け寄る。

 歓喜の瞬間は今。

 大村航大という最高の選手によって試合は締めくくられ、悲願は成し遂げられた。


「よし、いくぞ! 監督を胴上げだ!」

「ちょ、ちょっとみんな?!」

 水原監督を胴上げしようとする選手たち。監督は最初は恥らっていたが、選手たちの熱意に負けて引き受けた。

 宙に舞う間、水原監督は心の中で思う。

(やったよ、お姉ちゃん。私たち、日本一になったよ!!)

 姉の悔いを少しは晴らすことができたかもしれない、と満足感に浸りながら、彼女は宙に舞った。


 最高の舞台を最高の結果で締めくくり、大会は閉幕した。



 祝賀会諸々の事後行事を終え、航大は程よい疲労感に満たされ、密集している会場から離れた。

 すると京子も付いてきたので、二人は人気の少ない宿泊ホテル近くの公園のベンチに座る。

「これで、終わったか」

「うん、終わったね」

 果てのない暗黒の空に輝く大小様々な星たち。

 二人はそれらを眺めつつ、思い出に浸る。

「遠くまで来たもんだな、俺たち」

「そうだね」

 本当に長い戦いだった。その戦いが一段落を迎え、次のステージへと歩みを進めていくのである。

 歩みを止めるつもりはないが、今は休んでもいい。航大は肩の力を抜く。

「私と航大くんが再び巡り会えたあの日から、全部始まったのよね」

「そうさ。お前も俺も、そしてみんなも諦めなかった。だから最高の結果を得た」

  京子は頷く。

「……あの、航大くんのお父さんは?」

 あれから雄一の行方は知れない。相手のベンチにも居なかった。

 思うところはあるが、ぶつける対象が今いないので、考えても仕方ないだろう。

「さあな。ま、たとえ何が起こっても、俺の前に立ちはだかる壁は誰であろうと全部倒す! それだけさ」

 航大は堂々と宣言する。そんな彼の姿を見て頼もしく思ったのか、京子は航大に言う。

「なんか、格好良くなったね」

「褒めても何も出ないぞ」

 二人は笑う。


 

 まだ見ぬ明日へ。

 野球というひとつの居場所のもとに、ずっと一緒に居られますように。

 二つの影は、星に願いを込めた。

 果てのない夢を託して。

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